2008年05月15日

中国四川省地震における、家屋再建

ハビタットフォーヒューマニティ HPニュース

アトランタ(5/15, 2008)


<要約>
ハビタットフォーヒューマニティ(HFH)は今現地のニーズを調査中であり、地元政府やその他のパートナー団体と長期的な再建計画を建てることになった。
地震のあった地域が片付けられ、建設許可が出れば、HFHは最初の再建を行う予定だ。


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2007年11月20日

救援物資の配布がバングラデシュで進んでいる。CRSは57,000人に今週食料供給を行き渡らせた

バングラデシュ、Balisar 2007年11月20日 

より多くの道路が通行可能になるにつれ、Catholic Relief Service (CRS)とそのパートナー、
Caritas Bangladeshanticipate は、長期に渡る復興活動の最初の段階として、今週、緊急食料
配布と救援物資を、57,700人(12,500世帯の家庭)に届けた。CRSはこれまでに救援運動のた
めに50万USドルを割いてきた。
「渡し舟が市街に向かい運行し、より多くの道路が片付けられているおかげで、私たちはまだ何の援
助も受けていない地域に到達することができるようになってきた。いくつかの地域はほとんど破壊され、
人々は絶望している。彼らは、利用できうるものを何でも使って、家族を守ろうとしている。彼らは持ち
出した木の小片や、ねじれて波形になった鉄の下で寝ています。食料は危機的です。彼らがサイクロ
ンシェルターに持ち込んだものは既に尽きてしまい、どこにも頼れません。」Barisalに居るCRSのバング
ラデシュ国担当マネージャーのCassie Dummettは言う。

今日、CRSとCaritasは、Kalaparaに居る6千人の人々へ、食料配給を始めました。壊滅的となっ
たBarisalの周辺地域では、CRSとCaritasは明日からの4日間で21,500人に配給を行う予定で、
今週末までには、Khuln地区の3万5千人に対し新たな食料配給が届けられる予定です。CRSと
Caritasによる配給はサイクロン発生後36時間以内に始まりました。

「沿岸地域では、多くの土地がエビの養殖場のような池に変わってしまいました。人々は事業を始め
るため偉いビジネスマンからローンを借り入れますが、今や彼らは収入口も食料もなくしてしまっただけ
でなく、その膨大な借金に見舞われています。女性たちはコメを売ったり、織物をしたり漁業により、お
金を得ていましたが、今や彼女達は全てをなくしてしまった。」Dummettは言う。

確認されたニーズの要約

―緊急食料配布:CRSとCaritasでは、最も被害を受けた家族に対して食料を配布しています。

―防水又はビニールのシート、毛布、ベッドのマット:何千もの家々が損害を受け、屋外の状況は濡
れた土地や激しい風により困難で、また冬も来ます。人々は何でも持ち出せたものの下で寝ていた
り、又はサイクロンシェルターに戻ったりしていますが、シェルターは窮屈で、不衛生になってきています。
燃料や薪も乏しいです。初老の方々や、子供達は健康状態の危機に晒されています。CRSと
Caritasでは、シェルターの材料を緊急配布し、シェルターの修復や再建プログラムを、長期的に実施
していきます。

―飲料水:沿岸地域は慢性的な飲料水不足に苦しんでいますが、今やその状況は深刻です。地
下水の塩分のため、人々は普段は雨水を溜めますが、彼らが使う土器のポットがつぶされてしまいま
した。高波はまた、浸水を引き起こし、井戸水やきれいな水の源泉を汚染してしまいました。CRSと
Caritasでは、水の容器や水浄化タブレット、経口補水液を緊急対応として配布しています。

―食料保障:冬の作物(野菜、豆類、ピーナッツ、脂肪種子)は壊滅させられ、食料や収入が失わ
れてしまうことになりました。津波はすぐに引きましたが、塩水は畑に残り、土地の生産性を下げるでし
ょう。CRSとCaritasでは、人々がもう一度自給自足になれるよう支援するプログラムを展開していき
ます。その選択肢としては、道路や必須のコミュニティのインフラの再建のための資金援助や、又は家
畜の再興プログラム、人々が再び収入を得始めるのに必要な工具や装具の提供などが含まれます。

インタビュー可能な援助ワーカー
Barisal : Cassie Dummett, CRS バングラデシュ国担当マネージャー
+88.0.11.99.812.366 又は +88.0.17.15.050.188

Barisal : Snigdha Chakraborty, CRS 地域プログラムマネージャー
+88.0.17.15.050.188

デリー : Caroline Brennan, CRS 地域情報管理官
+91.93.50.96.79.99 / cbrennan@crsindia.org

アメリカ:John Rivera, CRS 上級広報管理官 
電話:443.604.2918 / jrivera@crs.org

援助の仕方
電話での寄付:1-877-HELP-CRS
オンラインでの寄付:www.crs.org
小切手で:Catholic Relief Services
P.O. Box17090
Baltimore, Maryland 21203-7090
通信欄にSouth Asia Severe Weather Fund とお書きください。

CRSはバングラデシュで、1971年から緊急と長期の開発プログラムを支援してきました。CRSはアメ
リカのカトリックコミュニティーの、国際的な人道支援組織です。この組織は、100以上の国や領土の
人々に対し、必要に基づき、民族や国籍、信条にかかわり無く援助を提供しています。

情報源:Catholic Relief Services (CRS)
原文URL:reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します
ラベル:洪水 津波
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2007年07月14日

北朝鮮の洪水で、何百人もが死亡し、行方不明となっている

ソウルー(dpa) 豪雨の1週間は、北朝鮮で、洪水を引き起こし、何百人もの死者と行方不明者を
出した、と州メディアは火曜日に報告した。



政府職員からの最初の報告によると、60,000以上の家族が住む、30,000以上の家屋は壊さ
れたか、深刻に被害を受けた、と公式韓国中央ニュース機関(KCNA)は伝えた。

8月7日以来猛威を振るっている、嵐によって起こった洪水は、伸びている重要な線路と道路と橋を
一掃し、多くの地域で、電気と電話サービスを遮断した、と報告は伝えている。

報告は、洪水は“今までにかなりすごい物質的損害”を引き起こしたと、伝えている。

何万ヘクタールの農場も又、水浸しにされ、それは、北朝鮮の慢性的食糧不足を悪化させそうだった。

韓国は、緊急援助をその貧弱になった近隣国に送るかどうか、考慮していた。

今回の人命の損失と損害は、北朝鮮が昨年経験した洪水よりも、明らかに大きなものだった、とソウ
ルの統一省のスポークスマンは、言った。

洪水の結果が、8月の終盤に行われる、北朝鮮と韓国の間で予定されていたサミットに、衝撃を与え
るとは予想されなかった、とスポークスマンは、言った。最悪の被害の地方、北朝鮮の南側国境に位
置する、Kangwonは、約、20,000世帯が洪水の被害に遭った、とKCNAの報告は伝えている。
首都、ピョンヤンも又、洪水を経験した、と彼らは伝えた。

日本で発行されている北朝鮮支持の新聞、Choson Shinbo(朝鮮新報)によると、約500ミリメー
トルの雨はが、過去5日間のうちに降った。

被害者達を助けるための寄付を求めるアピールとして、赤十字の国際委員会もまた、国中の広範
囲にわたる洪水を報告した。それは、洪水の被害者や損害の査定を示していなかった。

北朝鮮の赤十字スタッフは、24時間働いており、今までに、洪水被害者たちへ配布するための調理
具、毛布、飲料水を含む500包の救援箱を受け取った、とグループは言った。

モンスーンのような雨が、朝鮮半島を襲う時、洪水は夏には非一般的ではない。しかし、専門家は、
森林伐採のため、それらが特に、北で深刻である、と言った。

2006年、北朝鮮は破滅的な洪水の季節に再び苦しんでいた。北朝鮮政府は韓国からの再建設
援助と食料を求め、韓国政府は、世界から自ら孤立している全体主義のその隣国へ、米と建設物
資を送った。

昨年の夏の災害の間、北朝鮮メディアも又、何百もの洪水被害者を報告した。しかし、韓国の仏
教徒援助グループGood Friendsは、何万人かが死亡した、もしくは、行方不明になった、と伝え
た。その主張は、不確実なままであった。

情報源:Deutsche Presse Agentur (DPA)
原文URL:reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します
ラベル:洪水
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2007年05月29日

