2010年02月26日

ハイチの地方部に不気味に迫る食料危機―FAOとCAREがレオガンで協力して実施するキャッシュフォアワークプログラム

ハイチの地方部に不気味に迫る食料危機
―FAOとCAREがレオガンで協力して実施するキャッシュフォアワークプログラム(現金収入のある仕事の支援計画)

情報源:CARE、FAO
日付:2010/02/19

1月12日にハイチを襲った壊滅的な地震がら1ヵ月たち、FAO(世界食糧農業機関)と国際人道機関であるCAREはこの国の食糧危機についての共同警告を発表した。
「これは,すでに国中に影響を与え始めていて表面化していないが拡大傾向にある危機である。」とFAOハイチ調査調整官であるDick Trenchardは言った。「地方部はポルトープランスからの大量の移住を経験しており、周辺地域はもっとも影響を受けている。特に西部のArtiboniteと南部のGrand’Anseはひどい状態にある。」
FAOと農業集団のパートナーによる早急な調査が行われ、避難民の面倒を見ている“受け入れ家族”は自分たちの乏しい貯えを新しい住民に食べさせるために使い、食料の蓄えを消費している、と発表している。
このような貧しい人々の多くは次の作付け期のために貯えていた種をやむを得ず食べることまでしていて、家畜、特にヤギを食べるか売るかしている。
「地震後に地方部やほかのより小さな都心へ移動した約50万人の人々を助けようとして、厄介で持続不可能な対処策を最後の手段として人々がすでに用いているという兆候を我々は見ている。」とTrenchardは言った。

植えつけまで2週間

「毎年の収穫の60%以上を占める主たる植え付けの時期が2週間以内に始まる。」とCAREの緊急食料保障専門家のJean-Dominique Bodardは言った。「もし受け入れ家族が種を買うかもしくは良質の種を手に入れる他の手段が何もないとすれば、これは彼らにとって災難となるだろう。この危険な循環には別の側面がある。現金がないために多くの受け入れ家族は植えつけのための日雇い労働者を雇うことができない。結果として労働者たちは自分の家族を食べさせることができず、労働力が得られれば可能であったであろう作付けを行うことはできない。」と付け加えた。
地方では農民たちはもうすぐやってくる植え付け時期のための種を買う金がなく、食料の価格はすでに地震前より10%上がっている。これはもっと悪いことが起きる指標である。緊急の解決策の1つは農村部において現金が支給される仕事の支援をする計画で(キャッシュフォアワークプログラム)あろう。

「植え付け次期が始まる前に、早急に農家に金を投入する必要がある。」とBodardは説明する。「食糧の配給は被災後の緊急の困窮状況を緩和することはできるが、長い目でみると最も必要とされていることは、農家にとって自治を取り戻すことに投資できる現金なのだ。」

現金収入のある仕事(キャッシュフォアワーク)

FAOはレオガンの灌漑用水路の清掃という小額の現金収入が得られる仕事の計画(キャッシュフォアワークプログラム)を始めており、CAREは近々その対象を600人から4,000人へ拡大していく予定である。
「これは人々が自分の生活を取り戻そうと必死になっている極めて重要なこの時に待ち望んでいた資金面での後押しであり、地震以降落ち込んでいた地方の経済にとって待ち望んでいた活力注入になるだろう。」とTrenchardは言った。
復興段階の一部分において、CAREはコミュニティに基盤をおいた組織が水の管理や生産物の売買、能力開発などの活動をするための支援の計画をしている。これらの活動は農業、天然資源、地方開発の省庁の“2010年1月12日ハイチ地震における食料生産計画、避難住民の統合ならびにハリケーン期に向けての防災に対する特別緊急支援”に直接貢献するものとなるだろう。この計画はFAOと米州農業協力機関 (IICA)の支援を受けている。

