2007年07月18日

イラク:続いている暴力は性別の役割の交換を引き起こす

バグダッド、2007年7月18日(IRIN)−2003年まで、Salwa Khatab Omarは、2人の運転
手によって運転される車を乗り回し、バグダッドの彼女の家の隣のトレーラーハウスに住む、少なくとも
3人の守衛によって、付き添われていた。彼女は、多くの責任もなく、なかなかよい生活をしていた。

しかしながら、2003年、アメリカが率いている侵略以来、元陸軍長官の妻であるSalwaは、自分が
ほとんどすべての責任を負っていると気付いた。

私の夫は、他の前政権職員のように狙われる恐れのために、まったく家を出る事ができない、と4人の
母である、51歳のKhatabは言った。

“以前にはないように、私達は、他の家事を行うのに付け加えて、私達の息子や娘と、学校や大学へ
一緒に付き添っていかなければならない”とKhatabは言った。彼女は、彼らは家を離れなければなら
ず、だれも父親と彼の経歴を知らない場所へ、家を借りて移らなければならない“と言った。

イラクの男たちは、伝統的に一家の担い手である一方、ほとんどの女性が、家の中の他の仕事の面
倒を見る。

しかしながら、イラクの絶え間ない、とくに、男性に対して脅威を与えている暴動は、女性に、より多く
の家庭の責任を負うことを強いる。−“性役割交換”と呼ばれる現象と、専門家たちは言う。

“妻が働き、家族を養っている間、家で座っているだけの男性を私達の社会では尊敬しない”とバグダ
ッド大学の家族と子供の問題の研究者Nasser Muhssinは言った。“この現象は、絶対に父親の
役割を弱くし、父親に対する子供たちの尊敬を減らしてしまう家庭も現れるでしょう。それは、既に、
荒廃した社会に、悪影響を与えるでしょう”とMuhssinは付け加えた。

暴動で、主に男性が殺された。

2006年2月、バグダッド北部の、シーア派にあがめられている寺院の金のドームが、爆破された時
以来、イラクの2つの有名なイスラムの宗派は、宗派間の殺人の悪循環に突入した。

重視されているイギリスの医療ジャーナルによって、昨年出版された研究、Lancetは、イラクでの暴
動に関連した死91%が、男性達であることを発見した。

物議を醸しているのが、イラクの世帯に基づく研究で―実際に死体数を数えたわけではないが―約6
55,000人のイラク人がイラクでの3年間の衝突で亡くなったと主張している。死傷者数の見積もり
が、他の独立した統計と比べると、10倍以上である。

女性が死亡した親類の死体を集めている

2週間前、36歳の主婦で、4人母親であるFawziya Ibrahim Mohammedは、彼女は、バグ
ダッド都心の、主要な死体保管所に、彼女の兄と2人のいとこの死体を求めるために、行かねばなら
なかったとき、恐ろしい体験をした。“3人は、絶対にシーア派の市民軍によって誘拐され、殺されたの
であろう”と彼女は言った。

3人は、伝えられるところによると、南部バグダッドの、シーア派が優位を占める警察のゲリラ隊員によ
って要員を配置された検問所で拉致された。そして、過激派で、多くの殺人を非難されている聖職
者Muqtada al−Sadrに忠誠を尽くすal−Mahdi軍に引き渡された。

彼らの、弾丸で穴だらけになった死体は、足と手を縛られた状態で、翌日、道に捨てられているのが
見つかった。彼らが激しく苦しめられた痕があった。

“彼ら(シーア派の民兵)は、スンニ派の男達が死体を回収するとき、彼らをまた誘拐するために、死体
保管所の近くに、いつもいる。私達は男たちをこれ以上失いたくない。そして、それが、私が危険を冒
す理由である。私は1人で行くのは初めてだったけれど。”

反対に、シーア派の男たちは、誘拐されたり、殺されたりしないように、スンニ派市民軍が 活動的で
ある、スンニ派の優勢な地域を通って行くことをやめた。

先月、Abdul−Zahra Nassir Jumaaは、シーア派がいつも彼らの死体を埋めている場所であ
る、バグダッドから、約200キロメートル南のNajaf南部の町へ,彼の息子の葬儀行列に、行くことが
できなかった。

“バグダッド南部のスンニ派が優勢な地域、スンニ派の市民軍がシーア派の男たちを、誘拐したり、す
ぐに打ち首にしたりする場所を通過しなければならなかったから、私達は、スンニ派の運転手と共に、
女性たちだけを送った“と、55歳のシーア派の老いた父親、Jumaaは言った。

Muhssinは言った。−多くの男たちは、国から逃げた。または、家や刑務所で、人目につかないように
している。それにより、より多くの責任が、未来には、女性たちに移行されるでしょう。

もし、安全状態が悪化することが続いたら、私達は、タクシーやトラックの運転手として、働く女性たち
を見るでしょう。彼女らの多くは、店や技術者、機械工として働くでしょう。

sm/at/cb
[END]

IRINの報告書の抜粋は、Relief Webに知らされる。より多くのIRINのニュースと分析は、
http://www.irinnews.com
で見つけてください。

この記事は、必ずしも、国連とその機関の見地を反映していない。使用許可条件は、IRINの著作
権ページを参照してください。

情報源:United Nations Office for the Coordination of Humanitarian Affairs
     -Integrated Regional Information Networks (IRIN)
原文URL:reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します
タグ:女性
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2007年06月06日

アフガニスタン:戦争、貧困と無知は子供たちへの性的虐待をあおる

KANDAHAR、2007年6月6日(IRIN)― Abdul Kabir、彼の本当の名前ではないが、彼は
親戚のために働き、近隣のKandahar地方の学校へ通うため、アフガニスタンの南部、Urozgan地
方の家を離れた。

6ヶ月後、12歳である彼は、性的虐待を受けた後、少年院にいた。

“私の親戚は、彼の店で、仕事を私に与えるのを取り下げた後、私は、二人の男が私を1日50Afhg
ani(US$1)で建設工事のために雇った労働市場へ行った。彼らは、私を空き部屋へ連れ込み、そ
こで、彼らは2人共無理やり私と性行為をした。”とAbdulは逃げ出そうとする前の、3ヶ月間、監禁さ
れていた鮮明な記憶を思い出しながら、言った。

しかし、Abdulの悪夢はそこで終わらなかった。無料でUrozgonへ彼を連れて行くと約束した運転手
も、又、彼を虐待したと、彼は言った。結局、Abdul Kabirは、彼がかつて日雇い労働として働い
た、ポピー畑への帰り道を見つけることができた。

そこで、Abdul Kabirはポピー畑で働いていた、他の若者にもレイプされそうになったと言った。“しか
し、私は彼の腹部を刺した”とAbdul Kabirは言った。− その動きは、地元民が彼を警察に戻すこ
とを促した。

知られていない被害者

アフガニスタンのIndependent Human Right Commission(AIHRC)によりと、Kandahar
地方だけで、現在、14人の子供に性的虐待のケースがあり、そのうちの5件は、調査が警察へ委ね
られた。

しかしながら、専門家は、報告されていないケースの大多数があり、これは、氷山の一角に過ぎない、
と言う。様々な社会規制のため、多くの数え切れない報告されていない他のケースがあることに疑う余
地はない“とKandaharのAIHRCの顧問である、Shamsuddin Tanwirは言った。

子供への性的虐待の29%だけが、実際に登録された、と性的虐待へのAIHRCとSave the Ch
ildoren Swedenの共同レポートは、暴露した。

Herat西部地方の14歳のある少年は、レイプされたが、警察が彼を刑務所へいれることの恐れから
前へ出る事ができなかった、と言った。

Kandaharの主要病院のヘルスワーカーは、IRINに、毎月、3人から5人の性的に虐待された子供
たちが、医学治療を受けていると話した。

“被害者たちは、肉体的な治療を受ける事ができたけれど、精神的な傷跡は、長期の間、残るでしょ
う”、とGhulam Mohammad Sahar医師は言った。 

そして、地方の主都、Kandahar市の2箇所の病院の、100人以上の医療スタッフは、性的虐待に
苦しむ子供たちを受け入れ、治療するための訓練を、受けているが、明らかにもっと多くのことがなされ
る必要がある。

刑罰規則の欠如

タリバンがアフガニスタンを統治していたその間、子供との性行為を含む不法な性行為は、犯人へ厳
しい、死刑の判決すらをも、もたらした。

2001年後半にタリバン政権が崩壊した結果、アフガニスタンは、その古い市民法と刑罰法を再導
入した。― しかしながら、両方とも、未成年の性的搾取特別項目を欠いている。

427項のアフガニスタンの刑罰規則は、姦通に対して、長期間の投獄を決めている。子供たちを性
的に虐待した者達は、現在、刑務所に居、この事項によって、判決なされた。これは、6から10年の
拘留の判決を下すことができる。

しかしながら、AIHRC’S Tawwirの、被害者の弁明によると、虐待者の24.3%だけが実際に投
獄されている。そのことは、人権グループに、子供への性的虐待と搾取への法を制定し、精力的にそ
れを実行するための、政府への訴えを促している。

しかしながら、人々がそうしたことについて話すことすらさえぎってしまうほどの、子供への性的虐待から
連想される汚名と不名誉。それを思うと、実行は困難なままでしょう。

“私は、両親が私を殺すだろうという恐れにより、私に起こったことを、両親へは思い切って話そうとはで
きなかった。”首都カブールの15歳のレイプ被害者はIRINに話した。

多くのアフガニスタンの両親たちが、多くの性的虐待が家庭内で起こっているにもかかわらず、彼らの子
供たちと性行為について話し合うことをみだらで、失礼な事として、考えていることを、国連子供緊急
基金(UNISEF)は、見つけた。

“40%の性被害の子供たちは、家で、性的虐待を経験する。そこは、彼らが、安全であるべきであ
る。”カブールのUNICEFで子供保護をおこなっている、イズミノリコは、言った。

黙認、危険、そして貧困

UNICEFといくつかのNGOは、学校の教師たちを訓練したり、音声教材やビデオ番組を広めたり、
子供保護ネットワークを設立し、強化したりして、子供への性的虐待への気づきを公衆へ広めるため
の道を開いている。

