2013年12月09日

フィリピン台風Haiyan:再建か移住か?

再建か移住か?

情報源:OCHA
日付:2013/12/9

子供達は学校へ行き始め、市場にはまた新鮮な果物がたくさん並ぶようになり、建築工事のにおいが町に漂うようになってきた。台風で切り裂かれた木からは新しい葉が芽生えだし、人々はフィリピン中央部の自分達のふるさとへゆっくりと戻ってきている。そこは1カ月前、台風Haiyan(地元ではYolandaと呼ばれている)が直撃し、400万人以上の人々が住む場所を奪われたままの場所である。
あれから、支援の取り組みは初期対応の段階から長期的な復興の段階へ移行してきている。1500万人の人々が被災して、この時期の主要な問題の一つは、この様な規模の破壊現象によって引き起こされる今後の災害をどのように防ぐかということである。

危険地帯からの移住
Augusto D. Corroはセブ島北部の Dan Bantayanの地区長である。彼のバランガイ(注:地区を表すフィリピン語)を今後の災害から守る唯一の永続的な解決策は移住であると彼は言っている。彼が危険だと考えている沿岸部から離れた高台の3地区へ200家族の家を建てる計画をしている。「私のバランガイでは、43%の住民が最低ラインの貧困生活をしている。彼らにとって島の中央部に近いところに本当の家を持つことは選択肢のひとつではなく必然のことだ。」とCarro地区長は言う。今のところDan Bantayanだけで15の海岸近くの危険地帯に5000人の非公式な住人がいる。

「私達の家畜はここにいる。私達の田畑はここにある。」
この様な不安があるにもかかわらず、この地域の家族の多くは別の考えを持っている。「私達は動きたくない。」とRebecca Piñarは言っている。彼女は31の家族と一緒に、倒木やトウモロコシ畑をひかえたBogolの郊外の遠隔地に身をひそめている。台風が彼らの家のほとんどを壊してしまったと彼女が説明していると、壊れた小屋の間の狭い隙間を通って家族がどんどん姿を現した。Haiyanによって、高潮や腰の高さまでくる洪水に抗えるくらい丈夫だったわずかに残った小屋に皆で住まざるを得なくなっていた。移住するより、以前の生活の残骸に囲まれて生活する方が良いとやはり彼女は思っている。「私達はこの土地を持っています。私達の家畜はここにいるし、私達の田畑はここにあります。私達はここに住んで、これからも何も変えない。」
と彼女は言った。

移住の課題
Medellin地区の地区長であるRicardo R. Ramirezは移住の計画には住民の生活様式を考慮することが必要だと説明している。
「もしも、ここを離れて安全になっても漁に使っていた舟を見られなくなり、作物を作っていた田畑を見られなくなるのだと言ったら、彼らは動かないだろう。」
多くの住民が以前の地域を離れることに抵抗しかねない一方で、一時避難所に移ることに及び腰になっている人達もいる。
「フィリピン人はテントに住むのを好まない。彼らは一時避難所に移ることをいやがって、何週間でも親戚と一緒に住む方が良いと言うだろう。彼らが必要としているのは、普通の生活をすぐに再開するための家を再建するのに使う建築資材である。」と地区長は言っている。

避難所での生活
多くの家族が再建か移住かについて議論している一方、他方では家が完全に崩壊してしまった50万の家族はわずかな選択肢しか持っていない。Haiyanが 中央Visayas地区を襲った後、セブ市はタクロバンやレイテの被災した家族の大部分を受け入れた。Tinago避難所はセブに6か所ある避難所の中で最も大きいのだが、災害直後には600人を受け入れた。避難所にいた人の多くは親戚と一緒に住む場所をみつけたり、以前の場所に戻って行ったりして、今は200人に住む場所を提供している。
「最初、Yolanda の直後に到着した4組の一団は恐ろしい様相だった。ここに到着した時には、彼らはまだ死臭を纏っていた。」とBarangayのリーダーで避難所の責任者であるJoel C. Garganeraは語った。
この避難所は最後の人が家に戻るまで残るだろう。多くの避難者は、もとに戻れることを期待してあまりにも早くタクロバンに戻ったもののまだ住める状態ではないとわかって、またセブの避難所に戻ってくることを強いられている。
11歳のJosephは家族の中の唯一の生存者で、まったくひとりぼっちでここへやってきた。彼はバスケットボールのネットにしがみついて、兄弟達が流されていくのを見ていた。