モルジブ:国連人道問題調整研究所(OCHA)による海岸の洪水状況レポート No.3

モルジブ : 国連人道問題調整研究所(OCHA)による海岸の洪水状況レポート No.3

この状況レポートはバンコクのOCHAのアジア、太平洋地域事務所だけでなく、モルジブの国立災害
管理センター(国連常駐調整官事務所)からの情報によるものである。

I)状況
1、2007年5月15−17日の間に、10−15フィート(約3−4.5メーター)の高潮がモルディブの16の
環状さんご地帯の推定68の島に押し寄せ、海岸から600メーターの地域が浸水した。最も影響を受
けたのははGaafu Dhaalu, Dhaalu, ThaaとLaamu環状地帯であり、それらは24以上の島を含んで
いる。これらの高潮は例年発生するのであるが、今回のような規模ではない。高潮により影響を受け
たモルディブの島の大半は通常の状態に戻ったが、最も影響を受けた4つの島では軽微な復興作業
が進行している。

2、今回の沿岸の洪水による死者は無かったが、結果として、1,649人が避難した。最近のNDMCの
リポートによると886人が各自の家に戻ったが、763人は、自宅の修復を待ちながら、ホストファミリー
宅での生活を続けている。

3、住居 : 総計579の住居が高潮による洪水で損害を受けた。

4、生活 : 33の島において、多くの人々が生活や食糧調達の為に依存している農作物、農園、
住居の庭園、植物に塩水が浸透することにより多大な損害を受けた。被害を受けた人々の生活を
改善する為に迅速な復旧が必要である。

5、インフラ :17島の港や突堤が高潮による軽微な損害を受けた。

6、環境 : 洪水の被害を受けた68島の内、計58島では非常に多くの地域が海岸侵食されてい
ると報告した。海岸線と浜辺の侵食の範囲は注目されるべきもう一つの地域である。これらは長期
的に海岸環境に脅威をもたらすことになる。これらの島々の自然環境への影響を総合的に評価する
ことにより、被害の程度の解明と、将来の災害の回避に対応する緩和対策を計画することが求めら
れている。

II)各国の反応

7、モルジブ国政府、環状さんご島事務所、近隣の島の地域社会はGaaf Dhaaluの5つの島に緊
急援助を提供したが、人々は災害からの効率的な復興支援の為に迅速かつ長期的な援助を求め
ている。

即時必要な援助とは :

a, ジェリー缶を増やす為に貯水槽を追加する。現在、人々は移動式淡水化装置から水をジェリー缶
に汲んできている。被災した島の多くの人々が井戸水を料理や洗濯に使用していたが、地下水源が
汚染されている為、給水量が不十分で、今後の解決すべき課題である。

b、清掃活動援助

c、台所と必要な調理器具

d、7つの島と3つの環状地帯への移動式逆浸透装置の取り付け

e, 基礎生活の復旧

長期的に必要性があるものとして、

f、港、突堤の修復

g、崩壊した境界壁の修復

h、将来の高潮防備の為の防波堤の建設

i, 海岸環境への影響の広範な調査

III) 国際援助
8、米国政府はモルジブ政府による早期復旧作援助要請を受け10万ドルの援助金をUNICEFと通
じて提供した。

情報源:UNOCHA
原文URL:reliefweb.int
※著作権は情報源に帰属します
ラベル:洪水
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インドネシア:女性の元戦士は、Acehで小売業を始める

IOMは818人の女性Aceh人、元戦闘士を彼女らの生活を再建するために、彼女らに、訓練と小
売業を始める手段を提供する手助けをした。これは、約4957人の元GAM(Free Aceh Move
ment)戦闘士と政治犯を再統合するための、幅広いプログラムの一部である。

2006年7月に発足された、日本により基金を提供された再統合プログラムは、Inong Baleeとし
て地域に知られる女性たちが、Acehの10のInformation Counseling and Referral Serv
ice(カウンセリング・情報・紹介センター、ICRS)センターを通して、小売業、農場を設立すること、
家畜を育てることを助けた。

“女性は、しばしば、衝突の矢面に立たされる。男性が山へ行った時、置き去りにされ、子供たちや農
場、村の世話をするのは女性達である。そして、彼女らは、しばしば、拘留や、性的虐待へ直面する
など、自身の生命を危険にさらす。”と、AcehのIOMのPost Conflict and Reintegration 
Unit(紛争後の再建部隊)を率いるMark Knightは、説明する。

“彼女らが、銃を持っていようがいまいが、スパイ、料理人として働いたり、兵学を供給したり、他の補
助を与えたり、もし、彼女らがGAMを支持したら、私達は、彼女らを女性兵士としてみなす”と彼は
言及する。

元女性戦闘士らは、様々に違ったタイプの小売業を立ち上げ、彼女らの多くは、とても成功してい
る。

Tya、Aceh Besarの前Inong Balaeは、携帯電話店を設立し、それにより、最終的に、大学へ
行くことが可能になるのを彼女は望んでいる。“このことからの利益は、私に、もっと勉強することを助け
てくれる。私は、このビジネスの結果で、私が医者になる夢をかなえることができると望む。”と彼女は言
う。

Calongの他の前Inong Baleeは、キオスクで、IOMによって供給された商品を売る事を始めた。
彼女はその時、キオスクからの利益を、コーヒーショップにあて、そして、彼女の毎日の収入は、現在、
5倍に増えた。

Acehの中央高地のいくつかの、他の前女性戦闘士は、再統合プログラムからの援助で、コーヒーシ
ョップを設立したり、復活させたりした。Aceh人のコーヒーは、インドネシアで、最もすばらしく生産され
たもののいくつかである。

ICRSスタッフは、前女性戦闘士へ、1対1のカウンセリングを提供し、適切で、持続可能な小売業、
農業、漁業のチャンスを見分けることを助ける。そして、ビジネスを始めたり、経営したりするための物
資の購入を監督する。それぞれの前兵士は、1千万Rp(US$ $1,100)を、商品とサービスに
あてる資格を与えられている。

さらなる情報、IOM Banda AcehのMarianne Kearneyへ連絡下さい。
Tel:+62 812 698 9308 E mail:Mkearney@iom.int

情報源:IOM (International Organization for Migration)
原文URL:reliefweb.int
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2007年03月01日

日本の衣料品チェーン・ユニクロがネパールの難民の顔に笑顔をもたらす

Beldangi One難民キャンプ、ネパール 3月1日(UNHCR)−

日本で人気のあるカジュアル衣料品チェーンのユニクロが東ネパールのこのキャンプの難民に
古着5万 枚を配布した。これらのリサイクル衣類は日本中にある700 以上のユニクロ販売店の
顧客によって集められたものだ。
「今回の寄付は本当に時期を得たものとなりました。難民、特に最も弱い立場にいる女性や子供の
生活にとって大きな助けとなるでしょう。」と、UNHCRのネパール代表・アブラハム アブラハム氏は
述べた。

難民事務所は先週末 Beldangi One で衣類の配布を手伝った。 Beldangi One はネパールにある
ブータンからの10万6,000人の難民を収容している7箇所のキャンプの1つである。

ユニクロの財務・法務担当副社長・新田幸弘氏を中心とした会社の代表者たちがUNHCRのスタッフと
ともに衣類の配布に当たった。著名な児童文学作家の森絵都さんも贈呈式に参加し、キャンプを
訪れた様子を本にする予定である。

「私たちはこの冬、子供たちの衣類が不足して大変困っています。子供たちやお年寄りは充分な
毛布や衣類が無いので夜間の寒さに苦しんでいるのです。」と、二人の娘と一緒に衣類を受け取る
ための列に並んでいたBhanu Maya Adhidari は言った。

別の難民はズボンをしっかりと握りしめながら、日本の皆さんに感謝していますと微笑んだ。 
「遠く離れた日本の人々が私たち難民を気づかってくれている、私たちは孤立しているわけじゃないと
知り、とてもうれしい。」と、彼は言った。

UNHCR は資金不足のためここ数年間難民に衣類を配布できなかったので、今回の寄付は特に
喜ばれた。「もし今回のタイムリーな寄付がなかったら、私たちはこの時期の大切な需要を満たすことはできなかった。そして私たちはユニクロと日本の皆さんに大変感謝しています。」と、UNHCRの
アブラハム氏は言いました。

先月、ユニクロの広報担当者が、「再利用可能な古着の回収はリサイクリングプログラムに拡大し
2001年以来ユニクロの顧客が店に持ち寄った古いフリースジャケットは34万 枚に達している」と
述べたと報道された。まだ再利用可能な衣類は難民に贈られ、残った物は断熱材や燃料として
再生されるだろう。