“もし、両親たちが、彼らの子供たちに、家の外で、大人たちへどのように接するか、見知らぬ人への接
近を避けること、を教えたとしたら、ある程度、望まれない事件を減らす事を助けるでしょう。”Babrak
 Zadran カブールのAIHRCスタッフメンバーは勧めた。

子供への虐待には、多面的な要因があり、一つは、蔓延する貧困である、と専門家は言う。

AIHRCによると、46%を超える、性的な虐待を受けた子供たちは、みじめな貧困下に住み、それは
彼らを、様々な搾取に対して、特に無防備にしてしまう。

ホテル、店、他の公共施設で働く子供たちは、性虐待の危険に直面するだけでなく、彼らも又、肉体
的精神的暴力に直面する、と国の人権を見守る機関は見つけた。

アフガニスタン人権活動家で、MPであるShukria Barakzaiによると、過去の25年間、国の大部
分は、絶え間ない戦争と暴力に苦しんだ。またそれらは、国の物理的崩壊だけでなく、人権への尊厳
がほとんどない、戦争の蒙昧主義文化をもたらした。

”特に、南部での国の政治と安全の状態を考えると、私は、子供に関する一般的な保護問題が、ま
すます難しくなってきていると思う。“とUNICEFのイズミは結論づけた。


この記事は、国連、もしくは、その機関の見解を、必ず反映されるわけではない。IRINの著作権ペー
ジの使用条件を参照

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2007年05月31日

ボランティアの医師らは、アフガニスタンに発つ

ニューヨーク市から、双子の外科医は、カブールの病院へ6月1日に発つ

(ポーランド、オレゴン州−2007年5月31日)その地方で不安定さが増す中で、メディカル・チーム・
インターナショナルと共に、2人の医師たちは、地雷爆破と、他のトラウマの負傷に苦しむ、アフガニスタ
ンの子供たちを治療するために、アフガニスタンのカブールへ向かった。ニューヨーク市の双子の外科医
―心臓病専門医と、泌尿器科専門医−は17ヶ月ぶりに、この国へ2度目の訪問をする。

医師、VinceとVance Mossは、4週間滞在する予定をしており、Tanghi Saidan Commu
nity Health Clinicで、病院の構造改革的な手術を行い、またヘルスケア提供者を最新の外科
処置について訓練するつもりである。

医師たちは、カブールの医療診療所で、リハビリ設備を設立することに役立っている。モス兄弟は、添
え木、包帯、松葉杖、折りたたみ式車椅子などの医療供給物資$10,000以上相当の寄付を
集めた。―それらは、彼らが6月2日に到着するときに運び込む。医療供給物資と設備と薬は地方に
は存在しておらず、危機的な不足のため、患者は、しばしば手足と、動きやすさを失う。

“アフガニスタンは、再建と復興を続けており、モス兄弟の働きは、多くの希望と助けをもたらすでしょ
う。特に、子供たちへの地雷爆破の苦しみと、他の人びとが、外科治療へのアクセスがなかったこと
へ。”“彼らの働きは、地方の医療専門家を、彼らが人々へおこなう治療の質を改善するためにも助け
る。”と、Medical Teams International の国際発展計画の指揮者、Brian Heidelは話
す。

Medical Teams Internationalは、コミュニティの開発を通して、アフガニスタンと、アフガニスタン
の家族の再建を目的にしている、カブールに本拠を置く救済組織であるMorning Star Develop
mentとこの任務のために提携している。
Medical Teams Internationalは2001年11月から、戦争によって引き裂かれている中で活
動している。国は、ソビエト侵略、絶え間ない内戦、繰り返されるタリバンによっての攻撃、何年もの干
ばつに耐えた。―――過去30年間。市民の争いは、ばらばらになったほとんど訓練されていない専門
家のヘルスケアをもたらした。Medical Teams Internationalはアフガニスタンの人びとの必要性
を満たすため、医療供給物資の輸送とボランティアの医療チームを通して、活動している。当局は、2
008年の間に、アフガニスタンに9つのチームを送ることを計画している。

―30−

連絡先

Barbara Agnew
503−624−1022(直通)
503−341−6620(携帯)

情報源:Medical Teams International
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2007年05月03日

地域の人びとがアフガンの学校を見張っている

国を超えて多発する、放火攻撃へ立ち向かう事ができない政府は、学校と子供たちを保護するため、一般市民の助けを求める

Sayed Yaqub Ibrahimi in Mozar-e-Sharitによる(APR No.239,19-Jan-06)

モハメド・ガルは、かつて教師になることを夢見ていた。13歳のとき、ヘルマンドの問題の多い、南方地方のMaarja地方にある高等学校へ行った。そこで、彼は、大学へ行けるよう、良い学位を得るために、熱心に勉強した。

それは、州当局を徐々に衰退させることを求めている反乱者によって放火された―彼の学校が、昨年、全焼する前であった。
“私は、私の夢をかなえられるとは思っていない” “もし、政府が学校を再建したとしたら、タリバンは、再び学校を燃やすでしょう。これが、私達すべてがどのように感じているかです。政府は、学校のためにテントを供給したが、私達は、テントと共に燃やされるのではないかと恐れている。”と、 モハマド・ガルはIWPRに話した。

モハマド・ガルは、ちょうど、未来が、アフガンでの学校攻撃の風潮の増加によって危険にさらされている、何千もの子供たちのうちの一人である。

過去何年間か間に、100以上の学校が全焼された。これは、大統領ハメド・カーザイの内閣の、主要な目標の一つとはうらはらに、脅かす。

国内中、しかし、特に南部地方で、タリバンの崩壊の後、すばらしいファンファーレの幕を開けた学校は、静かに閉鎖された。なぜなら、両親と生徒たちは、武装した反乱者からの報復を恐れている。ほとんどの人は、特に、女子の安全な学校教育への原理主義者達の対立を引用して、タリバンを責めている。様々な代弁者達によってなされた陳述の中で、タリバンは、これらの攻撃の実行を否定した。

誰が学校を放火しようとも、それはアフガニスタンの新たな世代への教育に広く行き渡った否定的な衝撃を与える。

正確な統計は、得難い。しかし、ほとんどの専門家たちは、すべての就学機関の子供たちの半分が、現在、入学を許可されたにすぎないと見積もっている。

アフガン保安部隊は、問題によって打ちのめされた。そして、政府は、それがすべてのその学校を保護するための許容量を欠いている、と率直に認めた。

“警察の数には限りがある。”と内務省の代弁者、ザルマイ・バシリは言った。“だから、今、民間人が、彼らの学校を警察が守ることを助けている。”

バシリは、教育保護委員会へ、言及している。−グループは、彼ら自身の学校を防御するために、コミュニティーを結集するために、政府によって設立された。

モハメド・セディク・パトマン、教育大臣代理は、IWPRに、委員会は彼の省によって、共同で計画された、と話した。アフガン防衛内務大臣、そして、国家保安省、両方の地区は、地区政府主任によって配置された、中央委員会を持つでしょう。地方保安長官、教育監督、牧師、村の長老、それから低い水準で、副委員会、地方のコミュニティーからメンバーを新しく入れる村や学校、貯水池地域の住民らは、夜間学校を守るために、代表者を選ぶでしょう。

それは、最も攻撃が起こる時間である。攻撃の事件の中、彼らは、地方住民たちに、警報機、又は、電話の音によって、警報するでしょう。

パトンによると、過去の問題は、地方の人びととの強調関係がなかったことによる、ということである。住民らは、保安部隊が彼らを守ることを期待した。だから、彼らは、彼らの学校のための責任を考えてはいなかった。

今、中央当局が学校を安全に守ることができない。地方の人びとが、彼ら自身でそれをしなければいけないだろう。

パトマンは、その新しい計画がすでに実を結んだと言った。

“私達は、過去の数ヶ月の間、より少ない攻撃しか見ていない”と彼は言った。“さらに、試みがあった時、地方の人びとは、地方当局との協力関係によって攻撃を防ぐ。”

先月のヘルマンドでの一つのこのような出来事の中で、委員会の護衛たちは、反乱者たちが学校を焼き払おうとした時、村人たちに警告した。

“彼らはすべて、現場に押し寄せ、そして、火を防ぐだけでなく、攻撃者らを捕らえようともした”とパトマンは言った。地方住民は、労働でも財政でも、貢献している。もし、彼らが、彼らの学校を防ぐことへの交替要員導入ができなかったら、彼らは、している人々へ資金を供給する。ほとんどの学校は、当番で、2〜3人当てるでしょう。ナザール・モハンマド、アフガニスタン北部のBalkh地方のチャムタル地方の住民は、計画が実行していることに、賛成した。

過去数年間、私達の学校のいくつかは、火を放たれた。と彼はIWPRに話した。“私達は、すべて、私達の子供らが傷つくのではないか、と懸念している。”

村人たちが、安全を供給しているので、彼は言った。両親らは、たとえ攻撃が起きようとも、確実な休憩を取ることができる。損傷、怪我を防ぐために、誰かが回りにいるでしょう。

“3つの村人たちは、私達の子供たちが通っている学校を守っている。”と彼は言った。“私達は、彼と働いている。そして、私達は、もし、必要であれば、彼らを助けるでしょう。私達は、すべて、警察の電話番号を持っている。そして、もし、何か起こったら、私達はとてもたやすく彼らに連絡を取ることができる。”安全を確保するのに最も良い方法は、態度を変える事である、と彼は議論する。

マウラウイ・アブダル・マクスッド Sar−r−pul地方のSayyad地区の、そして、北部のその場所で、いくつかの学校は、過去数ヶ月に火をつけられた、と彼は言った。彼の同僚たちは、攻撃への参加から人びとを思いとどませるための教えと、宗教のキャンペーンを始めた。

”戦争の間、アフガニスタンの敵は、学校は内輪の場所である、と人びとに話した。そして、彼らは、いくつかの感受性の強い若者が学校を放火、するために使っている、と話した“と彼はIWPRに言った。“しかし、私達は人びとに、これが本当ではないことを伝えるべきだ。”