集団の指導者

ハイチでの国連の農業集団の指導者として、FAOはこの分野の国際または国内の組織の調整をしている。政府のガイドラインのもとで、現地の資金提供者と機関を守るのが仕事のひとつである。
ポルトープランスの西方にあって地震で村の80%が壊れた農村のレオガンで、CAREはすでに活動していて、避難所、緊急物資、水、衛生用品を提供し、母親と妊婦の健康支援をしている。FAOは小規模農家に対し、良質の種や農具というような農業に必要なものが行き渡るよう支援をしている。
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商売の準備をする震源地近くの町

商売の準備をする震源地近くの町

情報源:The New York Timesより抜粋
日付:2010/02/01

かつて町の中央広場であった場所は、今は仮設テントがたくさん建ってごちゃごちゃした地域となって息を吹き返し、商業が活況を呈していた。新しい家は拾ってきた木材や板金で建てられているのだが、靴磨き、美容院、炭や石鹸、CasinoブランドのチョコレートやComme Il Fautというタバコなどは高値で手にいれることができた。

Merlise Charles(36)はほとんど利益がないのになぜ一日中大なべでつぶしたサツマイモを一生懸命売っているかを説明した。「わたしは何かをしている必要がある。」と。
この広場での仕事は、利益を上げるためというより、復興に対する渇望からのようにみえる。キャンプに秩序をもたらす手助けをするために選ばれた10人からなる委員会によって作られたリストによると、ここには500家族以上の約2,500人の人々が地震の後に移ってきていた。

この広場はかつては露天や倉庫が立ち並ぶ市場だった。しかし2002年、前大統領のJean-Bertrand-Aristideが公園へ行く道路を作るためここを取り壊すように命じたと、ここにいる人は語った。それは国民の決定によるものではなかった。市場はすぐに撤去されたが公園の計画は何年も放置されたままである。
今やこの広場は村と広場と市場が一体となっている。寄付されたテントが見られるだけでない。4人家族のために約8フィート四方の小さい掘っ立て小屋を2人の男が建てているのをCarmalite Henry(51)は見ていた。彼女は友人から借りた50ドルを彼らに払った。
Gerome Julieは4人の子供の母親だが、柱を立てる穴を掘り、釘や木材や板金に60ドルを払って自分の小さな家を建てた。防水はしてあるのかと尋ねたら、「わからない。まだ雨が降っていないから。」と彼女は答えた。彼女はトイレットペーパーや洗濯洗剤、石鹸など地震の前に持っていた全商品を売っていた。各々に付き25セントの儲けがあると彼女は言った。
くじ等も復活しつつある。広場には2,3ペニーから始められるチケットを買える場所が少なくとも3ヵ所あった。ある1人のくじ売りは、Ronald Center Bankという目立つ名をスクラップの金属板に書いて縁石に立てかけていたが、商売は振るわなかった。「ここにはお金がない。でも人々はくじを信じている。」と経営者のRonald St.Hubetは言った。

この広場は人道的な援助には少し邪魔になっているようだとキャンプの委員会の事務局員であるFednel Sainsulmeは言った。二人の警官を含む委員会が夜にはパトロールをし、市長に状況報告をして、寄付された物資を整然と配給するよう交渉しようとしていた。
Hays Pure Water For Allという非営利団体のメンバーが、水を消毒するための塩素溶液に塩水を変換する簡単なフィルターを持ってきた時、委員会のメンバーはキャップ一杯ずつの塩素を配るボランティアをした。他のキャンプでも委員会を選ぶようになった。

地震の前、Sainsulme氏は牧師であり、写真家、先生でもあった。彼の仕事は簡単には再開できない。彼がかつて教えていた9教室あった学校はレオガンのほかの学校と同様に壊れてしまった。「私は今ちょうど神を待っているところだ。」と彼は言った。
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2010年02月11日