Yuki Moriya and Nini Gurung
In Beldabgi One Refugee Camp, Nepal


情報源:UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)
原文URL:reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します。
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2007年01月24日

復興の足音:パキスタン地震の被災地で

7万3000人もの死者が出た大地震から1年余り、災害がもたらした社会の変革

ALLAI VALLEY、パキスタン
釘や鉄板の活発な売れ行きに、Anwal Farozeさんは、求めていた以上の明るい見通し
を感じている。彼の経営する小さな金物店は、パキスタンの被災地の中でも、最も辺
鄙な山間部の一つに位置している。そして今、16年間の商売で、かつてないほどの
売上を記録している。
“需要はまだまだあります。みんな建て直しに大忙しですから”とFarozeさんは語っ
てくれた。そのふさふさとしたあごひげが、明るい笑顔をより強調しているように見
える。

人類史上最悪の自然災害の一つに数えられる、この破壊的な地震で、7万3,000人
もの死者が出た。あれから1年余り、そして2度目の厳寒の冬を迎えて、彼自身の復
興は国のそれを象徴しているようでもある。

しかしFarozeさんの店舗が証明しているように、復興の度合いは建物の再建だけで計
れるものではない。この極貧の山間部においては、別の意味で人々を活気づけるきざ
しがある。地域の自治体や救援機関は、軍や国際救援機関が――双方ともかなり縮小
しているが――やり残したままの所から着手し始めた。以前の社会や経済の仕組みが
活気を取り戻し、さらに今、外部からもたらされた変化も――女性に関してであれ、
日常の生活に関してであれ――単なる復興だけでなく、さらに前進したいという地元
の人々の願いに支えられ、ひとり歩きを始めている。

地震は、コネチカット州の2倍ほどのエリアで、20万戸以上もの家屋を破壊した
が、ここAllai Valleyだけでおよそ1万戸も倒壊した。そしてカシミールや北西辺境
州(NWFP:North West Frontier Province)で300万人以上の人がホームレスと
なった。去年ヒマラヤの冬が猛烈な勢いでやって来た時、60万人もの人々が集ま
り、大急ぎで野営テントを建てた。今、再び冬の到来だが、IOM(国際移住機関)に
よると、このたびテントに取り残されているのは3万人ほどであるということだ。

難問が解決したと言うわけではない。完全に再建された家屋はまだまだ少なく、
OxFam International (オックスフォード飢餓救済委員会)によると、200万人
近くが避難所で二度目の冬を迎えることになる。

“コミュニティーが自分達の生活に,責任を持って関わることは、我々が望んでいた
事です。”政府の地震復興庁(ERRA)のDeputy DirectorであるLt.Gen.(中将)
Ahmed Nadeemはそう語ってくれた。“彼らがこの苦境を前進の機会へと転換させて
いく兆しは、既に見てとれます。”

Zahid Amin氏の手狭な事務所では、その(復興への)決意がはっきりと感じられる。
氏はカシミールの首都ムザファラバードにあるDevelopment Authorityの責任者であ
る。事務所は地震の後、廃墟となっていた。地震ではこの地区でおよそ3万人が死亡
した。12月にAmin氏は、国際救援隊の職員と軍からなるチームを率いて、市にある
避難所を調査した。そしておよそ3,000の家族が、いまだテント生活をしている
事実を確認した。そのことは問題である。しかしAmin氏のスタッフが、そのような調
査をきちんと出来た事がそもそも、地方政府が立ち直りつつある証明であると、オブ
ザーバーは述べている。

“これは大きな判断基準になります。現にこうして開発当局は調査を続けていま
す。”と、ムザファラバードにあるIOM事務局のチーフ、John Sampson氏は語った。

だが、ホームレスの確認と、彼らの救済は別の問題である。ほとんどのオブザーバー
は地方の行政局(local civil administrations)が自ら機能を果たせるようになる
には、まだ数ヶ月かかるという点で、意見の一致をみている。そのうちに、国際機関
と地方機関が蜜に連絡を取り合って、もたつきがちな行政局や軍部と共に、活動する
ようになるであろう。しかし、問題もある。

Saeem Muhammad Kianiさんは、(調査から)抜け落ちてしまったうちの一人だ。地震
から1年以上経って、35家族からなる彼のコミュニティーは、今でもムザファラバー
ドの中の飛び領土であるChella Bandiでテント生活を送っている。地震によって彼ら
の先祖代々の家は、山の斜面を滑り落ちるように倒壊し、後に残ったのは粉々になっ
たセメントと土だけであった。

“冬の寒さの為、ほとんどの子供たちはすでに病気になっています。”と、Kianiさ
ん。彼は今、自分達のコミュニティーが再生できる新たな土地を、政府が特定してく
れるのを待たねばならない。

二度目の冬を迎えて、しかしこれは別の大きな希望的展望に比べれば、小さな不安材
料でしかない、と、Andrew Macleodさん。彼は国連の居住コーディネーター及び、
ERRAの副長官(deputy director)に対し、救済から復興への移行が(上手く行くよ
うに)助言している。

Allaiと同じ様に辺境の山間部の村においてさえ――そこでは人口14万8,000人に対して
2,000人以上が亡くなったが――生存者のほとんどが、政府から、再建に必要な災害
援助金を受け取っている。これまでのところ、一家族にだいたい1,600ドルの補助金が
支給されたが、それは被災した60万世帯のうち47万5,000世帯に達し、総額はほぼ5億
ドルに達する。政府はおよそ10億ドルがすでに、救済と復興に使われたと見積もっている。

今年の冬は寒くなりそうだ。しかし、危機的状況は回避できそうだ。人々は充分な毛
布、布団、そして防寒服を持っていると、オブザーバーは語った。セーブ・ザ・チル
ドレンUSAはAllaiの子供達に4,500以上の防寒用品を配布した。そして軍が仮設住宅
のために送った2万5,000波状の亜鉛鉄板を補充した。国際赤十字・赤新月社
連盟は全域に渡るほぼ10万の人々に4万枚の布団を含め、仮設住宅や救援物資を
空輸している。

“これは歴史上、自然災害に対する、最も偉大な取り組みである。我々がここ12ヶ月の
間に目にして来たものは、早期復興の最上のモデルの一つとして、今後見られる
であろう。”と、Macleod氏は語った。

お金や救援物資が滞らなくなったと同時に、金銭だけでははかれない別の進展もま
た、村に入り込んで来ている。ヒジャーブ(顔を隠すスカーフ)を巻き、柔らかい口
調で話す女性Farha Deebaさんは、Allaiの小さなテントの中で、数ヶ月22人の村の
女性を指導してきた。彼女は、セーブ・ザ・チルドレンUSAの支援を受けて、裁縫や
庭仕事、その他の技能を教えてきたのだ。この地域では、女性はある専門的な職業以
外、決して働くことはなかった。最近まで、ほとんどの女性が厳格な宗教上の慣習に
従って、家の中に押し込められていた。しかしひとたび訓練を受けると、多くの女性
はそれを広め、他の女性にも(積極的に)勧めている。

“彼女たちは公の会合で、その事について自分達で話し合っています。別の女性がそ
れを知ると、自分も訓練を受けたいと申し出ます。それは日に日に広まっていま
す。”と、セーブ・ザ・チルドレンUSAの生活課(livelihood officer)の役人であ
るDeebaさんは話してくれた。

パキスタン地震の被災地では、今や最悪の事態は過ぎ去った。なので、残された大き
な課題の一つは、パキスタンの中でも、最も貧しい地域の一つに挙げられるこの地区
で、継続できうる生計の手段を生み出す事であろう、と、オブザーバーは述べた。そ
の目的の為に、政府はすでに、レンガ職人や配管工のような様々な訓練を行ってき
た。

Allaiの市場の、北方にある店を経営するDelawar Khanさんは、他の人より先を行っ
ているようだ。彼は携帯電話の販売を始めた。それは最近やっと、この地域で使用可
能となったものだ。毎日約250人の人が店を訪れます。ただ一つだけ問題があるので
す。非常にたくさんの人が電話をかけるため、回線がいつもマヒするのです。と、
Khan氏は語ってくれた。

情報源:The Christian Science Monitor
原文URL:reliefweb.int
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2007年01月19日