アブダル・マクスッドによると、聖職者たちは、彼の意見を信じ込ませるための祈りの会合や、結婚のような大きな集会を使うに違いない。

ダラム・ハイダー・カヌーン、Balkhの教育監督代理は、ほとんどの地方の教育保護委員会を周り、それらは、成功するであろうと、楽観的である。

この男性は、彼が多くの他の地区が同じことをしていたということを知っている、と付け加えた。

“もし、政府がもっと早くに、彼らが学校を守ることができなかった、と話したら、私達はすでに歩みを取れ、学校は、焼かれなかっただろうに”と彼は主張した。“私達は何をするかを知っている。”

Sayed Yaqub Ibrahimi はIWPRMazar-e-Sharifの報道陣である

情報源:セーブ・ザ・チルドレン
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タグ:教育
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2007年01月25日

アフガニスタン:ビジネスを始める女性が増加

2007年1月25日 ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティ(RFE/RL)
−アフガニスタン北部の町マザリシャリフでは、女性が自らビジネスを始めだしまし
た。このプロジェクトは、同国の女性課題省により強力に支援されています。同省
は、現在男性に支配されている分野を女性が担い、女性が経済的に自立することを望
んでいます。

この数週間のあいだに、マザリシャリフでは、数人の女性が自らの店舗を開き、手工
芸品・化粧品・衣類を販売し始めました。
新しい始まり
これは、アフガニスタンではめずらしい光景であり、−アフガニスタンでは、何年に
もわたって、女性は家庭外での生活を禁止されていました。−これまで男性の分野と
考えられていたところへ女性を進出させる小さな試みなのです。

女性が店主として働いたり、男性にできることが女性にもできると知って、大きな関
心と喜びが女性の間に広がっています。新しく店主となったBibi Roghyaさんはにぎ
やかな市場の中に小さな売り場を構え、アフガン女性が作った伝統的な衣類を販売し
ています。

Roghyaさんによりますと、彼女や彼女の仲間の仕事についてなんらかの非難はありま
すが、たいていの人はこの新しい動きを歓迎しているそうです。「10%ぐらいの人
は女性の店主に賛成しないだろうけど、残りの90%ぐらいは私たちを歓迎している
わ。」「多くの女性が喜んでいて、女性が商品を販売する大きな市場がほしいと言っ
ているのよ。」とRoghyaさんは述べました。

さらなる自立
女性の中には男性の店主からよりも女性から買うほうが気持ちがよいという人もいま
す。この動きは男性にも歓迎されています。マザリシャリフの住民Wakeel Ahmadさん
は女性がお店を営むのを見て感動したといいます。

「私は女性の店がここに2軒あるのを見ましたよ。女性がビジネスをしているのを見
て、とてもうれしく思っているよ。これは良い方向性だね。女性の店がもっともっと
増えて、女性の生活が楽になることを望むね。」とAhmadさんは話しました。

批判はありますが、それはこのプロジェクトを止めさせるほどのものではありませ
ん。

この町の主たるモスクでの祈祷の中心者となるAhmad Shah Ansariさんは、正式なイ
スラムの衣装を着けずに女性が公衆で販売を行うことは、適切ではないと語りまし
た。「現状では、女性はお店を開くべきではありません。イスラム法では、イスラム
のベールをつけるという条件の下で男女にビジネスを行わせています。しかし現在の
こちらの状況では、女性はお店を構えることができません。」

拡大のための計画
しかし、女性課題省は、ビジネスを営み、経済的に自立する女性が増えるよう支援す
ることを決定しています。

アフガニスタン女性課題省の上級広報官であるKarimeh Salekさんは、同省が今後
数ヶ月間、女性が店舗を開くことを応援するとRFE/RLに語りました。「マザレでは女
性が店主となることが許されているのです。バーミヤンでも女性が自らの店舗を経営
しています。バーミヤン中から女性が集まり、必要なものを女性から買うことをとて
も楽しんでいます。私どもは、これを全国34州に広げたいのです。もちろん、治安
の安定している州においてです。カブールの女性のように女性に店舗を持たせたいの
です。女性の広場(カブールにある市場)では、女性店主の店が約20あります。」


Salekさんによりますとこのプロジェクトはタリバン政権の名残りから解放し、−タ
リバン政権下では女性は学校や職場から除外されていました。−女性に対する社会の
態度や考え方を変えようとする同省の取り組みの一環なのです。

また、女性に対する家庭内暴力の削減にもつながるとSalekさんは考えています。
「家庭の経済状況が良くなれば、暴力は少なくなるのです。」「家庭の経済状況が悪
ければ、緊張や争いや暴力が起こり、女性の権利は侵害されます。」

希望の高まり
アフガニスタン北部と比べると、マザリシャリフでは女性は比較的自由を享受してい
ます。

それでも、このプロジェクトは女性に勇気と未来への希望を与えるものだと、マザリ
シャリフにあるRFE/RLのラジオ・フリー・アフガニスタン特派員Zohreh Safiさん
は、話しています。
「女性が店主として働いたり、男性にできることが女性にもできると知って、大きな
関心と喜びが女性の間に広がっています。」「これはとても良い動きであり、女性の
勤労意欲を高めています。」

女性課題省のSalekさんはこのプロジェクトがアフガニスタンの他の地域における女
性の状況に影響を与えることを願っています。「暫定政権の樹立以降、女性の地位は
少しずつ向上しています。力によって物事を受け入れさせることはできません。」
「ある州で女性が成功するのを見て、他の州においても状況は、変化していくでしょ
う。」

観測筋の多くは、アフガニスタンの女性の権利は、今後の治安に大きく左右されると
考えています。

情報源:ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティ(RFE/RL)
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2007年01月19日

地域の人びとがアフガンの学校を見張っている

国中で多発する、放火攻撃へ立ち向かう事ができない政府は、
学校と子供たちを保護するため、一般市民の助けを求める

Sayed Yaqub Ibrahimi in Mozar-e-Sharitによる(APR No.239,19-Jan-06)

モハメド・ガル(Mohammad Gul)は、かつて教師になることを夢見ていた。13歳のとき、
問題の多い、ヘルマンド(Helmand)南方地方のMaarja地方にある高等学校へ行った。
そこで、彼は、大学へ行けるよう、良い学位を得るために、熱心に勉強した。

しかし、彼の学校は、昨年、全焼してしまった
―州当局を徐々に衰退させることを求めている反乱者によって放火されたのだ。

「私は、私の夢をかなえられるとは思っていない」「もし、政府が学校を再建したとしたら、タリバンは、
再び学校を燃やすでしょう。これが、私達皆がどのように感じているかです。政府は、学校のために
テントを供給したが、私達は、テントと共に燃やされるのではないかと恐れている。」と、 モハマド・ガル
はIWPRに話した。

モハマド・ガルは、まさに、未来が、アフガンでの学校攻撃の風潮の増加によって危険にさらされて
いる、何千もの子供たちのうちの一人である。

過去何年間か間に、100以上の学校が全焼された。これは、大統領ハメド・カーザイ(Hamed
Karzai)の内閣の、主要な業績を覆す恐れがある。

国内中、しかし、特に南部地方で、タリバンの崩壊の後、鳴り物入りで開校された学校が、静かに
閉鎖された。なぜなら、両親と生徒たちは、武装した反乱者からの報復を恐れているからだ。ほとんど
の人は、特に、女子の非宗教的な学校教育への原理主義者達の対立を引用して、タリバンを責め
ている。様々な代弁者達によってなされた陳述の中で、タリバンは、これらの攻撃の実行を否定した。

誰が学校を放火しようとも、それはアフガニスタンの新たな世代への教育に広く行き渡る否定的な
衝撃を与える。

正確な統計は、得難い。しかし、ほとんどの専門家たちは、すべての就学年齢の子供たちの半分が、
現在、入学を許可されたにすぎないと見積もっている。

アフガン保安部隊は、問題によって打ちのめされた。そして、政府は、自身がすべてのその学校を保護
するための能力を欠いている、と率直に認めた。

「警察の数には限りがある。」と内務省の代弁者、ザルマイ・バシリ(Zalmai Bashiri)は言った。「だか
ら、今、民間人が、彼らの学校を警察が守ることを助けている。」

バシリは、教育保護委員会に言及している。−彼ら自身の学校を防御するために、コミュニティーを
結集するために、政府によって設立されたグループだ。

モハメド・セディク・パトマン(Mohammad Seddiq Patman)、教育大臣代理は、IWPRに、委員会
は彼の省(教育省)とアフガン防衛内務省、国家保安省の共同で計画された、と話した。それぞれ
の地区は、地区政府主任、地方保安長官、教育監督、牧師、村の長老が配置されている中央
委員会を持つ。

それから低い階層で、地方のコミュニティーからメンバーを募集した副委員会がある。村や学区の
住民らは、夜間、学校を守るために、代表者を選ぶ。それは、最も攻撃が起こる時間である。
攻撃が発生した場合、彼らは、地方住民たちに、警報機、又は、電話の音によって、警報する。

パトマンによると、過去の問題は、地方の人びととの協調関係がなかったことだ、ということである。
住民らは、保安部隊が彼らを守ることを期待した。だから、彼らは、彼らの学校についての責任を
負わなかった。

今、中央当局が学校を安全に守ることができない。地方の人びとが、彼ら自身でそれをしなければ
いけないだろう。

パトマンは、その新しい計画がすでに実を結びつつある、と言った。

「過去の数ヶ月の間で、攻撃回数は減ってきている」と彼は言った。「さらに、攻撃があった時、
地方の人びとは、地方当局との協力関係によって攻撃を防ぐ。」

先月のヘルマンドでの一つのこのような出来事が起きたとき、委員会の護衛たちは、反乱者たちが
学校を焼き払おうとした時、村人たちに警告した。

「村人たちは皆、現場に押し寄せ、そして、火を防ぐだけでなく、攻撃者らを捕らえた」とパトマンは
言った。地方住民は、労働かお金で貢献している。もし、学校を交代で守ることができなかったら、
彼らは、守っている人々へ資金を供給する。ほとんどの学校は、当番で、2〜3人当てる。

ナザール・モハンマド(Nazar Mohammad)というアフガニスタン北部のBalkh地方のチャムタル
(Chamtal)地方の住民は、計画が成功していることを認めた。

過去数年間、私達の学校のいくつかは、火を放たれた。と彼はIWPRに話した。「私達は、皆、
私達の子供らが傷つくのではないか、と懸念している。」

村人たちが、安全を供給しているので、と彼は言った。「両親らは、たとえ攻撃が起きようとも、
安心していられる。損傷、怪我を防ぐために、誰かが確実に回りにいるでしょう。」