しかしこのような悲劇的な話の中に希望の瞬間もある
ふたりの子供を亡くしてしまったという思いに打ちひしがれて避難所にきた夫婦が、セブで子供達と再会した話とか、台風の直後の避難所で4人の赤ちゃんが生まれ、皆Yolandaと名付けられたという話をBarangayのリーダーのJoelは語った。誕生日を祝ったり、カラオケの夕べがあったり、寄贈された遊び場で子供達が笑っていたりするところで、ほんのわずかな時間、彼らもくつろいだ気持ちになれるとも言っている。

原文URL:http://reliefweb.int/report/philippines/rebuild-or-move
翻訳:Y.Kさん
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2013年11月23日

台風Haiyan後の緊急支援に取り組む若者達

台風Haiyan後の緊急支援に取り組む若者達

情報源:Women’s Refugee Commission
日付:2013/11/23

台風Haiyanの後、フィリピンの様子を伝える画像の多くには若い男女が被災した人々を助けるために集まってきているのが見られる。台風からわずか3日後のマニラ空港の仮設配給センターからの報告では、BBCが若い学生達にインタビューしていた。彼らは制服を着たままで、被災地へ送る緊急食糧を詰めるボランティアを夜通ししていた。その中には他の市からやってきている生徒も何人かいたが、夜遅くまで働いてそのうえで朝6時に起きて学校へ行くつもりだと多くの生徒達は言っていた。悲しい思いが動機となって、助けたいという衝動に駆られているのだと彼らは説明していた。

若者たちにうまく関わってもらえば、彼らのもつ才能と資源によって救援活動は大いに向上する。支援機関がフィリピンで緊急プログラムを立ち上げて仕事を始める時には、これらの若者達に率いられたものも含めた被災コミュニティによって行われる自発的、草の根的な救援活動を進めていくよう取り組むべきである。

それと同時に、国際援助団体は若い男女を安くて危険な仕事をする労働力として不当に扱わないようにすることが大切である。

両親との離別、学校生活の突然の途絶、貧困と不安定な生活の増大などによるこの危機的状況において大変な危険にさらされているにもかかわらず、彼らは重要で建設的な貢献をしようとしている。彼らの持っているたくさんのつながりや、ソーシャルメディアやモバイル機器などについての知識でもって情報を広め、不明になっているコミュニティの仲間の消息をたどり、仲間を動員するということで彼らは重要な資産となり得ている。若者達は自分のコミュニティの子供や若者のニーズに対する計り知れないほど貴重な見識を提供してくれる。その中には、障害のある若者、暴力や搾取の危険のある少女達、強盗団や犯罪活動に引き入れられる危険のある少年達など、言い換えれば救援活動のなかで取り上げられないかもしれないもっとも危険な状況にある人々も含まれている。

どの人道主義的な災害支援においても、若者達は救援活動に参加し、もっと言えば活動を引っ張ってきた。2004年のインド洋津波の後は、若者達がUNICEFに加わって仲間や隣人達の心理社会的なサポートを申し出たり、被害状況の調査をしたり、学校やコミュニティの再建を手伝ったりした。2010年のハイチ地震の後には、ボーイスカウトががれきの下に閉じ込められた人を助け、生存者のためにテントを立て、コレラ予防の教育を人々に行い、避難所の子供達に対してレクリエーション活動をした。そして2009年のイタリア地震の時には、若い赤十字のボランティアがクラウンセラピーを用いて、自分達より小さい子供達がゲームや笑いを通して感情を表現できるように働きかけた。これらの支援は、時にはボーイスカウト、ガールガイド、YMCA/YWCA、赤十字・赤新月社などの既存の若者の組織やネットワークを通じて行われる。しかし若者達が自分達で組織したり、個人的にボランティアを申し出たりすることもたびたびある。