バングラデシュ:寒波 OCHA状況報告書 NO.1

この報告書はOCHAのアジア・太平洋地域事務所から受け取った情報に基づいている。

状況

1.バングラデシュは、現在、今シーズン初めての寒波を経験している。Thakurgaon,、
Sherpur 、Nilphamariの3箇所の北部地区で、最低気温は1月4日現在5℃を記録した。
伝えられるところによると、38年間での最低である。以下の地区のほとんどは、寒波に
よって被害を受けている。Panchagarh, Thakurgaon, Dinajpur, Nilphamari, Lamonirhat,
Gaibandha, Kurigram, Rangpur, Joypurhat, Bogra, Chapainowabganj, Serajganj, Rajshahi,
Pabna, Mymensingh, Jamalpur, Kishorganj, Sherpur, Gazipur, Shariatpur, Rajbari,
Gopalganj, Jhalokathi, Khulna, Brahmanbaria, Sylhet, Moulavibazar and Sunamganj.
2.寒波に関する疾病のために、1月初頭以来、死亡者は130人を超え、毎日増え続けている。
10万人を超える人々が被害を被った。

3.寒波は、生計と作物への被害、コミュニケーションの断絶、特に、子供たちと老人へ影響する
寒さによる疾病の広がり、という点で、苦しみと弱まりを加速させる。貧困と主流から排斥された
人びとの日々の暮らしは、人びとがひどく身動きを取れなくされ、そして、彼らが仕事へ行くことを
不可能にする。貧困、ストリート・チルドレン、女性、老人の苦しみの程度は高く、彼らは温かい
衣服と適切な食料摂取量をえる余裕がない。異なった川でのフェリーと船の動きも又、川の航路
が濃霧におおわれて以来、断絶されている。

4.寒波は、芋、小麦、豆類、野菜、他床などの冬の作物にも悪影響を与えそうである。付随して、
主流から排斥された貧しい農場主らと小作人達は、彼らの生活と、生計への長期間の不利益な
結果に投資したものを失うことを恐れている。

5.バングラデシュの気象台は、・・・(原文未完成)の第3週と第4週の間に、中程度か厳しい
寒期間がさらに2度国を襲うことを予期している。


国家と国際的な反応
6.その状況の重大さを認識するために、バングラデシュの政府と、多くの地方と国際NGOと
機関が、被害を被った住民の窮地に立ち向かうための行動をとった。

7.緊急援助と復興一括法案が供給された。バングラデシュ政府は今までのところ、北部地区の
寒さに襲われた貧困の地域に、約7万5,000の毛布を配布した。付け加えて、様々な政府機関が、
首都の異なった場所の家のない貧しい人々、ストリート・チルドレン達に、毛布を配布している。

8.国際開発計画災害援助緊急基金は、被害を受けた住民の必要なものへ応じるために、
連続加熱炉1万5,000を配った。この活動は、1ヶ月以上にわたって実施される見込みで
2月までに、完全に終わるだろう。

9.次の寒波が予測されたので、UNDPは、被害を受けた地方(Dinajpur, Kurigram, Rajshahi,
Bogra, Sirajgonj, Pabna, Sunamgonj, Satkhira, Faridpur, and Jhenaidah)の10箇所以上の地区に、
温かい衣類を供給することによって、国の反応努力を補足する計画をもった。UNDPによって
要求され、OCHAによって承認された5万米ドルの緊急支援で、支援物の迅速な配布のために、
バングラデシュ国家の偵察兵、バングラデシュ国家警察学校生、ハンディキャップ・インター
ナショナルと予め資格を与えられたNGOのようなパートナーとの協力で、UNDPは、被害を受け
た地域に温かい衣類を提供し続けるだろう。

10.寒波の被害者らは、ドナー達から、今までに、40万5,000バングラデシュ・タカを受け取った。
これらの支援物資金は、バングラデシュ国家偵察兵とハンディキャップ・インターナショナルに
よって、4箇所の地区に配布されている。

11.他のNGOや機関は、温かい衣類も配布している。RDRS,イスラム支援、CAREバングラ
デシュ、バングラデシュ赤新月社及び国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)、Oxfam、Concern、
UBINIG、WFP、CCDBとBRACといった団体である。

12.ターゲットとされる主要な受益者は、被害を受けた地区の女性、子供たち、老人である。
特に、寒波の間、戸外に暮らして苦闘している人々である。衣類の種類は、女性のショール、
女性、子供、男性用セーター、帽子、毛布、温かい靴下などである。


情報源:UNOCHA
原文URL:reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します。
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スリランカ:洪水と地すべりの情報 広報 NO.1

国際赤十字・赤新月社連盟の任務は、人道の力を結集することによって、弱い立場の人々の
生活を改善することである。連盟は、世界で最も大規模な人道主義の団体であり、何百万人と
いうボランティアの人びとが、185カ国で活動している。

要約

この広報は、あくまでも参考情報として利用していただくために発行されており、現在入手可能な
情報を反映している。連盟は資金、もしくは、今回この活動のために、援助者からの他の支援を
求めていない。

2007年1月半ば、北東季節風によってもたらされた豪雨は、スリランカのいくつかの地区で、
深刻な洪水と地すべりという結果をもたらした。国の災害管理センターは、今までに18人が死亡し、
約25,000人もの多くの人々が、極度の悪天候によって被害を被ったと発表した。

豪雨に襲われた、2つの劣悪な地区は、ハムバントタとヌワラ・エリヤである。2007年1月の
豪雨は、2006年12月にすでに洪水が襲ったこの地方に、さらなる被害をもたらした。
情報は、現在の被害が、2006年12月に報告されたものを上回っていると示した。

状況

今シーズン、北東部季節風雨は、スリランカのいくつかの場所で、人間の暮らしと、農産物への
被害をもたらした。これは、前年の季節風と比べて、異常である。季節風の状態と季節風の流れ
の妨害の結合は、特に、スリランカの中央と南部地方にわたり、豪雨を引き起こした。そして、
深刻な地すべりと洪水を引き起こした。中央、南部、東部地区の中で、特に、ヌワラ・エリヤと
ハムバントタ地区は、被害を被った。国の災害管理センターは、報告日の前の週の間に、
90,000人がこの豪雨によって被害を受け、18人が亡くなり、約25,000人が、彼らの住居からの
退去を強いられた、と報告している。

地すべりによってもたらされた18人の死は、ヌワラ・エリヤ地区から報告された。地すべりは、
18,383人に、住居からの一時的な退去を強いた。国の中央高地に住む、地すべりによって
被害を受けた、もう2000人は、現在、救援物資の供給を遮断されている。

ヌワラ・エリヤ地区は、その高い海抜(海抜1,990メートル)のため、絶えまない、最も高い
年間平均降雨量がある。

ハンバトタ地区での2007年1月10日から起こっている豪雨は、小川と河川の土手が決壊し、
灌漑用の貯水池が氾濫したので、深刻な洪水を引き起こした。1月13日、この最悪の状況の
中で、5,815人は異なった地区の場所に設置された、避難キャンプに移らされた。

さらに、2006年12月、ハムバントタ地区では、激しい降雨によってひどく被害を受けた。貯水
タンクと貯水池は氾濫し、それは、この地域で、深刻な洪水を引き起こす結果となった。1,000人
近い人々は、去年の終わりに、7箇所のキャンプの中で、その地区の学校とコミュニティーセン
ターに設置された避難所に移らなければいけなかった。2007年1月の豪雨は、以前に洪水で
悩まされている地区へ、さらなる被害をもたらした。

ハムバントタの平坦な地形は、自然に洪水が起こる傾向がある。高地からの川が、この国の乾燥
地帯に位置するこの地区で出合うためである。このためこの地域では、降雨がないときでさえ
鉄砲水が起こる。

ハムバントタでは、井戸とトイレのような水と衛生施設が、ここ最近の2度の洪水事故によって、
ひどく被害を受けた。井戸は、被害を受けた地域で最も重要な飲み水としての資源であり、
緊急に浄化される必要がある。

他の地区での今回の状況はそれほど深刻ではない。アンパラ地区の政府代理人は、この地区で、
約4,000人が洪水による被害を受けたと報告した。これは、2007年1月16日に、その最悪の数字に
達した。被害を受けた人びとのための緊急に要する必需品は、政府によってあてがわれ、
人道主義団体からのさらなる供給支援は、要求されない。

情報源:国際赤十字・赤新月社連盟
原文URL: reliefweb.int
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2007年01月15日

インドの津波被害者の女性達が生活のために腎臓を売る

ニューデリー(DPA):月曜日のニュースによると、2004年12月の津波の影響により、貧しい
暮らしを余儀なくされたインド女性達は、生活のために腎臓を売っているということだ。
地域税務官による質問の時に、Tsunami Nagar (仮設住宅)のおよそ35人の女性が
腎臓を売っていることが判明した。」と、南タミル・ナードゥ州ティルヴァッルール郡の職員の
Ranvir Prasad はインディアン・エクスプレス紙で述べた。