「3人の村人たちが、私達の子供たちが通っている学校を守っている。」と彼は言った。「私達は、彼ら
と働いている。そして、私達は、もし、必要であれば、彼らを助けます。私達は、皆、警察の電話番号
を持っている。そして、もし、何か起こったら、私達はとてもたやすく彼らに連絡を取ることができる。」

宗教指導者達は、より精神的なアプローチをしている。「安全を確保するのに最も良い方法は、
態度を変える事である」 と彼らは主張する。

マウラウイ・アブダル・マクスッド(Maulawi Abdul Maqsood)は、同じく北部にあり、いくつかの学校
が、過去数ヶ月に火をつけられたSar−r−pul地方のSayyad地区のイスラム聖職者だ。彼と彼の
同僚たちは、攻撃への参加から人びとを思いとどませるための宗教の教えのキャンペーンを始めた。

「長年の戦争の間、アフガニスタンの敵は、学校は異教徒の場所である、と人びとに話した。そして、
彼らは、感受性の強い若者たちを学校に放火するために使っている、と話した」と彼はIWPRに言っ
た。「しかし、私達は人びとに、これが本当ではないことを伝えるべきだ。」

アブダル・マクスッドによると、聖職者たちは、彼らの意見を伝えるために祈りの会合や、結婚のような
大きな集会を使わなければならない。

グラム・ハイダー・カヌーン(Ghulam Haidar Qanoon)、Balkhの教育副理事は、ほとんどの地方の
教育保護委員会を周り、それらは、成功するであろうと、楽観的である。

「委員会が設立されたときには、人々は学校を守るために、進んで守護役を決めあい、ほとんどの村
で、文化的・宗教的な宣伝活動を開始した。」グラムは言った。「人々は焼き討ちされた学校を再建
すらした。再建された学校は、今や以前より良くなった。」

しかし、懐疑的に評するものもいる。何しろ、市民警備員は武器を与えられていないのだ。

「手ぶらでは何もできない」と、Balkhの新聞編集者のジャン・モハンマド・ハビビ(Jan Mohammad
Habibi)は言った。「学校で寝ている、数人の人達は武装した攻撃者に勝ち目はないだろう。政府が
本当に学校への放火を止めたいのなら、政府は市民警備員たちを合法的に武装させなければならない。」

内務省の代弁者のパトマンは言った。「もしそれが必要だと証明されれば、当庁が警備員に武器を
供給しましょう」

しかし、ここ重武装された社会では、大勢の人々が自分で事を運ぶ決意をしている。

「もし政府が私達を武装させてくれるまで待っていたら、決して何も起こらない。」Balkh地方のチャー
ボラック(Charbolak)地区のある匿名の警備員が言った。「武器は家に持っている。夜、学校を守る
ときには銃を持っていく。今は自分自身も、学校も守れるという自信があるよ。」

この男性は、彼が多くの他の地区が同じことをしているということを知っている、と付け加えた。

「もし、政府がもっと早くに、彼らが学校を守ることができなかった、と話したら、私達はとっくに対策を
講じられ、学校は、焼かれなかっただろうに」と彼は主張した。「私達は何をすべきかを知っている。」


Sayed Yaqub Ibrahimi はIWPRMazar-e-Sharifの報道陣である

情報源: Institute for War and Peace Reporting (IWPR)
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タグ:子ども 教育
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2007年01月16日

アフガニスタン代表、紛争地帯の学校とユニセフプログラムを訪問

ニューヨーク、アメリカ、2007年1月6日―Catherine Mbengue氏は、ユニセフのアフガニスタン代表に
なって数週間しかたっていないが、特に女子と女性の教育に関して、ユニセフが何をしているのかを
視察するために、国を見学している。

国連は、近年、アフガニスタンで悪化している治安に関して発言した。「これは、絶対的に重大事項で
ある」とMbengue氏は賛成している。 「しかし、国でなされているすべての進歩にも目を向けましょう。」

Lagman地方でMbengue氏は、子供たちがテントで学んでいるFarmankheir小学校を訪れた。ユニセフ
とそのパートナーが常設の学校構造を建てているためだ。学校は頻繁にアフガニスタンで闘争中の
派閥によって攻撃されているので、これで著しく安全性が高まるだろう。

「誰も学校がなぜ標的にされているか、定かではない。」とMbengue氏は言う。「しかし、学校は進歩の
象徴であり、変化であり安定さである。だから、アフガニスタンを不安定な状態に維持したいこれらの
軍事力は、メッセージを送るためにこの方法を選んでいるかもしれない。」

女子の教育は重要
西部アフガニスタンのヘーラトで、Mbengue氏は、女性のための読み書き能力センターを訪れた。
「アフガニスタンじゅうに、このようなユニセフによって支援されているセンターがある」と彼女は言う。
「女性が互いに集まり、何かを学ぶことのできる場所がある。これはたいしたことがないように聞こえ
るかもしれないが、アフガニスタンのような国では命を救う。」

Mbengue氏は女子の教育―ひいては大人の女性の教育―は、どの社会の未来の進歩への重大な
構成要素となる、と、すばやく指摘している。

「もし、女性たちが教育されたとすれば、彼女らは、よりうまくまとまった世帯をもつことができ、自身の
手で子供たちをより健康に、より安全に、より教育を受けさせて育てることができるでしょう」と彼女は
言う。「そして、教育を受ければ、女性たちはもっと、彼女ら自身で小さいビジネスを始めたり、経済的
に貢献したり、一家の稼ぎ手になりうるのである。」

スタッフメンバーが攻撃され、負傷

教育プログラムへのMbengue氏の訪問は、ある程度、学校と教育者たちへ過去数年間にわたって
起こった攻撃―2006年だけで、120件を超えた―への対応である。

昨年5月に起こった1度の攻撃で、ロケットで駆使された手榴弾は、Badghis州のヘーラト市の外で、
ユニセフのプロジェクト職員である、カセム・ナザリを運んでいた乗り物を襲った。ナザリ氏は2001年
からユニセフで働いていた。攻撃で、他に車の中にいた運転手と医師の二名が殺された。そして、
ナザリ氏をひどく負傷させた。

「私は右足を失い、そして、左足に大けがを負った。」とナザリ氏は言う。「私は車の下を転げ回り、
救助を待った。そして、救助はおよそ3時間後に到着し、私をヘーラト病院へ連れて行った。」

ナザリ氏はとヘーラト、カブールで治療を受けた。そして最終的に、ドバイで、彼は左足を救われ、
リハビリを受けた。彼は、再び、自宅で未だ回復途中にあるが、仕事に戻ることを熱望している。

「アフガニスタンで私達は非常に厳しい状態で働いている。しかしユニセフでは、私達はどんな状況の
中でも、女性と子供たちと共に働くということを決意している。私達は、強くそれを望んでいる。」とナザリ
氏は主張する。「今、アフガニスタンのいくつかの場所の子供たちと女性たちは、世界で最も困窮した
渦中にいる。私は、彼らを助ける機関に属していることを非常に誇りに思っています。」

より多くの救援の必要性
教育は、世界的にユニセフの中で優先されるべき鍵となる。そして、アフガニスタンも例外ではない。
「特にこのような場所で、学校を継続させることと、コミュニティーを失望させないことが、今までに私
が行った、進歩を維持するための方法である。」とMbengue氏は言う。

ユニセフの代表は、アフガニスタンがいくつかのユニークな困難な挑戦に直面していると認めている。
この理由のために、彼女らは、教育と他の自発性を援助するための、追加的救援ドナーとパートナー
に訴え続けていた。

「私達は今年度のためにすでに計画したプロジェクトを進行させるために必要な資金の50%に達した」
と彼女は言う。「残りの50%が必要である。」

情報源:UNICEF
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2006年12月19日

イラン:地震による壊滅的被害から3年 瓦礫の町バムで新しい学校を建設

3年前の12月26日、地震により壊滅的な被害を受けたバムの町では、古代の砦が崩壊し、
2万6千人が死亡、3万人が負傷、そして7万5千人が住む家を失った。

少なくとも85%の建物が倒壊したが、これには、119の保健センター・診療所・病院、そし
て131の学校も含まれており、約2万人の子供たちが学校を失った。
バムは、イランにある断層の上に位置しており、イランは世界で4番目に災害に脆弱な国と
されている。

しかし、ついに、9つの学校、2つの診療所、1つの整形センター、そして道路救助センターが
国際赤十字赤新月社連盟(国際連盟)の資金援助により、瓦礫の中から現れた。地震3周
年目となる日の前日にバムにて公式に落成式が行われた。

「私は、素敵な椅子があるピンク色の壁の学校をずっと夢見ていました。いま私の夢が本当
になりました。」とMarefat小学校の8歳の生徒は述べた。「ずっと遠くにあるものだと思って
いたものが、突然目の前に現われて。こんなに早く学校ができるなんて思ってもみません
でした。」

建設作業が行われている間、新しい学校は、コンテナの臨時教室で勉強していた生徒全員の
夢であった。今や、モダンな施設を備えた新しい学校の落成により、この夢はついに現実のも
のとなり、教師や親にとっても大きな喜びとなったのである。

緊急援助後の復興期においては、国際連盟は、学校の建設を最優先とした。そしてバムにお
いて、5つの一般校と障害を持つ生徒のための3つの特別校と1つの複合モデル校を含む
計9つの学校の建設に貢献した。

5つの一般校は、2006年9月に完成し、教育省に引き渡された。また、障害を持つ生徒のた
めの3つの特別校は、2006年11月末に完成、Arg-e-Bam複合モデル校は、完成まであと
わずかである。

国際連盟により建設された学校の落成式は、2006年12月6日にArg-e-Bam複合モデル校
で開催された。落成式で生徒・教師・親たちは、「私たちのことを覚えていてくれてありがとう!」
「私たちのことを忘れないでいてくれてうれしい」「国際赤十字赤新月社連盟の支援に感謝しま
す」と書かれた垂れ幕を掲げた。

生徒・教師・親、イラン赤新月社及び国際連盟の代表を含む約200名がこの式典に参加。
また、イラン・イスラム共和国教育副大臣、アイルランド駐イラン大使、ケルマーン州知事、
バム知事も出席した。