ハイチの地震被災者への救援情報提供支援

ハイチの地震被災者への救援情報提供支援

情報源:Internews Network Inc.より抜粋
日付:2010/02/03

インターニュースは地元のレポーターのチームと共にNouvells-Utiles(News we can use)という毎日放送する人道ニュース番組を作り、今現在25のローカルラジオ局で放送している。番組は1月21日から11の放送局で始まり、水の供給場所や避難キャンプの状況、公衆衛生の助言など重要な情報を伝えている。
インターニュースのチームから個人的に寄せられたCDによる情報があればそれが着くや否やほとんどの局で番組として放送している。通常は計画された時間帯に沿って、定期的に一日4回から6回Nouvells-Utilesとして放送している。
インターニュースは地元のレポーターとプロデューサーを雇い、ニュースを集め、番組を作っている。そしてレポーターに人道的な報道をするように訓練もしている。

手回しラジオの配布

とても多くの家と持ち物が破壊されてしまって、多くのハイチの人々はニュースを聴くためのラジオを利用することがもはやできなくなっていた。あるいは持っている小さなラジオの電池を切らしていた。1月にインターニュースは9,000台の手回しラジオの配給をアメリカ軍から受け、パートナーの19のローカルラジオ局を通して配った。最も必要な人々、特に女性が世帯主になっている家庭や弱い立場にある人々がラジオを手にする事ができるように重点をおいてラジオを配る協定を各ラジオ局は結んでいた。このラジオは電池や電気の必要がなく内蔵されている手回しクランクによって動く。

ハイチの人々に必要な情報を与えること

我々のチームはハイチで地元の報道各社と共にニーズを見極めながら活動している。各社の多くはレポーターや機材を地震によって失っていた。インターニュースは生存者へのインタビューもして人々がいかにして情報を得ているかを見つけ出し、地元の人々にとって情報が最も的を得たものになるようにしている。

援助提供者と地元メディア間のコミュニケーションのつながりとして機能することによって、インターニュースはハイチのレポーター達が救援情報を受け取ったり、配信したりできるようにしている。例えば、Ushahidiによって始められた携帯電話の短縮コード4636で、地元のニーズについてのレポートを集める手助けができる。

人道的なメディア援助を調整すること

インターニュースはCommunicating with Disaster Affected Communities(CDAC被災コミュニティとの連絡機関)の関連機関グループの創設メンバーで、中心機関であるUNOCHAと赤十字やセーブザチルドレンなどの団体や、BBC World Service TrustやReuters Thomson Foundationのようなほかのメディア支援提供者を含んでいる。UNOCHAはインターニュースに対して、CDACのメンバーによる人道的な情報の調整と、ひどく破壊されたハイチのメディアの状況において最大限の効果をもたらすためにメディアを支える活動をするという現場での指導的な立場の機関であるという役割を委ねていた。
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2010年02月04日

ハイチの孤児達にとって回復の助けはしゃべること

ハイチの孤児達にとって回復の助けはしゃべること

情報源:Reuters
2010/1/28

ハイチの壊滅的な地震によって孤児となった4歳のJoは、携帯電話でおしゃべりして、おもちゃやお菓子をねだっていた。
ハイチ赤十字のボランティアにこの男の子はお母さんと話しているのだと言った。しかし
彼のお母さんは、このカリブ海の貧しい国で1月12日に起きた大災害で亡くなった何万もの人々の中の1人だった。
この男の子を地震後に救い出した赤十字従事者のMagalie Saint Simonは木曜日のインタビューにこう答えた。「私は彼に誰と話していたの?と聞きました。」彼は「お母さんとだよ。でもお母さんは僕を迎えに来てくれないと言ってた。死んでしまったから。」と言った。

国際赤十字委員会(ICRC)によって、こうした災害の時に初めて設置される移動型心理相談ユニットでJoと孤児達は世話をされている。このユニットを率いるEa Suzanne Ashakは、早期の心理学的介入の重要性を2004年のインド洋大津波の後ICRCは学んだと語った。あの津波では主にインドネシア、インド、タイ、スリランカ、モルディヴで20万以上の人々が亡くなった。
「心理的な支援を何も受けなかった人々は弱っていき、再び社会に参加しなかった。再建された社会にも参加しなかった。彼らの生活は失われた。彼らはどうしたらいいのかわからなかった。彼らは拠りどころを見失って、なんだかただ漫然と家でごろごろと過ごしているだけのようだった。」「ハイチでは極度の苦悩を切り抜けるよう早急に手助けすることが目標であり、そうすることによって身体的な生き残りに集中することができるようになる。」と彼女は語った。
訓練されたボランティア達は亡くなった子供や親戚や悲しみについての情報をやさしく探り出そうとしている。Joの想像上の電話の会話は幼い子供達が悲しみを表現することを助けるための確かなやり方の1つとなりうる。