Prasad 氏は、地域公務員の MS Sangeetha 氏が Eranavur というタミル・ナードゥの州都チェンナイ
から7キロのところにある仮設住宅で16人の女性と話しところ、彼女たちは、仲介人に腎臓を売った
と語った。仲介をした中年男性達は、臓器を取り除く手術をするために女性達をチェンナイやマドゥライ
のような都市に連れて行った。

「チェンナイ警察は臓器仲介人や勧誘者に気づかれないよう、極秘に捜査を開始した。」とPrasad 氏
は述べた。

女性たちは、腎臓一つにつき最高10万ルピー(2,256ドル)と言われ、実際は半分以下しか支払われな
いことも多く、不十分な術後手当てのために病気になったケースもあるとPTIニュースは、匿名職員の
証言を伝えた。

女性たちは、他に生きる手段がなかったので、腎臓を売らざるをなかったのだとSangeetha 氏 に語っ
た。

彼女たちは、建てられた仮設住宅は海から遠すぎて、以前のように海辺で魚を売れないのだと言った。
男性たちもまた、同じ理由で漁をやめ、飲んだくれており、家族の借金を返し家計を成り立たせるため
に女性たちが圧迫されている。

タミル・ナードゥ漁師協会のリーダーである、Maria Selvam はこう言う。「以前は、1人か2人が臓器を
売っていたが、今は毎週およそ2人が腎臓を売っている。」

タミル・ナードゥの特別復興委員が日曜日に緊急会議を開き、津波被害者のための永久的な住宅の
建設と割り当ての迅速化を決議したとPrasad 氏は述べた。

2004年12月の津波のために、タミル・ナードゥでは7,996人ガ死亡し3万5000人以上がホームレスと
なった。最近、州政府より出された情報によると、約3万7000軒の恒久住宅が生存者のために建設
予定なのだそうだ。

公式の推定によると、インドの海岸地域で津波のために1万749人が死亡し、百万人がホームレスと
なった。


情報源:Deutsche Presse Agentur (DPA)
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2007年01月10日

パキスタン:バラコットの人々は未だ仮設住宅をまっている

バラコット、1月10日:2005年10月の地震によって荒廃した町の一つであるバラコットの人びとは、
地震以来ずっと苦しみ続けている。なぜなら、彼らに仮設住宅を供給するための、公的な約束が、
未だ果たされていないからである。そして、ここ最近、地方を襲っているひどい寒さは、彼らの窮
地をさらに悪化させていた。
ERRA(パキスタン地震復興庁)は地震によって影響を受けた90%の人びとへ仮設住宅を供給した
と主張するけれども、その実態は、20%以下の被災者が避難所の名前のもとに、何らかを得たに
過ぎない。

市場(バザール)は復興され、人々は生活必需品を売買し、生活はある程度元通りに戻っている。
ほとんどの事業は部外者によって占拠され、地元民は、財政欠如のため、彼らの事業を復興する
ことができないでいる。

被害者のほとんどは、死亡した親族や崩壊した家屋の補償金を受け取ったけれども、厳しい財政
と心理的圧迫に置かれたままである。

この駐在員はバラコットに滞在中、地震によって被害を受け他の町や都市へ移住した人びとの多
くが未だもとに戻っていない、という現状を見た。サウジ・アラビアが責任を引き受けた大がかりな
事業である、避難所の建設が遅れているためだ。

地区長事務所は、バラコットとその周辺の生き残った家族らには、およそ5,000の仮設住宅
で十分である、と見積もっている。そして、地方当局は、その事業が、2006年12月の終わりまでに
完成されるであろうという保証を得た。

“始めに、仮設住宅の図案と大きさは、低い基準であり、そして、これらもまた、未だ当局によって
正式な承認を与えられていない。”とバラコット地区長の弟、タヒルは言った。

“ERRA当局は建設の方法について、人々へ十分な指針を定めることさえ失敗した。だから、あなた
方が目撃した建物と呼べるものはいずれも、ほとんどが被害者自身の自己援助によって建てられ
たものだ。”と彼は付け加えた。

サウジ政府と建設者達のあいだで決められた避難所の大きさ(単位はフィート)は11×10の小さい
台所とものすごく小さい浴室の2部屋を含めて、20×24である。これは、ほとんどの人々にとって
家族が暮らすためには不十分だと感じている大きさである。


情報源:DAWN Group of Newspapers
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ラベル:地震
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インドネシアは災害地帯に健康危機センターを設立する

ジャカルタ、2007年1月10日(AFP)−インドネシアは、国を苦しめている多くの災害への迅速な
対応を確保するために、健康危機センターを設立した、と水曜に保健大臣は言った。

“災害への迅速な対応が最も重要である。私たちは9つの地方で、緊急電話相談センターを設立
した。だから、私達は、災害へ迅速に対応するために、ジャカルタを経由する必要はない”と保健
大臣、シティ・ファディラ・スパリ氏は記者らに話した。
センターがカバーしている災害が起こりがちな地域は、メダン(スマトラ北部とアチェを担う)、リアウ、
ジャンビ、ジャワ、カリマンタン、そして、スラウェシである。

センターは、災害の場合には、財政、食料、医療の面で、迅速に対応することができる。

センターはすでにその力量を試されている。

ここ最近の週で、緊急相談センターは、スマトラ島北部での引き続いて起こった致命的な地震や
地すべり、アチェ地方、リアウと西カリマンタンでの大型の洪水、二艘のフェリーの沈没に援助した。

政府の推定によると、インドネシアは、地震、地すべり、洪水であろうと、他の危機であろうと、1日に
平均2.75回の自然災害に苦しんでいる。

インドネシア諸島は、大陸プレートが出会う環太平洋火山帯に位置し、頻繁な地震と火山活動を
引き起こしている。スパリ氏は過去2年間に渡る彼女の省の達成を示した。乳児死亡率は、1,000人
の出生に対して2004年には35人であったが、2006年の30.8人へ、かなり低下したことを指し示し
ている。

母親の死亡率は、100,000人の出生に対し、2004年の307人から、2006年末には262人へ低下
した。ちなみに、アメリカにおける同死亡率は、6人(2004年)と8人(2006年)である。


情報源:Agence France-Presse (AFP)
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2006年12月26日

インド洋大地震と津波

寄贈者報告―2006年12月12日


序文

2004年12月26日に襲ったインド洋大地震と津波は、国連と一般社会へ、先例のない
課題を生み出した。同じ時期、それは人道主義の分野においての反響の中、援助の増加
の新時代を幕開けさせた。

寄贈者の数と同様に、OCHAの預金口座に預けられた資金の量の見地からすると、津波
信託基金は、最善に基金が利用されることを監視することを念頭に入れた目的で、新しい
信託基金として創設された。国連チームとIASC津波特別対策本部との共同取り組みの
中で、OCHAは、この災害後、生計を再建しようとしている被害者を助けるために、これら
の基金機関を多くの国連機関へ提示した。

結果として、OCHAは60以上の公的な寄贈者と個人の寄贈者、また、14の被援助者機構
の代表として、津波信託基金を運営した。そして、基金利用に関連したすべての問題のため
の、顧問の役割を果たした。

この試みは以下のいくつかの方法で、国連人道主義改革の原則を適用するために、非常に
優れた機会を提供した。

(以下)

― 国連協調関係構造を統合した設立は、スリランカとインドネシアの主要な津波復興活動
において、OCHAとその他のエージェンシーによって援助された。

― 人道主義的な責任者の役割は、それらが基金提供、そして、必要とされた時に、最初の
時間枠を越えて、それらの拡張の是認を受け取るためのもっとも相応しい事業と分野での
役割を果たした時、強化された。

― 財政上の流れにおける透明性は、OCHAの津波支出追跡組織とUNDPの発展支援
データベース開始を通じて高められた。

事実は、世界が、ダーファー緊急事態と共に、適切で時を得、柔軟な人道主義的財政の機関
媒体者として、中央緊急事態反響基金の設立への機動力を起こした災害によって、捕らえら
れたということである。CERFは、津波が起こった約1年後、国連一般集会による合致した意
見によって承認された。そして、津波信託基金を運営しているOCHAによって得られた経験
から利益を得た。

この報告での私達の目的は、信託基金によって容認された計画の概要を提示する事であり、
又、これらの事業が、どのように非常に多くの災害の被害者の状況の改善を助けたかという
ことを示すものである。