そのほかにも、アイルランド・日本・スウェーデン・オランダ・台湾の赤十字からの代表が国連
機関や国際機関の代表とともに出席した。

イラン赤新月社理事長であるKhatami博士は、スピーチの中で国際連盟と各国赤十字社・
赤新月社の貢献に謝意を表した。

「2003年12月26日にバムの地震で多くの人が亡くなりましたが、人道の精神は、生き残って
いることを知りました。」と同博士は述べた。

「バム地震の被害者の方々、特に生徒たちに人道支援を提供できたことは、私どもにとって光栄
であります。」と国際赤十字赤新月社連盟のIbrahim Osman副事務総長は述べた。「私は、これ
らの学校が、地震の後にすべての人によって示された高貴な人道精神の証として、永遠に残る
ことを心から希望いたします。」

ドナー団体を代表して、Anthony Lawlorアイルランド赤十字社副理事長は「若者はイラン国民
の多くを占めております。バム地震により若者は教育施設を奪われました。ですから、この生
徒たちの教育を支援する良い機会であると考えました。私は、私どもが行った支援に誇りを持
っています。イランにはこの支援に値する才能のある若者がたくさんいます。」と述べた。

Bourbourイラン教育省副大臣は、この復興プログラムに関し国際連盟に深い謝辞を表した。

同氏は「教育部門への投資は、その国の未来への投資であります。私どもは、国際連盟によ
るバムの教育部門への支援は、イラン国民の未来への多大なる貢献であると考えております。
人生において最も困難な時期にあった地震被害者に対する国際連盟の貴重な援助を私ども
は、決して忘れる事がないでしょう。」と述べた。

式典で最も感動的な場面となったのは、3つの特別校で学ぶ予定である視覚および聴覚障害
のある生徒の演技だった。これらの生徒は、歌を歌い、新しい学校を与えてくれたドナーに感謝
を表す手話を発表した。式典後、参加者は校内を見学し、生徒や教師から心からの歓迎を受
けた。

9つの学校のうち、Jihad, Farhanghian, Montazeri, Kafi, Shamsaddiniの一般校はオーストラリア・
ドイツ・オランダ・アイルランド・カナダの各国赤十字社とオーストラリア政府の資金提供により
建設された。

Marefat, Maharathaye Herfeye Peyvand, Eng. Taheri Hanjaniの3つの特別校は、日本・ノルウェ
ー・スウェーデン赤十字社の資金提供により建設された。

Arg-e-Bam複合モデル校の建設には、オーストラリア・アンドラ・カナダ・クロアチア・ドイツ・アイ
ルランド・日本・オランダ・ニュージーランド・ノルウェー・モナコ・ポーランド・スウェーデン・台湾
赤十字社とオーストラリア・アイルランド・スウェーデン政府が資金提供を行った。

国際連盟は、学校のほかにも都市保健センター・道路救助センターを中国赤十字社香港支部、
ベルギー・ノルウェー赤十字社、マレーシア・カタール赤新月社の資金提供により建設した。

情報源:国際赤十字赤新月社連盟
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タグ:地震
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2006年10月30日

アフガニスタン:干ばつ地域の農民、緊急援助求める

[このレポートは必ずしも国連の見方を反映したものではない]
【マイマナ、10月30日】
アフガニスタン北西部のファリヤブ(Faryab)州の農民たちが冬を生き延びるための支援を
必要としているという。厳しい干ばつのせいで今年の作物は枯れてしまったからだ。

農民達の求めは、政府及び国連アフガニスタン支援団(UNAMA)が先週、ドナーに呼びか
けた緊急支援要求に続いて出された。
不作のせいで、パシュトーン・コット(Pashtoon Kot)県のアリ・モハマッド(Ali Mohammad)
氏(45歳)のような農民は、やせ衰えた家畜を売らなければならなくなった。2ヶ月前に
作物が枯れて、家族を養うためにそうしなければならなかったのだ。

「豊作の年だと900キロ近くできる小麦が、今年は70キロしかできなかった。あと一ヶ月も
もたずに飢えてしまうだろう、それに冬はもうすぐだ」モハマッド氏は言う。州都の市場で
何十人もの他の農民たちと家畜を売ろうと押し合っているところだ。

カブールの農業・家畜省によると、北部及び北東部の州では、干ばつによって天水栽培の
小麦の55パーセント(2005年比)が損害を被った。

小麦の生産は穀物総生産の80パーセントを占めており、急激に減少すると見られている。
公式の推定では、2005年の総生産は370万トンで、穀物総生産は480万トン(国内需要は
約600万トン)と見られている。

ファリヤブ州には100万人が暮らす。90パーセント近い農地が雨水に頼っているため、
干ばつで特に大きな打撃を受けた。推定18万人の農民が水のない状態に追いやられた。

「今年は雨が極端に少なかったので、農民たちは天水栽培の小麦の80パーセントを失っ
たんだ」とマイマナ市(Maimana)にあるファリヤブ州農業・家畜局(the provincial agriculture
and livestock department of Faryab)の局長アッサドゥラー・バハル(Assadullah Bahar)
氏は言う。

州の多くの地域では過去12ヶ月にわたって、浅い井戸の水や伝統的なため池―たいてい
飲み水や家畜用に使われている―はほとんど干上がってしまった。

「州内で40パーセント近くの家畜が売り払われ、人々は雄牛や羊などの家畜を近隣のジョ
ージャン州(Jawzjan)やマザリシャリフ(Mazar-e Sharif)で売ろうと移動し続けた」とバハル
氏は続けた。

すぐに支援がない限り、困窮した農民たちは他の方法で生計を立てたいと思うようになる、
ともバハルさんは強調する。

「農民は絶望的な状況で、緊急に支援を必要としている。そうでなければ、彼らの多くが不
法のケシ栽培へ走る恐れがある。そうなると大規模な人口移動が起こるのは確実だ」と
彼は語る。 

先週、政府と国連アフガニスタン支援団が、干ばつの被害を受けた190万人と、最近の同
国南部の紛争で避難民となった2万世帯の緊急ニーズをまかなうため4300万ドルの支援
を要請した。

「この要請は極めて一刻を争うものである。あらゆるドナーに対し、即時に寛大な反応を示
すよう訴えたい。」と、国連事務総長アフガニスタン特別代表代理(deputy of the Special
Representative of the United Nations Secretary-General to Afghanistan)アメーラ・ハク
(Ameerah Haq)氏は言う。

当局によれば、同国の3000万人の人口のうち半分以上が貧困線以下で暮らし、推定
650万人が季節的あるいは慢性的に食料不足状態にある。

農村復興開発省(MRRD)は、世界食糧計画(WFP)と協力し、最貧困層を支援するために
活動してきた。

「これまでに21の州で90件のフード・フォー・ワーク・プロジェクトを実施してきた。今後、
干ばつの被害を受けた人々に2万トンの混合の食糧を配給する。」と、同省のスポークス
マン、アブドゥラヒム・ザリン(Abudrahim Zarin)氏はIRINに語った。

けれども、IRINが接触したファリヤブ州の多くの農民は、まだ何ももらってはいないと不満
をもらし、家族を養うためにはケシ栽培に走るしかないと言う。

「どこからも支援は来ない。家族を養うために残された方法はケシ栽培だけだ。ケシが育
つのに水はほとんどいらないし、小麦より高く売れるんだ。」35歳のアジズッラー(Azizullah)
氏は言う。彼はファリヤブ州グルジワン県(Gurziwan district)の農民だ。彼も、残った家畜
をマイマナ市で売るのだ。


情報源:UNOCHA-IRIN(国連人道問題調整事務所・統合地域情報ネットワーク)
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タグ:旱魃
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2004年12月23日

未だ早急な援助が必要とされる地震に襲われたバムの市民

Farshid Motahari, 2004,12,23
バム・イラン―昨年12月の壊滅的な地震の1周年行事のためイラン大統領モハマド ハタミは南東部の街バムを訪れる予定である。

道はきれいに清掃され、プレハブハウスのようなコンテナが目立っている。地震で苦しめられた住民は、少なくとも大統領には笑顔で元気に見えるよう努力している。

一日前は、すべての物が全く違う状況だった。数百もの住民がプレハブハウスや冷蔵庫、暖房器具、銀行預金の許可を得ようと、多くの書類を手にしてバムの市役所に集まっていた。
しかし、ほとんどの人は他の日のアポイントメントしか得られず、役人をののしりながら帰って行った。

バム出身の62歳女性Marzieの話では、「私が移動できるトイレが必要だと言うと、役人はフォルクスワーゲンをすぐに組み立てるからと言った。」

「賢人のあなたよ、私の孫がトイレに行かねばならない時に、私はフォルクスワーゲンをどうしろというのでしょうか。」と女性は加えていった。彼女はトイレがコンテナの近くになく、隣人に借りなければならない状況にあった。

特別貿易地区アルゲジャディッド (荒廃した街の中心にあるオアシス)には、年間約20.000台のフォルクスワーゲンが組み立てられている。

「2006年3月までに、現地住民のために約5,000の新規雇用機会が設けられる。」と、この計画の技術監督の1人Mehdi Abtahiは言った。

現在約800人のバム市民が、その工場で働いている。組立作業員のAsqarは「もし長期間この仕事を続ける事ができれば、その時我々労働者は少なくとも神とドイツ人には感謝する。」と話した。

フォルクスワーゲンのような計画は、19歳のSoraya Behzadiには重要ではない。地震発生時、彼女は崩壊する家から生後まもない自分の赤ちゃんを連れ出そうとしたが、途中で落としてしまい、頭を地面で強く打った。現在1歳になるが、身体に障害を抱えている。

医者によると、その障害は今でも治す事は可能である。しかし若い母親には莫大な治療費を支払う余裕がないのだ。「もし彼らが治療費を援助してくれなければ、その時私の赤ちゃんは単なる肉の塊になってしまう。」と、絶望する彼女は嘆いた。

ヨーロッパ連合(EU)はバムに治療や医薬が無料の医療センターを建設した。しかし、3月にヨーロッパの人々が去ってからは、1人のイラン人の町医者がこのセンターを管理している。