心の内側に何か問題がある
子供達は色々と異なった形で苦悩を表現するとSaint Simonは言った。ある子供は食べたりしゃべったりしなくなり、他の子は過活動になったり、また怒ってばかりいたりする。世界保健機構の専門家は地震による心理的影響を手当てすることは、身体的な傷を治療することと同じように重要なことであるだろうと言っている。特に一生にわたる心の傷を負ったかもしれない幼い被災者の間では。
国連児童基金(UNICEF)によると、ハイチの900万の住民のほぼ半分が18才以下の子供であるという。

Joは初めは打ち解けず引っ込み思案だったが、Magalieが遊べるようにと電話を与えてからようやく遠慮なく話すようになった。
「彼が心の中で感じていたことを表に出してくれたことに私は心を動かされた。私にはわからないけど彼の心の内側に何かの問題があるようだ。」と彼女はロイターのテレビに語った。「彼がものを食べ始めたことがとても嬉しい。たった今あそこで、おなかがすいたと私に言ったのよ。」

20万以上の死者と100万の負傷者を出した地震から二週間は子供達が立ち直る手助けをするには重要な時であったとMagalieは言った。
「テントの周りに行ってみたら変化に気付くでしょう。もし前に来ていたら、彼らはモンスターだとあなたは言ったかも知れない。遊ばない。話そうとも自分を表現しようともしない。話しかけても無口なままだった。信じられなかった。でも、いまは大丈夫。」
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2010年01月28日

震源地であるハイチ農村部へ遅れる支援

震源地であるハイチ農村部へ遅れる支援

情報源:Reuters
2010/1/19

ポルトープランスから車で西へ2時間、ハイチ地震の震源地であるバナナの育つ丘では山腹から大きな岩の塊が引き剥がされて放り出され、道路には亀裂が走っている。そこで化膿した傷を負った生存者は大破した家の傍らで支援者に気付かれないまま眠っている。

地震の最初の揺れから1週間たち、豚がキイキイ鳴いている田舎の家で、頭に血まみれの包帯を巻いて1人の男性は動けない状態でマットレスに横たわっていた。
ある少女は背骨を損傷して麻痺しており、彼女の姉は額からうなじにかけての場所と目の上とに負った深い傷を粗野に縫合したところがじくじくと化膿した状態だった。「縫う前には頭骸骨が見えていた。」と彼女達の叔母であるCyndie Thelus(26)は震えながら語った。彼女は少女達を一番近くの昼間診療所へ連れて行ったが、1人目の少女を診察するには設備が足りず、2人目の少女にはごく初歩的な治療しかできなかった。
火曜日までに外国の医療チームは震源地近くの極貧の農村であるレオガンの野戦病院でようやく仕事を始めた。しかし岩の崩落の災害にあった丘の上に小さな集落があることを誰も知らないようで、そこの患者を診るために人員を送ることはできていない。

ここはマグニチュード7.0の猛烈な揺れの中心地で、青々としていた丘は裂けてひび割れていた。道路の上に崩れ落ちた地面から木が突き出しているのを地元の人達はのこぎりで切り倒していて、また、巨大な岩の塊が砕けた時に採砂場のトラック運転手が押しつぶされ、辺りの風景が一転して塗り替えられた場所を指し示した。
「揺れが始まった時、私は入浴中だった。走り出て、今まで丘があったところが空っぽの場所になっているのを見た。」とSeraphin Sonel(14 )は語った。彼女は崩れた採砂場の近くに住んでいた。