私、ジャン イグランドは、寄贈者、政府、企業、または個人へ、津波信託基金へ皆様の寛大で、
時を得た貢献に対し、感謝の意を述べたいと思います。

人道主義部局書記長次官、緊急避難救援責任者、
ジャン イグランド


情報源:UNOCHA(国連人道問題調整事務所)
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ラベル:津波
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2006年12月25日

インドネシア:津波から2年

Pak Tarmidji さんの今

45歳のPak Tarmidjiさんの生活は、2004年の津波以来、取り戻す事が出来ないくらい変わって
しまいました。最愛の妻Ibu Sulistinは、彼が必死に一本の木にしがみついていた時、大波によって
まさに一瞬の内に、彼の手から運び去られてしまったのです。彼は今、一人で子供達を育ててい
ます。けれど、長年漁師として生計を立てていた彼が、今は海に戻る事がどうしてもできません。

Pak Tarmidjiさんはインドネシアのアチェ地区のGlee Bruek村に住んでいます。以前は1,100人
以上の人口がありましたが、津波で800人以上の死者がでました。今、2年が経って、村の生活
はゆっくりと改善されつつあります。それはアメリケア(AmeriCares)が出資し、協同者である
Project Concern International(PCI)によって実践されている、上下水道整備プロジェクトや、
生計支援プログラムによるところもあるのでしょう。

2006年4月よりアメリケアとPCIは、Glee BruekとLhoongの小地区である周辺の3ヶ村に、衛生
的な水を供給するプロジェクトに取り組んでいます。Pak Tarmidjiさんも言うように、津波以前から、
この地域における飲料水や生活用水は、常に問題となっていました。アメリケアの支援を得て、
PCIは現在4本の水道管を建設中です。あと数週間で完成しますが、そうすると全体で4,822人
の人々に供給する事が出来ます。

すでにPak Tarmidjiさんは、このプロジェクトの恩恵を受けています。彼は同じ村の仲間達から、こ
のClean Water Infrastructure Projectの地区代表に選ばれました。この事で彼は新たな任務と共
に、新たな生計を得る事が出来ました。彼はこの試みが自分達の地域にもたらす変化を、心の底
から待ち望んでいます。

“私は、今だに強いトラウマの為、漁に出る事が出来ません。まだ心の準備が出来ないのです。”
と、Pak Tarmidjiさんは言います。“でも今は、PCIやアメリケアと共に多くの事業に参加しています。
私はその事にとても感謝しています。特に衛生的な水の供給に。それは、私たちにとって本当に
長年の夢だったのですから。”

これはインドネシアやスリランカで、人々を津波被害から復興させるべく、アメリケアが行っている
取り組みの、ほんの一例にすぎません。


情報源:AmeriCares Foundation
原文URL:reliefweb.int
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ラベル:津波
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2006年11月13日

浄水機が地震の被災者に

【Slamet Susanto ジャカルタポストBantul】
可動式浄水機が2ヶ月前に運転を開始するまでは、多くのImogiri、Jogangan 住民は、近くの川で
水浴びすることを余儀なくされていた。5月27日の地震により井戸が枯渇してしまったからだ。
不衛生な水を調理や入浴に使用するため皮膚病や下痢が蔓延していた。

しかし、現在住民は、ジェネラルエレクトリック社から寄贈された215万ドルの2台の浄水機のお
かげで十分な水を得ることができるようになった。ImogiriのSiluk橋で稼働中のこの浄水機は、清
潔な水を1日に320万トン供給することができる。

浄水機の操作技術グループのチーフであるHadianto氏は、「これで十分な水の供給ができます。
多くの住民が飲料用としてだけでなく入浴用としてもこの水を利用しています。」と述べた。

Hadianto氏ほかジョグジャカルタからの6名のチームのメンバーは、近くの川の水を利用するこ
の浄水機のために待機していたのである。同機は先の2ヶ月間を試用期間として稼動していた
が、土曜日に地元自治体に引き渡された。

「2台の浄水機は津波の後、Nanggroe AcheDarussalam で約10ヶ月間、数千の住民とボランティ
アスタッフへの水の供給のために利用されていました。そして今回、浄水機は水を必要としている
地震の被災者のため、ジョグジャカルタに移されたのです。」とGE社マーケット開発部長のHasto
Kristiyanto氏は述べた。また、同氏は「私が観察したところでは、多くの井戸がかれてしまっており、
たとえ水が残っているとしてもO−157やその他の危険な物質に汚染されています。」と付け加え
た。

また同氏によると、GE社は今後3ヶ月間浄水機の稼動に責任を持ち、その後は、状況および必
要性をみて検討し、引き続き、住民が水を必要とするならば、地元の公共事業局が担当すること
になるとのことである。

住民に水の必要性がなくなれば、浄水機は必要なときにいつでも使えるように待機させるとも
Hasto Kristiyanto氏は述べている。

浄水された水は、地元住民だけでなくJetis, Pundong, Gunungkidulなどの地域の人々にも利用さ
れている。

Joganganから6kmはなれたPungdong, Seloharjoに住むSarinemさんは、「浄水機が長期にわたっ
て稼動することを望んでいます。」と話した。

情報源:ジャカルタポスト
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ラベル:地震
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2006年10月13日

インド:タミルナドゥのハビタット・共同プロジェクト、35名の女性を石工に育成

アーンドラ・プラデーシュの村人、建設・修繕支援に40時間
【アーンドラ・プラデーシュ、2006年10月13日】
南インド、アーンドラ・プラデーシュ州の沿岸にあるTummalapalliの村人は、津波後の
コミュニティ再建の責任を自身で担っている。
インド、Bapatlaにあるハビタット・フォー・ヒューマニティ支部が行うプロジェクトでは、
延べ40軒の家が建設・修繕される予定である。

先月、5家族が着工式を取り仕切り、10人の男性が壊れたコンクリートの屋根を引き
剥がして家の再建の準備をした。

「再建される家は、1977年のサイクロンの後に政府のプログラムによって建てられた
ものです。ほとんどがひどく劣化していて、安全ではありません。」津波復興プロジェク
トの現場監督であるT. Ravi Kumarさんはそう説明する。

修繕された家は新築のようだが、ただの新築以上に優れている。壁は強化され、窓と
ドア、そして屋根が取り替えられた。トイレも取り付けられた。床は浸水を避けて高くさ
れた。通風口が新たに取り付けられ、天井の高さは7フィートから9.5フィートになった
ので、より快適に過ごしやすくなった。

「20人の石工を雇いましたが、単純労働はすべて地元の男女が担いました。」と、
Baptla 支部の代表であるRaja Shekar は言う。

「田んぼでの手作業には慣れているのですが、今では建設もできます」セメントの容器
を運ぶ手を止めて、Uhardeviさんは笑顔で言います。「これは私のお隣りさんの家。
明日は彼の家の分をやります。」と彼女は言い、ショベルで作業している隣の男性を
指した。「その次は私の家なの。」

低地の水田が灌漑用水路に囲まれているこの地域では、サイクロンと洪水による危機
が頻発しているのである。


情報源:Habitat for Humanity International
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ラベル:津波
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2006年10月05日

パキスタン:人生のある一日

2005年10月8日だった。26歳のシャージア・アッバーシーさんが、事務員だった夫のアシク・
フセインさんと6歳の娘、メリーンを亡くしたのは。

彼女は現在、ムザファラバードの奥のランガタイという山腹で、9歳のリムシャ、7歳のオマイ
ル、そして、地震当時彼女のお腹にいた、9か月になるアリシュバという三人の子どもたちと
小さな小屋に暮らしている。

「ラマダンだったので、日が出たら断食できるように皆早く起きて、午前3時頃食事をしました。
私はレンズ豆とパラタ(小麦粉を練って焼いたパン)を作り、ヨーグルトと一緒に食べました。
そして、午前4時半にモスクに行ったのです。

6時に帰ってくると、子どもたちは学校へ行く準備ができていました。いつものように子どもは
学校を楽しみにしていて、息子のオマイルと、長女のリムシャが忙しそうに彼女の靴を磨いて
いました。

しかし、6歳の娘メリーンがその日、あまり学校に行きたがらなかった様子を、私は決して忘れ
ません。メリーンは、今日は神聖な日だから家にいないといけないんだと言い張りましたが、
私は行きなさいと言い、子どもは全員6時45分頃に学校へ出発しました。私は思うんです。も
し私が娘を家にいさせてあげていたら、彼女は今も生きていただろうにと。でももう戻れません。