その若い医者は残業するだけではなく、高価な専門的治療を必要とする複雑な症例を扱うことが出来ないのだ。

「この大惨事の規模をみくびるべきではない」とバムの市長Amin Baqeri は言い、「私たちは出来ることは何でもするが、すべての要求に応えることはできない」と付け足した。

市役所は住民に対する無利子4,000ドルか年間利子率10パーセントの8,000ドルの信用貸しを計画している。

30,000以上のプレハブ住宅はすでに住民に割り当てられ、電機や水は2006年3月まで無料のままである。

高校教師のAhmadiはバムの政府と住民両者の立場を理解している。

「役人は災害に対してあまりにも一般的見解しか持ち得ていなかった。それゆえに彼らの結果にもそれが現れた。しかしあらゆる運命の背後には、かたくなな官僚制度だけでは扱いきれないのが、人間というものだ。」

彼はまた、バム市民の続く苦難が、バムから近隣の街への移住を引き起こす可能性がある。そして、移住はバムが必要とする以上に高くつくかもしれない。」と警告した。

テヘランはこの問題をよく知っている。1980-88のイラクとの戦争に続いて、イラクに接している州からの多くのイラン人が首都に移住した。それ以降テヘランの人口はほぼ2倍となった。

渋滞や環境汚染といったテヘランが抱える問題のいくつかは、もはや財政的に解決する事はできない。

バムから州都であるケルマーンへの移住は、すでに始まっています。「不運にも、我々はこの移住を認識はしている。」とバム市長は言った。

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情報源: 新華社通信

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タグ:地震
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2004年12月15日

日本大使 緒方貞子さんのインタビュー

アフガニスタン特別日本大使であり、東京の日本国際協力機構理事長を兼務する緒方貞子氏はインタビューの際、経済を上昇させるためには経済基盤となる道路や橋、送電線などの発達のために資金源として高額の寄付の必要性があることを述べました。

日本は戦争の被害にあったアフガニスタンへの経済的援助を実施している主な国の一つであり、現地の元戦闘部隊の軍備縮小を率先して支持する国です。
緒方氏は1991年から2000年まで国連難民高等弁務官として任命され、アフガン大統領であるカルザイ大統領就任に出席するため現地に滞在していました。また、緒方氏は国内の難民問題の状況を視察するために南部のカンダハル地方も訪れました。


質問:アフガニスタンへの視察を行われましたが目的はなんでしょうか?

応答:日本はアフガニスタン復興に向けて多くの寄付を行っております。今回の視察の目的といたしましては、どれだけ日本が貢献し、アフガニスタンが変化を成し、次に必要とする物資は何なのかを知るために行ったと言えると思います。

どれだけ復興が進んできているのか心から感じるために、以前2002年6月に訪れたカンダハルを再び訪れました。町の復興した眺めに大変驚きました。以前ここは深刻な紛争が起こった後で、倒壊した建物によって埃がたちこめており、修理の必要があったことを思い出しました。

ところが、今週訪れ、目にしたこの町は美しく道路が舗装され、汚い道路はありませんでした。修復や建設された学校や病院が立ち並んでいました。また、解隊された前戦闘員だった人々は職を見つけておりました。自立した生活を送るために助けが必要な人々はあまりおりませんでした。

質問:緒方さんが訪れた南部地方での難民キャンプの社会的地位をどのように評価されますか?
応答:そのことが一番難しい問題でした。なぜならば、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が正確な数や状況を把握しているとは思えないからです。私達は、この問題に注意を向け、難民問題を解決するための政治の一部に深く関心を寄せています。身元確認ができたならば、出身地に帰すことができる様、常に援助しています。

まず、指揮官を通して交渉を行うことで、彼らの安全を保証します。

前回マザールを訪れ、Mr. DostumとMr.Atta(北の軍事的指導者Dostom長官とUstad Atta)やその他の人々と共に、彼らの元で働く戦闘部隊が迷惑や土地の横領を起こさないことを約束するということを確認するため、この安全保障の問題を取り上げました。


私たちは北部の状況を合法化したり安定させてあげなければなりません。私は自分の故郷へ帰りたいと願っている人々は助けられるべきであるので絶対にあきらめたくはありません。


質問:今回の選挙後の時期における援助の優先事項は何だと思われますか?

応答:教育や健康、その他の社会の基本となる地域社会の構築への取り組みは平行して続けていくべきです。
一方、日本は水を引くことで水の供給をすることに焦点を当て、地方自治体の発展の促進を図ろうと思います。そして今日ではより経済面でのニーズを考える時期にきています。
その他にも国の構築過程において更なる配慮を必要としている多くの側面があります。例を挙げるとすれば、安全保障の問題です。つまり、安定したセキュリティーを促進するためにカブールやその他の地域に外国からの軍隊が滞在しています。
私の見解を申しますと、アフガニスタンの軍隊の編成はとても改善されたと思います。
お話を聞かせていただいた警備訓練に関しては望まれていたようには進んではおらず、更なる警官の訓練は国の安定を助長させると考えています。

日本が約束した援助金は10年間で総額10億米ドルですが、支払った金額は8億5000万米ドル以上になります。全ての額が支払われた後も、援助金は再見する必要があるでしょう。

質問:アフガニスタンに住む女性のために東京が優先して行っていることは何でしょうか?

応答:私は、田舎に生活する女性のために、基本的な読み書き能力と、教育、健康管理を優先すべきであると考えています。特に大規模な識字運動が必要でした。私は女性の地位の向上に関心をもっている国連や日本のNGO団体、そして政府にアピールしてきました。

質問:日本は元アフガニスタン戦闘員の解隊に力をそそぐ先導国ですが、緒方さんは今までのところ満足しておられますか?

応答:私は部分的には満足できると言えます。なぜなら、少なくとも、公式的なDD(軍備縮小、武装解除)過程が素晴らしい結果を出しています。また、兵士たちへの待遇がとても深刻で、得に彼らに職をもたせることや再訓練をすることになると、ことさらに扱いが厳しくなるといえるでしょう。戦闘部隊を中心とする再統合のプラグラムを持たなければなりません。だんだんと変化していますが、まだまだ多くの労力が必要です。


質問:アフガニスタンの視察の中でもっとも抜きん出て発達しているものは何でしょうか?

応答:まず言えるのが選挙でしょう。選挙を行うことは、たくさんの地域の人々が自分たちの生きていく将来を決めるために自分達の権利を活用しようとしている表れです。
復興の点から言えば、最もわかりやすいのは道路でしょう、舗装されてとてもきれいです。カンダハルからカブール間の道路は以前ありませんでした。現在では1000万から1500万台も車が毎日走り、そのことが地域社会生活や経済的生活に変化をもたらしました。このことが最も明らかな発展と言えるでしょう。

質問:新政府に対して意見はありますか?

応答:カルザイ大統領自身が、良く効率的で堕落せず新規構想を目指す良い政府をかかえなければならないとおっしゃいました。この点においては少なくとも強い政府が必要です。国民が信頼する政府です。中央集権から州や地域へと行政的な能力を構築することもまた重要な側面です。

それと同時に、より良い生活と同様にさらなる経済的再建をするためには、ダム等の大規模なインフラの建設(経済基盤の建設)おこなう必要があると思います。

質問:今年国連が指摘したアフガニスタンでのケシ(アヘンを採るケシ)の耕作の増加について、どのようにお考えですか?

応答:このことはアフガニスタンに対する悪いイメージを生みだしてしまったと思います。国際社会も取り組むべきです。しかし、アフガニスタン政府は全てのレベルで取り組むべきです。なぜなら悪いイメージを与えるからです。

原文URL:http://www.reliefweb.int


情報源:地域統合情報ネットワーク

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2004年10月22日

試用段階にあるアフガニスタンの新しい教科書

近代化した教科書は新学期までの秒読みの時期になって実地テストの段階に入っている。

カブール ― 2004.10.22
2004年の学年が終わりに近づいてきて、アフガニスタンの教育者たちはすでに次の3月に始まる新学期にも注意を向けている。それは11の様々な科目の真新しい教科書が日曜日(10月24日)から実地でテストされ始めるということである。
この実地テストはアフガニスタンと国際的な専門家たちのチームがあらゆるレベルの小学校の生徒たちのためのカリキュラムの内容と教科書を改訂し、最新のものにし、書き直してきた1年以上にわたるプロセスの最後から二番目のものである。このテスト段階から出てきた意見は、次の年、アフガニスタンの全ての学校に紹介する前に行う教科書の最終的な変更を促すものとなる。

この実地テストは国内の都会も田舎も含めて10の県の54ヶ所の学校で行われる。教員の養成者や教育監督官などの18人の監視員は、1年生と4年生の実際の教室の場で新しい教科書が使われる様子を見て、新しい教科書の効果を観察し、補助教材としての有効性を評価する。意見は先生と生徒の両方から集められ、アフガン教育省の中の編集翻訳部局内に拠点を置く教科書開発チームに対して最終的な勧告が行われる。

アフガニスタンの教育上の発展における重大な制約の一つは指導と学習の教材の質の悪さである。数年間の教育に対する低い投資と教育的な向上からの隔離状態によって、アフガニスタンの教育システムは時代遅れの指導訓練に頼るものになってしまった。それは多くの生徒たちを励ましたり、学習意欲をそそらせたりすることのないものだった。新しい教科書は、先生と生徒の間の相互の影響を大きく強調し、科目の主題について生徒達が語り、考えることを促すように作られている。新しいデザイン、挿絵、そしてグループワークや教室討論などの近代的な授業法が新しい教科書にはいろいろと組み込まれている。

およそ500万人の生徒達が、大多数は小学校レベルであるが、2005年に入学すると思われる。新しい教科書はこれらの生徒たちのための教育の質を高める極めて重要な教材として先生たちに与えられることになり、またアフガンの家庭に認知される教育の重要性を大いに増加させることになるだろう。アフガニスタンで子ども達が学校へ通わない理由の一つとしてしばしば挙げられるのが、教育が提供されることに対して家庭が懸念を示しているということなのである。

教科書の発展はアフガニスタン教育省と教育大学、コロンビア大学のアフガニスタン人5人で構成されたグループ、2人の国際的な専門家と科目のコンサルタントである専門家の技術的な支援によって進められてきた。財源はデンマーク開発機関DANIDAとUNICEFから提供された。