火曜日、レオガンのはずれの野原にアメリカ海軍の最初のヘリコプターが水と食糧を投下した所のまわりには地震の生存者が大勢押し寄せていた。しかし今緊急に必要なのは眠るためのテントと医療行為だと彼らは言っていた。「私達には何もない。家にあった食料は瓦礫の下になった。お金もない。水さえない。」と、Rebecca Mirlind(25)はボーイフレンドと一緒にヘリコプターが着陸するのを見ながら言った。「これは確かに助けになる。」でも最も必要なことは感染症に罹った傷が致命的な状態になる前に人々が処置を受けることだと彼女は言った。「負傷した人がたくさんいる、手足を損傷して苦しんでいる人たちが。」

茫然とした見物人達はアメリカの“侵入”を見ていた

国際的な支援者と物資はこの数日のうちにハイチに投入された。しかしハイチの通信設備の破断や悪い道路状況、瓦礫の散らばった首都の混沌状態などが原因で、人々が支援や情報を受け取ったりすることが困難になっている。特に郊外では難しい。火曜日に食料の投下を見ていた人々の多くがそれをアメリカの侵入かのように、そしてその食料は自国の軍隊のためのもののように初めに思った。
「今現在のところ、できるだけ早く必要な物資を手に入れる計画になっている。」とClark Carpenter大佐は語った。国連のトラックが食糧支援を配給しはじめる地点となる安全な投下場所を数十人の海兵隊員が設営するための広報官である。彼は医療支援がなされるかどうかについては何も言えなかった。

国境なき医師団はレオガンの外れの野戦病院で200人以上の患者を診察し、日本の医療チームも36人以上を診察した。他の外国のチームはこの数日のうちにレオガンの設備の乏しいSainte Croix診療所へ到着する予定である。
「今必要なのは手術設備です。」とアメリカ人Suzi Parker(66)は言った。彼女は崩れ落ちかかっている宿舎からかろうじて逃げ出し隣の診療所に駆け込んだのだ。時計と眼鏡以外の持ち物はすべて失ったので、今は診察着を着て過ごしている。

農民達がサトウキビや揚げたバナナ、キャッサバのパン、米などを食べて暮らしていた赤土の丘では木や波型トタン板の小屋が建てられていた。これらの小屋は20万人以上の人が亡くなった首都の高層コンクリートビルに比べて揺れには強かった。
しかし粗末な軽量コンクリートブロックで建てられた家に住んでいた多くの人々は亡くなったり怪我をしたりした。今レオガンの人たちはみんな星空の下か、波型トタン板を木の枠に釘で打ち付けた頑丈な三角形のシェルターの中かで寝ている。

首都からレオガンへ向かう穴ぼこだらけの道路際には、小さな赤ちゃんも含む数十体の浮腫んだ遺体が、見向きもされず照りつける太陽に焼かれて腐敗しつつ横たわっている。
急いで治療されなければ多くの人々が壊疽した傷によって亡くなる危険がある。

「この(地震での)騒動の前ですら、ここの病院はかろうじて役目を果たしているような状況だった。今やどんな状況か想像できるだろう。」とアメリカ陸軍の支援物資を投下する地点の調査測量をしているJoel Beauburn(34)は言った。
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2010年01月22日

マイアミの学校とハイチの子どもたち マイアミの学校とハイチの子どもたち

マイアミの学校とハイチの子どもたち

情報源:Agence France-Presse (AFP)
2010/1/22

フロリダ南部の学校が、地震の被害にあって避難してきた子どもたちの受け入れを始め、その子どもたちに対しては特別なプログラムが用意されることになった。
マイアミは、被害を受けたハイチからの人の流入を視野に入れ、新しく生徒を受け入れることができる学校として15校用意をした。

水曜までに、60人のハイチ人生徒が受け入れを認められたと発表されている。
被害にあったハイチの子どもたちの多くがフロリダ南部に来ることは確実であるが、問題は、いつ、どれくらいの子どもたちがくるのかということであるとしている。