子どもたちが出て行った後で、夫が晩ご飯に何か買ってこようかと私に聞いたので、日没後に
食べるミンチ肉をお願いしました。

それから私は掃きそうじをし、姑とおしゃべりをしながら盛大な朝ご飯の洗い物をしました。座り
ながら鍋をごしごしやっていると、何だか蜂が群がっているような音が聞こえてきました。すぐ
に―そう、すべては瞬く間に起こりました―部屋の中に蜂の大群がいるかのような轟音が近
づいてきて、地面が揺れ始めました。

突然あたりが暗くなり、巨大な衝撃で家が壊れました。一瞬、私たちの周りに山が崩れて落ち
てきたのかと思いました。そして実際にそうだったのです。

恐ろしくなり、地面をぐいっと掴みながら転げました。『これは最後の審判だわ』と思いました。
『もう私は死んだのね、子どもたちも。世界が終わったんだわ』

私が祈っていると、姑が私の側へと這ってきました。私たちは泣いて抱き合いながら、コーラン
を唱えました。

地面はまだ揺れていましたが、自分たちは死んでいないのだと互いの存在で確認しました。揺
れが収まってきたとき、身を起こして姑は言いました。「私のことは心配しないでいいから、子ど
ものところへ行きなさい」けれど、私はあまりのことに足に力が入りませんでした。

子どもたちは別々の学校にいましたので、義理の兄がひとつの学校に行ってオマイルとリムシャ
を素早く見つけました。二人は大丈夫でしたが、彼の娘、つまり私の姪は亡くなってしまいました。

義兄が瓦礫の中から姪の小さな遺体を引っ張り出したとき、姪はまだ口の中にチューインガム
を含んでいました。地震が起きたとき食べていたのでしょう。

私は、どうやってかわかりませんが、何とかメリーンの学校にたどり着きました。恐ろしい光景
が私の目に飛び込んできました。

かつて学校だったものが、墓場になっていたのです。ほとんどは両親ですが、祖父母や親戚
までもが、啜り泣き、わめき、瓦礫や石をつかみ、必死に子どもを掘り出そうとしていました。

学校にいた400人の子どものうち、助かったのはたった50人だったと後に知りました。まだ見
つかっていない遺体もあるそうです。

どうすることもできませんでした。義兄は、自分がメリーンを探すから、私には帰って他の子ど
もの世話をするように言いました。今となっては、私が唯一覚えているのは、皆が泣いていた
ということだけです。

午後2時に義兄が学校から帰ってきました。彼は運んできた遺体を私の腕に横たえ、「見つけ
たよ」と言いました。それはメリーンの遺体だったのです。彼女の顔は跡形もなく潰れていま
した。

その瞬間だったのでしょうか、それとも、数時間の後だったのでしょうか、夫の兄弟たちが彼の
遺体を運んできたのは。私は少し気がおかしくなりました。夫は事務所に座っていて、そこに壁
が崩れ落ちてきたのでした。兄弟たちが事務所で夫を探したとき、彼らには夫が中にいること
がわかりました。夫が好んで使っていたブルート・アフターシェーブ・ローションの匂いがした
からです。その朝、私自身も彼にスプレーしてあげました。彼の腕時計は2時47分を指してい
ましたが、彼は数時間前に亡くなっていたのでしょう。

その午後、私の頭と心に何かが起こったのでしょう。正直に言えば、その日、他に何があった
のかまったく覚えていないのです。それだけでなく、それから4か月分の記憶がないのです。

ほとんどの時間、私は自分が何をしているのかわからず、今何日で何時なのかを知りませ
んでした。

あらゆることを乗り越える唯一の術は、家族でした。家族は私を本当によく助けてくれ、ついに
私は、とてもゆっくりではあるけれども、普段の私に戻っていきました。彼らは私にこう言い続
けました。『シャージア、あなたは子どものために生き延びなくてはならないのよ』

今になってわかるのは、私の家族やコミュニティにとって、単に日々を生きるということがいか
にたいへんだったかということです。

彼らは皆貧しいけれど一所懸命働いていました。けれども地震ですべて失くしてしまいました
―家族も、家も、仕事も、持っていたものすべて。

地震直後、そして今日でさえ、Concernのような国際NGOにどれほど支えられているかはよく
わかっています。食料と水、テントやマットレスをくれました。

不思議なことは、地震で全壊しなかった家はほとんどなかったのに、私たちの家がそのひとつ
だということです。周りの他の家は全壊してしまいました。

だから、ほとんどの友人たちはまだテントで暮らしています。コミュニティの多くの人が、愛する
人も、家も失い、私よりもずっと苦しい状況にあるのだということがわかりました。

2006年1月19日、私は父親のいない孤児となる末の子を産みました。子どもの世話をすること
は私の回復を助けました。

わかるでしょう、私の結婚はお見合いではなかったのです。恋愛結婚だったんです。夫がいなく
てとても寂しい。毎朝、私は彼が仕事に行く支度をするのを手伝い、毎晩彼の夕食は別に作り、
それから一緒に時間を過ごしたのです。

いつでも夫のことを思い出します。特に、夜遅く、そして朝目覚めたとき。ときどき、目覚めた瞬間
夫とメリーンがまだ生きているような気がするのです。それから、現実に起こったことを思い出す
のです。

昨年のいつか、私も地震で死んでしまったらよかったのにと思いました。けれども親戚たちは言
いました。『神様は子どもを育てるためにあなたを生かしておいてくれたのよ』

今、私は舅に支えられています。彼には養うべき人がたくさんいるにもかかわらず、稼ぐのは
月に6500ルピー(約13,000円)という少ない額です。私は子どもを養えるだろうか、学費や、制
服代が払えるだろうか、将来やっていけるのかと心配です。

どうすればいいのでしょう。

私は皆のために泣きました。亡くなった人のために。愛する人や家を失った友達のために。
そして私自身のために。

けれども、アッラーは私たちに試練を与えて愛する人をお試しになると言われています。おそらく、
神は私たちの忍耐強さをお調べなのでしょう。」


情報源:Concern
原文URL: reliefweb.int
ラベル:地震
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2006年09月06日

パキスタン:数千の被災者に今なお残る、生計の不安

[この報告は必ずしも国連の見方を反映したものではない]
ムザファラバード、9月6日(IRIN)―パキスタン北部で7万5千人の命を奪った大地震から11ヶ月が
経とうとしているが、取り残された人々は今なお苦しんでいる。10月8日の地震によって5,500人以上の女性
が夫を亡くし、350万人以上が家を失った。
4人の子どもを持つGulab Janさんは30歳の未亡人だ。彼女の境遇は変わっていないと言う。地震で家が全半
壊したためキャンプに住んでいる未亡人はなお700人以上いるが、彼女はその一人だった。

「これからどうすればいいのでしょう。11ヶ月経っても何の進歩もありません。夫は農業をしていたけど7年前に死
んでしまいました。それ以来私たちを支えてきてくれた兄も、地震で多くを失い、もう私を助けてくれることはでき
ません。彼自身にも8人の子どもがいるのです」パキスタン領カシミール州の州都、ムザファラバードの
Chelha Bandiキャンプで、Guabさんはシェルターからこう言った。

「私は以前メイドをしていましたが、今は仕事がありません。たとえまた仕事を見つけることができても、家族を養
うのに十分ではありません。その上、私は土地も持っていないのです―地震が奪ったんです」彼女は言う。

パキスタンの女性、子どもや高齢者といった、すでに性差別、社会的排除、非識字、社会経済的困難や低
収入によって苦しんでいた人々の暮らしは、地震によってますます困窮した。

特に、農村地域の女性の境遇は厳しい。男性が外に働きに出る一方で、女性たちは家で子どもを育ててき
た伝統がある。災害以来、その役割が劇的に変化した。今では、家長である男性が亡くなったり不治の障害
を負ったりしたために、一家の大黒柱となった女性が少なくない。

キャンプの女性たちは、政府が新しい土地をくれること、そこに家を再建することを待ち望んでいる。彼女たちも
特に傷つきやすい。

政府の地震復旧・復興庁(ERRA)は北西辺境州(NWFP)とパキスタン領カシミール州の被災地における、特
に弱い集団に焦点を当てるために社会的保護戦略を設立した。

ERRAによると、慣習上、女性は相続権を否定され、財産、収入や生計手段を得ることを制限されがちである。

しかし地震が教えてくれたのは、被災地の家族と親族の構造は強いということだ。両親を失った子どもなど、
弱い人々の大部分は、自発的に血縁者によって引き取られた。

4万1千人近い子どもが地震で孤児となった。SOS子ども村という、孤児や貧しい子どもたちに長期的なケア
を提供する国際的児童施設がある。数百人の孤児と、男性の家族を失った子どもを持つ女性に新しい、あ
るいは既存の設備住宅を提供した。