原文URL:http://www.reliefweb.int

情報源: UNICEF

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2004年07月21日

平和のための地雷除去活動は、元戦闘兵を再統合する

多くの元戦闘兵たちは今、国連が支援している主な武装解除、動員解除、社会復帰プログラム(DDR)の一環として地雷除去活動に参加している。これまでに国全体で700人以上のこのような元戦闘兵たちが、アフガニスタン国連地雷除去活動センターに参加している。

「このプログラムは今まで一度も試されたことがなかったので、国際的視点から見てとても興味深いプログラムです。」と、UNMACAのDDRプロジェクトマネージャーであるフィル・ランカスター氏が、水曜日にアフガニスタンの首都カブールでIRINに述べた。このプログラムは、調停を含み、心理社会的、識字能力、基礎的な教育問題に焦点をあてた公の社会復帰努力の一部としてこのようなプロジェクトが試されている初めての機会である、と彼は説明した。
UNMACAは、平和のための地雷除去活動(MAFP)プロジェクトを通じて、元戦闘兵を募集している。これはコミュニティーにある地雷除去を通じて、元戦闘兵たちに質の高い社会復帰政策を提供するためのDDRプログラムの一部である。

ランカスター氏によると、その目的はより多くの地雷除去ではなく、人々の社会復帰を助けるためである。彼は、地雷除去は人々が彼らのコミュニティーのために役立つ仕事をできるようにするために使われている、と言った。

「私は地雷除去作業員としてここで働いて、私の家族、コミュニティー、国のために働いていることが今とても快適で幸せです。」と、地雷除去作業者として今働いている27歳の元戦闘兵であるMohammad QasimがIRINに言った。彼は、DDRが始まる前は妻と3人の子供たちと貧しい生活をしていた、と説明した。彼は市民軍の基地で兵士として働いていたが、今は武装解除し、家族を容易に扶養することができるように社会復帰した。

このプロジェクトは、元戦闘兵たちに少なくとも12ヶ月の雇用を保証し、地雷を除去するだけではない。元戦闘兵たちにとっては、識字教室に出席したり、職業訓練やコミュニティー動員訓練を受けたりする機会も与えられている。最も重要なことは、元戦闘兵たちが自分達のコミュニティーに戻り、人々のために地雷を取り除くのに生命の危険をおかしていることである。

ランカスター氏は、このことが作り出すコミュニティーの支援は、社会復帰プログラムの中で自信を持つ手助けをすることである。

「このプロジェクトは、クンドゥズ、パルワン、カブール、マザール、カンダハールの5つの地域で行われている。」とランカスター氏は言った。これまでに約700人の元戦闘兵たちが参加し、200人以上のスペースと財政支援がある、と彼は記している。

このプロジェクトは、日本とヨーロッパ委員会からの寄付により支援されている。

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情報源:地域統合情報ネットワーク

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2004年07月05日

北部地域を不安定にしている土地紛争

何千人もの難民は、家へ戻ってみて、地方の司令官達が自分達の所有地を取り上げていることに気付く。

土地の所有権をめぐる紛争、難民の帰還、地元の民兵の司令官によって続く土地の強奪、アフガニスタンはこれらの数の増加にみまわれている。
北部では、地方の司令官による武力で所有地が奪われたと何百人もの人達が言っている。土地をめぐる銃の撃ち合いでは一人が殺された。
暫定政権はこの問題の調査をして、土地紛争を扱うカブールの特別法廷を設立するためにこの地方の首都マザリシャリフに政府の派遣団を送った。
しかし、地方の司令官や、資金提供者や保護者として役立っている地方の将軍に対抗するのに、中央政府はいまだ弱すぎる。

土地の所有権についての問題は近年いくつかの理由によってより論議を呼ぶものとなってきた。その理由とは、23年間の戦争が何百万人もの人々を追い立てたこと、土地の権利書が失われてしまったこと、公的な行政機関のシステムと民法の大部分が崩れてしまったこと、などである。干ばつと地雷は安全で肥沃な土地の必要性を強くした。

国外生活の年月を送った後、難民達は自分達が所有していると思っていた土地が他の人のものとされていることを戻ってきた今気付いた。
多くの場合、難民の土地は武力で個人の土地を奪い続けている地方の司令官によって分配されていた。彼らだけの法律によってこれらの地方の司令官は政府と他の公的財産をも私物化していた。

「大部分が地元の司令官によって土地を強奪されたと言っている、今現在で8000人以上の難民が助けてほしいと我々のところへやって来た。」とマザリ・シャリフのノルウェー難民委員会の委員長Mohammad Arif Rizaiは言った。
「しかし、殺し屋が関わる事件が法廷に持ち込まれると、合法的な判決が妥当な結果をもたらすことはない。」と彼は言った。

5月にマザリで起きた事件では、町の南方約5キロにある土地をめぐる衝突で一人の男が殺され、2人が負傷した。
2人の対立する民兵がこの撃ち合いに関わっていて、それぞれがその土地は自分のものだと言っていた。
警察はこの土地は政府のものだと言い、地元の農民は自分のものだと言った。

「私はこの土地で30年間働いてきて、法的な権利書も持っている。」と、ここで農業をして10人の家族を養っているSayeed Isaqは言った。

地元の司令官達は人々の土地の権利を平気で無視するだけでなく、紛争を解決するために、自分達の私的な法廷―非合法の“委員会”―を設立していた。
当然のことながら、この“委員会”で取り扱われた判決のほとんどは、この会を作った地元の司令官の味方をしている。

「これらの委員会は問題を解決せずに、より多くの問題を生み出している。」とバルヒ州の裁判所長のAbdul Manan Mawlawizadaは言った。
裁判システムが“政府や裁判所の中の道徳的に腐敗した人々”の問題を克服することに失敗したということをMawlawizadaは認めている。この失敗は衝突と流血の惨事を引き起こしてきた、と言った。

土地の権利を管理する適切で公正なシステムを実施するように試みる際の主要な問題のひとつとして、アフガン社会において銃の入手の可能性が広がっていることも彼はとがめた。

4月には司令官に土地を奪われたと主張する500人の人々がこの状況を訴えるために州知事の所にやってきて面会を求めた。しかしこれまで当局は何の行動も起こしていないと彼らは言っている。

Habibullah Habibバルヒ州知事代理は、土地所有権紛争を簡単にまた迅速に解決することはできないと言った。
張り合っている当事者たちが、自分たちがこの土地の正当な所有者だと示す書類をしばしばでっち上げることができていると彼は言った。

州の新しい計画では2万家族を再定住させるように努力し、地元の司令官によって前もって再分配された40パーセントの土地を帰還難民に与え、彼らが新生活を始められるようにすると、Mohammad Yunus Moqimマザリ・シャリフ市長は言った。
「この計画の実行によって、バルヒ州の難民問題は解決するだろう。」と彼は述べた。

その間に、法務省からの代理人を含むカブールからの派遣団はマザリ・シャリフにおいて、政府や公的な土地の強奪について調査し、個人の土地所有権について明白にする方法を調べている。

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情報源:Institute for War and Peace Reporting

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2004年06月30日

子ども兵の武装解除における国連の進捗状況

国連児童基金(UNICEF)は、20年以上にも渡る戦争によって荒廃した国、アフガニスタンで、8,000人以上の子供兵を動員解除させるための活動を続けている。

「現在までに動員解除した子供たちのうち1,700人以上が、復帰プログラムを受けている。」と、UNICEFのスポークスマンであるMohammad Rafiが、アフガニスタンの首都カブールでIRINに述べ、多くの子供たちが今、教育、職業訓練コース、自分たちの故郷での収入向上支援を受けている、と説明した。

2004年2月にこのプログラムが始まって以来、14歳から18歳の2,203人の子供兵たちは、クンドゥズ,バダクシャン、タクハール、バグラン、バーミアン、ラグマン、ナンガハール、ヌーリスタンを含む8つのアフガニスタンの地方で武器を取り上げられ、除隊させられた。

子供兵の武装解除活動は、国内で10万人の元兵士をターゲットにした国連が支援している主な武装解除、動員解除、社会復帰プログラム(DDR)と平行して行われている。

そのパートナーと協力しているUNICEFは、元子供兵が、教育を受け、軍事生活の代わりとなるものを作り出すことができるように、コミュニティーを基本とした復帰プロジェクトを実行している。

Rafiによると、その活動は2段階に分けられる。第1段階は、子供たちがプログラムの間に適正を評価され、登録し、医師の診察を受ける。第2段階では、子供たちは教育や職業訓練を含む軍隊生活に代わる永続性のあるものを与えられる。

動員解除のプロセスは、より大きなコミュニティーによる所有権を保証するために、家族および地元のコミュニティー組織を巻き込んだコミュニティーレベルで行われている。

全ての動員解除された子供たちは医学および心理学的な診察を受け、地雷の危険、薬物の乱用、HIV/AIDSの予防、基本的な健康教育に関する説明会に参加する。その後、兵役の状況や社会復帰プロセスへ導くための選択肢を含んだプロファイルが、それぞれの子供たちのために作成された。それぞれの武装解除された子供兵は、個人のID番号とIDカードを与えらている。

UNICEF職員は、元子ども兵を含めたそのプロセスの第2段階では義務教育への登録、職業訓練、実習を含む社会復帰の可能な選択肢の概要をNGOと議論していくと記した。すべての訓練の選択肢には、武装解除した子供兵の76%が義務教育を受けていないので、識字能力訓練の要素が含まれている。

子供兵の武装解除活動は、東部の地方ではまだ続いており、2004年の終わりまでに、中央アフガニスタンの6つの地方と、北部の5つの地方に広がることが期待されている、とRafiが付け加えた。

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情報源:国連地域情報ネットワーク(IRIN)

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タグ:子ども
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2004年05月27日

アフガニスタンの安定は国際的な支援次第−国連当局者

「数十年に渡る戦争を抜けだし、平和への道を妨害している民兵に取り組み、信頼できる選挙を9月に行うための国際的援助をアフガニスタンは必要としている。」今日国連の上級当局者は述べた。
「テロリズム、派閥主義、そして犯罪者ネットワークなどアフガニスタンの変わらぬ苦悩は、2年前と同じようにおきている。そして国家建設や真の政治的過程を覆す彼らの能力はほとんど減退はしていない。」と国連支援団(UNAMA)長官Jean Arnaultは安保障理事会に語った。