マイアミの行政側は、このような子どもたちが出来るだけ早く学校に行けるように努力するとしており、今回の地震で身分証明紙をなくしてしまった場合でも受け入れると言っている。
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長期的視点でのハイチ再建

長期的視点でのハイチ再建

情報源:United Nations International Strategy for Disaster Reduction (ISDR)
2010/1/22

破壊的な地震がハイチを襲ってから1週間以上が経った。ハイチはこの規模の地震への備えはしていなかった。
UNISDRは、ハイチを災害に強い国へと変えていこうという活動を行う予定をしている。
減災への取り組みは、2005年に日本で行われたthe Hyogo Framework for Actionなどのようにすでに国際的に行われている。
ハイチ政府や他のパートナーとの協力のもと、病院や学校再建の際にはその構造やデザインにおいて減災への考えを取り入れながら、安全なハイチ再建の手助けを行っていく。このような減災への取り組みが、将来起こりうる災害から住民を守ることへの一番の方法であるとしている。
このように、長期的な視点からハイチの再建を考え、ハイチの安全と安心を確保していっている。
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CWSによるハイチ地震レポート

CWSによるハイチ地震レポート 

情報源:Church World Service (CWS)
2010/1/22

状況:
CWSは、パートナー団体とともに支援を続けている。今は、地震から生き残った人たちが都市を離れて田舎や避難キャンプに移動しているので、その人々の支援に力を注ぎつつある。40万人が避難キャンプに移動すると予想されている。

CWSは、現地のニーズに応えるために救援物資を届けている。その内容は以下のようなものである。
・ 500枚のブランケット
・ 1,125セットの乳児ケアキット
・ 10,595個の衛生キット
・ 720個の歯磨き粉
・ 25個のバッテリー付き懐中電灯

などが第一回目の物資輸送で送られ、その後も同じように追加的に物資輸送が行われる予定である。

その他、Port-au-Princeから2時間離れた場所にあるキリスト教の学校には、初期治療や緊急治療のスペースが作られている。その定員は30名ほどしかないが、働いているスタッフによると、その病院で回復した患者がまたさらに怪我をして戻ってこようとするケースがあるらしい。彼らは、回復して都市に帰ってもそこには何も残っていないのである。

また、食料支援についても長期計画の焦点となっており、障害者や被害に遭った子どもたちへの支援に焦点を当てている。
他にも、障害者に対するリハビリや震災からの回復を目的としたプログラムも予定しており、それに向けてCWSはボランティアネットワークの強化を行っている。

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2010年01月21日

モンテネグロ 水害

モンテネグロ 水害

情報源:International Federation of Red Cross And Red Crescent Societies (IFRC)
2010.1.12

国際連合の災害緊急援助基金(DREF)は、連合によって創設された、緊急事態に対応して赤十字と赤新月社の迅速な財政支援を確保するための予算に計上されない基金である。DREFは国際連合の災害応答システムの必要不可欠な部分で、国際社会の災害対応能力を高める。

モンテネグロ赤十字が、約1100人の受益者に対して緊急援助を行うのを支援するため、USD82400が連合のDREF基金から割り当てられた。DREFに予算外の資金を返済することが奨励される。

要約:昨年12月に始まった異常降雨は2010年の1月10日まで続き、深刻な物質的損害をもたらした。Skadar湖を囲む地域の非常に多数の家屋、Ulciniの自治体、Bojana川の近隣、Golubovci, Zeta自治体、Cetinje, Rijeka,Crnojevica, abljak Crnojevicaの自治体、Bjolopavlici平原とNiksiciの自治体が洪水の被害を受けた。245世帯1100人が避難しなければならなかった。