ムザファラバード郊外のChamraキャンプには、65家族と17人の孤児が暮らしている。

ほとんどの文化では、両親を失った子どもを孤児とみなす。しかしパキスタンでは、父親を失った子もまた孤児
なのである。

孤児となった孫の面倒を見ている高齢の女性たちは、子どもたちだけでなく彼女自身の安全も確保しなけれ
ばならない。

Nuran Bibiさんは、地震で親を失った9人の子どもの祖母である。

「どうやってうまくやっていけばいいのかわかりません。9人全員は支えられないのです」とNuranさんは小屋の中か
ら言った。

Naheed Bibiさんは、Nuranさんの孫の中で最年長の18歳だ。彼女はイスラームの学校に通っていて、一年
以内に教師になる。しかし、将来は不確かだ。

「何が起こるかわかりません。学校が終わっても、私は他の8人と祖母を養えないのです。父は店をやっていた
し、母は主婦でした。そのとき(地震前)でさえ苦しかったのに、今は希望すらありません。」Chamraキャンプで
そう言った。

Afsar Khanさんと彼の弟2人と妹も、両親を失ってChamraキャンプで暮らしている。地震前、Afsarさん
の父は病気で半身麻痺となり、家族を養うために政府の支援を受けていた。しかし今、家族には何もない。
「(弟と妹を指差して)この子たちに何をしてやればいいか、何も計画がありません、自分自身についてもです」
と、たった一人の稼ぎ手である20歳のAfsarさんは言った。

政府の社会的戦略では、弱い人々、特に未亡人、女性が家長の世帯、障がい者に特別な技術支援を提
供することを勧めている。しかし、この支援が最初に届くのは、弱い人々でも資産を持った人だ。Gulab Jan
さんでもなく、Nuran Bibiさんでもなく、Afsar Khanさんでもない。

自分自身で何の財産も持っていない人たちにとって、コミュニティに基礎を置くケアの選択肢が考えられるが、
いかなる計画もまだ決定されていない。ほとんどの人々は絶望したままなのである。


情報源:UNOCHA―統合地域情報ネットワーク(IRIN)
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ラベル:地震
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2006年07月31日

インタビュー:融通利かぬ官僚主義、津波の警告遅れる−インドネシア

【Achmad Sukarsono、ロイター】KUTA、インドネシア
17日にジャワ島の南岸で600人以上の死者を出した津波で、インドネシアの融通の利かない
官僚制が警告の遅れをもたらしたと月曜日、大臣がロイターに語った。研究・技術大臣
Kusmayanto Kadiman氏はこう言う。インド洋で強い地震が起きた17分後、幹部らは津波の
可能性を告げる警告を受けていたにもかかわらず、沿岸の危険地域に対して行動を起こさな
かった。
「パンガンダラン(Pangandaran)(今回の津波の)件で得た最大の教訓は、我々が官僚機構に
依存しすぎているということである」とKadiman氏は、リゾート地バリ島で行われた地域津波会議
でのインタビューで語った。

「州知事や市長に情報を送るけれども、この手の役人は24時間警戒体制というわけではない
のだ。」

岸から180キロ(112マイル)沖でマグニチュード7.7の地震が発生した後、ジャワ島南岸のコミュ
ニティに危険を告げるサイレンは鳴らなかった。波が岸に到達する寸前も、子どもたちはまだパ
ンガンダランの浜で戯れていた。そこはもっとも大きな被害の出た地域だ。

津波対策のメッセージを押し勧めるため、ユドヨノ大統領が来週、役人らを召集すると
Kadiman氏は言う。現在、インド洋沿岸諸国は日本の気象庁とハワイの太平洋津波警報セン
ター(the Pacific Tsunami Warning Center)の津波警告を当てにしがちである。

7月17日、ジャカルタの役人たちは両者から警告を受けた。それが地方の役所に伝達されたの
は、津波が岸を襲うたった数分前のことだった。浜にいる人たちに危険を知らせるには、遅すぎ
た。インドネシアは、地震や津波の情報を警察を通して伝える計画をしているとKadiman氏は言う。

20分以内に津波がインドネシアの岸に到達する恐れがあるとき、役人はおおまかなデータに
基づいて行動を起こさなければならないと彼は言う。

「これからは、もし海で、震源の浅いマグニチュード6.3以上の地震が起きたら、我々は直ちに
警報を出します」と彼は言い、今後3ヶ月以内に数百の携帯電話の電波塔にサイレンが取り
付けられると付け加えた。

インドネシアで最も人口密度の高いジャワ島の浜にはサイレンがなく、さらに、既存の二つの
津波警報用ブイは数ヶ月前に壊れて、修理中だった。この二つのブイは、スマトラ島の沖に置
かれることになっている。2004年12月26日にインド洋沿岸諸国で23万人―その多くはイン
ドネシア人だった―の命を奪った地震と津波の震源に近いところだ。

インドネシアは1万7,000以上の島々からなり、深海用のセンサーをつけたブイが少なくとも22、
デジタル記録付きの潮位計測器が120、信頼性の高い津波探査のための地震計が160必要
である。

包括的で近代的な警報システムは役に立つ。しかし、それも国民の意識が欠けていたら使い物
にならないのだとKadiman氏は言った。

「一番大切なのは備えです。もし大地の揺れを感じたら、海面の水位が下がりだしたなら、
とにかく走って近くにいる人を連れて逃げなさい。その人が言うことを聞かないのなら、引き
ずってでも連れていくのです。」


情報源:ロイター
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2006年07月24日

地震後のパキスタン山岳北部の子ども達

■ムザファラバード2006.7.24
幼いラブバちゃんが栄養失調でテントの診療所に運ばれてきたときの体重は8だった。
彼女の体重は生後10ヶ月の赤ん坊ほどだったが、彼女の実際の年齢は10歳である。

ラブバちゃんの事例は南アジア地震の4ヶ月後の2月にユニセフの支援によってムザ
ファラバードに設立された診療所の人々に衝撃を与えた。“彼女はこれまで見た中で最も
ひどい例です。彼女は深刻な慢性栄養失調だけでなく、肺結核も患っています” と診療
所にカシミールの小児科から勤務するリアズ医師は話した。この診療所はこの地区では
初めての栄養失調の子ども達専用の施設である。ユニセフは診療所のスタッフへの賃
金を支払い、栄養価の高いビスケットやミルクなどの食料も提供している。リアズ医師達
の治療の結果、ラブバちゃんの状態は快方へ向かっている。彼女は他の5人の兄弟に
比べて幸運であった。彼らは同様の状況下で10歳になる前に死亡しているのだ。

■健康への初の取り組み
7万3千人の死者と3百万人の人々の家を奪ったマグニチュード7.6の大地震前の、パキ
スタンが統治するカシミール地区における慢性的な栄養失調者の割合は38%であった。
急性の栄養失調者の割合は5〜10%であった。 “伝染病の蔓延、(健康に対する)知識
の欠如、食料の不足、これらが(栄養失調を)引き起こす原因である。この状況は地震
により人々の移動によって悪化しているのである。”とリアズ医師は話す。この地震は
パキスタンに長く存在している遠隔地や北東の山岳地方の健康問題について新しい扉
を開いた。長期的なユニセフの復興計画の一部として、基本的な薬や衛生面について村
人達に教えることで、彼らは村から離れた場所でも家族の健康状態が医者に見せる必
要があるかどうかを確認することができるようになっているのである。数百人のユニセフ
協力員の医療班のメンバーは既に現地入りし、該当家族の健康をチェックし、また彼らに
衛生面や病気、また特に深刻な栄養失調について改善できるよう教育している。

■急がれる子ども達への治療
子ども達の栄養失調が慢性化する前に手を打つべく、ユニセフは母乳を促進する盛大
なキャンペーンを行っており、また地方に50の補遺食料センターの建設を計画している。
“これらの作戦は手付かずだった部分にメスを入れた計画です。私たちはなんとかして、
子ども達の栄養失調が軽度なものから重度なものになるのを止めたいのです。”とユニ
セフの栄養プロジェクトの幹部ジョーン・エグブタ医師は言った。リアズ医師も同感であ
った。“必要なのは援助が必要な子ども達を見つけることである。でなければ事態は悪
化するであろう。”と。


*著作権は情報源に帰属します。
情報源: United Nations Children's Fund (UNICEF)
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