「アフガニスタンの平和の過程にとって、この危機的な時期における対テロリズム、選挙の安全、対麻薬、軍閥闘争の抑制などについて国際的な治安支援は成功と失敗の違いを生じる。」と彼は言った。

訓練や資金援助そして他の一般的な形での援助は重要ではあるが、アフガニスタンにとっては十分ではないとArnault氏は述べた。「国内の治安部隊を支援する広範囲にわたる強力な国際平和維持軍の駐留が必要不可欠である。」

治安の“地図”は地方において少しの変化があっても周知のパターンで実行されてきたが、より危険な地域では状況は悪化している。特に南部では事件とその犠牲者数は明らかに増加している。選挙課程に対する暴力的妨害の度合いはまだ判断しがたいが、登録作業が農村部に及ぶときには警戒がとられてきた。

アフガニスタンには確固とした選挙の伝統が欠けてはいるがおおかたの住民の動員がなされてきた。5月初めから約100万人の人々が登録し、登録された有権者の総数は270万人に達するだろう。最初の予想に反して、有権者登録が都市中心部以外に拡大していっても女性の参加は衰えることがなかった。「これには勢いがある。ここには期待がある。」とArnault氏は言った。

同時に、投票は公正なものと考えられなければならないと彼は警告した。「このプロセスが偏っているとか、ゆがんでいると受け止められたら、深く希望を失墜させることになるだろう。それは、アフガン人の中での違いが平和的な政治手段によって解決されるという希望である。」国際社会と同様にアフガンの指導者たちはこのプロセスの正当性を確保しなければならない、と彼は言った。

一般的な、そして特に選挙プロセスに対する安全は結局のところアフガンの責任である。しかしアフガン人が国際支援なしに責任を負うことはできない、とArnault氏は強調し、NATOの国々に対してアフガン国民と以前交わした約束を遵守することを要求した。

原文URL:http://www.reliefweb.int

情報源:国連ニュースサービス

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2004年04月30日

バムでの震災支援続く

2003年12月26日早朝にイランの古都を襲ったこの地震は、街と周囲のコミュニティにひどい打撃を与えた。現在もこの地域は危険の真っ只中にあるが、このバムでの災害がニュースに取り上げられることは減っていっている。まだ危険な状況は続いているのである。

家屋や学校、診療所も含む、バムの建物の87%が倒壊した。この地震による死者は約3万人から4万人にものぼり、負傷者は約3万人、そして8万人を超える人々が家を失った。

バムの学校の約90%は完全に倒壊してしまった。修復できる範囲を超えそうな打撃をうけ、その被害はまだ続いている。40kmから90km遠く離れていない限り、校舎は被害をうけて使い物にならなくなってしまった。

ベルギー政府の支援を受けて、UNICEFは400を超える"School in a Box"(学習キット)を提供した。これには1キットにつき80人 分の教材が入っている。

被災地域の経済的見通し、深刻な打撃を受けた人々の生活手段、援助は震災前のレベルになるまで長い間必要とされる。

災害から4ヶ月が経過した今日、バムでは道沿いか指定されたキャンプ地にテント集落を集めるようになっている。仮設住宅の完備までに避難所を提供していることは、大きな物流の課題がある。(すべての人々に欠かせない水、下水道、電気設備を備えていて、現時点に適した住宅の建設にどのくらい時間がかかるのかがはっきりしないのである)

UNICEFとそのパートナーの支援によって、バム市民の基本的ニーズのほとんどが満たされていっており、そして見た目では日常生活が被害に打ちのめされたまちからゆっくりと取り戻されようとしている。

バム市とケルマン州の人々の支援に、今までにおよそ2200万ドルがUNICEFによって集められている。

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情報源:国連児童基金

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タグ:地震
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2004年04月08日

アフガニスタン:地震情報公報 No.01/2004

状況

4月6日午前1時55分(アフガニスタン現地時間)、パキスタン国境付近のアフガニスタン北東部のヒンドゥークシュ山脈でマグニチュード6.6を計測する強い地震が起こった。最初の調査報告書によると、Jurm地方(Nowa村)で3件とYangaan地方(Hazrat村)で2件の5件の家が壊れた、とされている。Associated Pressが報告した未確認の死亡者を除いては、死傷者は報告されていない。4月6日の朝に始められた被災地でのUNAMAとアフがニスタン赤新月社共同の調査は、進行中である。

震源は、カブール北部約275kmの州都ファイザバードの南、Badakhshan地方のJurm地域だった。その揺れは、カブールの町も揺らし、アフガニスタンやパキスタンのほかの中心地でも感じられた。入手した情報によれば、Jurm地域は約7万6千人の人口を持つおよそ175の村で構成されている。

赤十字社と赤新月社の活動

アフガニスタンの赤新月社のスタッフとボランティアは、被災地に駆けつけ、最初の調査を始めたUNAMAに加わった。最初の日のうちにアフガニスタン赤新月社のチームは、JurmとYangaanの2つの地域と5つの村(Nawa、Hazrat、Argo、Deshan、Teshqan)の調査を行った。一方連合の補助的な派遣団員は、必要な救援活動のために、UNAMAの地域事務所とマザールの国際赤十字連盟との調整も行っている。ファイザバードのアフガニスタン赤新月社(ARCS)の支部は、必要なときに、貯蔵されている災害準備の食料品外のストックを使うことを認められている。そのストックは、50家族分カバーすることができる。同じようなストックは、ファイザバードに最も近い支部があるクンドゥズやバグランのアフガニスタン赤新月社でも可能で、必要ならばその地域に送ることができる。実質的なストックは、マザールにある。

緊急保健移動チーム(EMU)は、マザールとバグランで待機しており、必要になれば出動する準備ができている。EMUsは、48時間以内に1,000家族の受け入れが可能である。

国家レベルでは、連合は国際赤十字連盟(ICRC)との調整を先導的な役割を担ったり、アフガニスタン赤新月社との協力を行ったり、緊密な開発モニターをしたり、マスコミや大使館に情報を提供している。

全ての国際連合組織は、行動規範を守ることを求めており、最も弱者である人々に援助を行う場合、災害救援における人道主義の憲章や最低基準(SPHEREプロジェクト)にのっとっている。援助、アフガニスタンや他の国における連合のプログラムや活動に関する情報に関しては、連合のホームページhttp://www.ifrc.orgにアクセスしてください。長期のプログラムに関しては、連合の年次報告を参照してください。

原文URL:http://www.reliefweb.int

情報源:国際赤十字連盟

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タグ:地震
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2004年04月06日

国際移住機構による記者会見概要

オーストラリア政府は、アフガン避難民に対する国際移住機構(IOM)の帰還・再定住プログラムに対して、150万円オーストラリアドル(140万アメリカドル)の援助を約束した。

アメリカ、フィンランド、ドイツからの資金援助は今年IOMが国内の北部・西部・中部における活動拠点で行う9万人のアフガン国内避難民の帰還・再定住の支援に役立たれる。

2年以上にわたりアフガン帰還・再定住省(MORP)とUNHCR・IOMとの緊密な協力によって、42万人を超えるアフガニスタン難民を家に帰す支援を行った。

運輸の提供に加えて、IOMは国内に張り巡らされている7つの夜間通過所で帰還者に対して医療診断を提供し、また食糧と避難所を提供する。帰還への道のりは時には3,4日荒れ果てたアフガンの道路をかかることさえある。

また食糧、家庭用品、道具を含む帰還パッケージを与えると同様に、帰還者の持続可能性を確保するためのコミュニティープロジェクトを行う。

原文URL:http://www.reliefweb.int

情報源:国際移住機構(IOM)

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麻薬はアフガニスタンの治安をおびやかす、大きな脅威であると安全保障理事会が警告

アヘン栽培が、アフガニスタンにおける法律、治安、経済開発の規範を危うくするかも知れないという懸念を重視し、本日、国連安全保障理事会は、ベルリンで先週、開催された復興会議の結果を踏まえて、不法な麻薬生産と闘うための、さらなる国際的な努力を求めた。

今月のローテーション制の議長職を務めるGunter Pleugerドイツ国連大使により読み上げられた大統領声明によると、理事会は、アフガニスタンにおける短期間以上の優先事項の概要をまとめたベルリン宣言を支持した。
この宣言には、武装グループの武装解除や動員解除、そして、9月に予定されている大統領選挙と下院選挙を、首尾よく開催させる内容が盛り込まれている。

アフガニスタン復興に向けて、先月から2007年3月までの間に、82億ドルの国際的支援を行うという内容のベルリン宣言を、理事会は歓迎した。

しかし、理事会は、麻薬がアフガニスタンの治安維持に対する最も大きな脅威の一つであると認めた。
アフガニスタンは世界でも有数のアヘン生産地である。

農民達が生計を立てるために、アヘン栽培に再び関わることのないよう、理事会は経済的な代替案を求めていると、Pleuger氏は語った。
また、近隣諸国は麻薬輸送ルートを妨害したり、遮断するよう、もっと協力すべきだと、付け加えた。

「アフガニスタンは、この問題と取り組むための、人的、財政的援助を必要としている」とPleuger大使は語った。

これに先立ち、平和維持活動担当事務次長であるJean-Marie Guehenno氏は、理事会に対し、ベルリン会議は目ざましい成功をおさめ、アフガニスタン大統領ハミド・カルザイ氏の統率力に世界的な信頼が寄せられたと、その概要を語った。

しかし、アフガニスタンにおける平和と安定への道のりには、経済開発、麻薬産業、治安の安定といった「手ごわい」課題がつきまとっている、とも述べた。

「アフガニスタンの大多数の人々は、選挙には、まず何よりも、武装解除が必要なことを確信している」と9月に予定されている投票に関連して、Guehenno氏は語った。
そして、アフガニスタンに新たに創設された国軍への国際安全支援が重要である、と付け加えた。
Guehenno氏によると、麻薬経済を撤去するには、2002年のアフガニスタンの歳入の半分以上という多額の費用を要するとのことである。

「この流れを元に戻すには、共同の努力と忍耐を必要とするだろう。しかし、麻薬根絶運動の最前線におけるアフガニスタン政府の当面の努力もまた、支持されるに違いない」


原文URL:http://www.reliefweb.int

情報源:国際連合ニュースサービス

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