この事業は3カ月にわたって実施される見込みで、2010年4月14日に完成する。事業終了3カ月後に、最終報告書が利用可能になる。

<被災状況>
2009年12月25日から2010年1月10日まで何日間か続いた激しい、持続的な降雨は、Skadar湖とBojana川の劇的な水位の増加を引き起こした。これにより、Ulcinj自治体の川の近くに住む人々と、湖の近くに住む人々、Bar自治体、Golubovci自治体に甚大な被害をもたらした。Kurilo,Rijeka Crnojevica, Ada Bojanaの住民といくつかの近隣の村の住民が、その家畜や所有物と共に避難しなければならなかった。たった24時間で、Rijeka CrnojevicaにあるSkadar湖の湖水は、洪水で100cm以上も上がり、多くの家屋に洪水をもたらした。

水位はまだ増加しており、もしこのまま続けば、危機的状況にある地域の住民だけでなく、Moraca川の水位もまた上がっているため、Golubovci自治体に住む人々にも、より多くの深刻な人道的被害をもたらすかもしれない。 

激しい降雨は他の町でも起こり、Montenegroの大陸部分、NiksicとDanilovgradの自治体でも多くの村で洪水が起こり、危機的状況にある。

この状況は甚大な物質的被害をもたらした。推計では、20の集落が危機的状況にあり、100世帯450人が影響をうけた。ビルへの物質的被害は水位が低下してからのみ評価される。現在、集落には電気がなく、冷蔵庫や冷凍庫に保管していたすべての食物がダメになった。また、穀物や畜牛が失われた地域もある。

状況は刻々と悪くなっており、被災した人々のニーズは増えてきている。ここの人々は主に畜産をしているが、今は洪水により畜牛の多くが失われたり、水におぼれたりしてしまった。これが状況をさらに複雑にしている。

<ニーズ>
被災地域に住む人々は緊急的に、避難所、衛生製品、と生理用品、飲み水と食糧を必要としている。激しい降雨は続いているため、状況は悪化している。被災地域の住民は避難しなければならなかった。

現在では、緊急人道的支援を必要としているのは245世帯ある。被災した人々は深刻な状況に直面している。家には電気がなく、飲み水や基本的な食糧や衛生製品がないからだ。すべての家財道具は損傷し、つまり人々は食事を用意したり、基本的な衛生状態を保ったりなどの日課が行えなくなっているからだ。

激しい降雨により起こされた洪水のすぐ後で、赤十字のチームは現場で、地域と国の保護救援サービスとともに状況評価をしている。彼らは共同して被災民と、その緊急状況下での基本的ニーズの予備リストをつくった。先に示されたように、被災民(245世帯、1100人の受益者)のニーズは複雑で、十分な量の食糧、飲料水、毛布、ジェリー缶(燃料などを入れるための19リットル缶)衣類、ゴムブーツ、レインコートが供給されることを必要としている。

受益者のグループの年齢と地理的位置は以下のように分類される。

図はhttp://www.reliefweb.int/rw/RWFiles2010.nsf/FilesByRWDocUnidFilename/MUMA-7ZN46F-full_report.pdf/$File/full_report.pdfを参照ください。

この事業で到達されるべきすべての人民のうち、3パーセントの人が障害を持っていて、7パーセントの人が慢性的に病気である。




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2010年01月15日

CRSからの救援がハイチに到着

CRSからの救援がハイチに到着

情報源: Catholic Relief Services (CRS)
2010.1.15

CRSからの救援物資がハイチのPort-au-Princeに到着しようとしている。CRSは物資保管場所から食料や水などを提供準備しているところである。追加の救援物資もドミニカ共和国から運ばれてきている。
CRSは、支援額を2、500万ドルまで増加させようと計画しており、現状は、ニューヨークの野球チームやBill & Melinda Gates Foundationからの寄付を含め600万ドル以上をすでに受け取っている状況である。
すぐに追加救援物資である小麦やオイルが届くようになっており、すぐに配給する予定である。
近くのドミニカ共和国では、CRSが5万人分の食料パックを準備しているところで、そこにはビスケットやジュース、ソーセージやナッツ類など様々な食料が含まれている。また、水を蓄えられるコンテナや浄化剤、調理器具などの供給準備も進めている。
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