災害や緊急時は若者達に新しいスキルを学び人間個人として成長する機会を提供してくれる。救命技術、応急処置、公共衛生促進、疾病予防などの訓練を被災した若者達にすることは、より広範なコミュニティに向けての利益と同じように若い男女にも大きな利益をもたらすことになる。この前向きな取り組みは、若者を「トラブルメーカー」としてとらえる誤解を払いのけ、世代間の前向きな関係を発展させていくことの助けとなりうる。

国際支援機関は台風Haiyanの後のフィリピンで湧き上がった若者の自発的な新しい取組みを無視しないでほしいと我々は願っている。その取組みで彼らは、若者と協働してニーズを調査しそれへの対応を計画しようとしている。また地元のコミュニティがすでに始めていることを進めていこうとしている。そしてもっと貢献するよう若者達を力づけるためのリーダーシップとスキルの訓練を提供しようとしている。

このような方法で若者へ投資することは、フィリピンのように災害の多い地域に重要な災害リスクの削減への投資にもなる。

原文URL:
http://reliefweb.int/report/philippines/engage-youth-emergency-response-typhoon-haiyan

翻訳:Y.Kさん
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2013年11月18日

強いコミュニティが復興を引き受ける

強いコミュニティが復興を引き受ける

情報源:World Vision
日付:2013/11/18

フィリピンセブ島北部のTrabugonでワールドビジョンの開発事業ボランティア地域リーダーとしてBonafacia−隣人たちは Pacingと呼んでいる−は近隣の子供たちの福祉について観察し親たちには責任を持って世話をするように励ましている。Pacingには5人の息子がおり、スポンサーチャイルドである15才のJadeもその中のひとりだ。

台風Haiyanは彼女のコミュニティに大変な損害をもたらした。しかし人々はそこで互いに助け合った。「私達は自分たちだけのために何かを持つことに我慢できないし隣人たちが困っていたら面倒を見ずにはいられない。私達は食べ物、避難場所、そして他の必要な物を分け合った。」とPacingは言う。

ワールドビジョンのスポンサーシッププログラムがこの困難な時のいたるところでコミュニティの団結を発展させたと彼女は信じている。このプログラムの中では、80人以上の地域の人達が毎月集まり、問題を共有し、解決法を話し合ってきた。「私達はここのハザードマップを作り、避難ルートと警報システムを計画した。」ワールドビジョンがコミュニティで促進してきた防災ワークショップのことをPacingは話した。

子供達は嵐による被害や洪水、土壌の崩壊などを木々がどれだけ防ぐかを学び、木を植えて世話をする役割を担ってきた。子供達の植えた木は流され、Haiyanが伴ってきた多くの物によって破壊されてしまった。それらの木は、極めて重要なココナッツやジャックフルーツ、ポメロ、バナナ、そしてスターフルーツなどだった。
「木が倒れてしまったので、もっと暑くなった。子供達は木に登ってその果物を取って食べるのが好きだった。今はどうやってあのような健康的な食べ物を彼らに与えることができるのだろう。」とPacingは言った。
彼らはまた木を植えるだろうか?「もちろん、私達ががれきや壊れた家をきれいに片づけたら子供達にも安全になる。そうしたら私達はまた木をうえます。」と彼女は答えた。

原文URL:
http://reliefweb.int/report/philippines/typhoon-haiyan-strong-community-takes-recovery

翻訳:Y.Kさん
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2013年11月17日

台風Haiyan後のレイテ島被災地での救援活動

台風Haiyan後のレイテ島被災地での救援活動

情報源:IFRC(国際赤十字・赤新月社連盟)
日付:2013/11/17

フィリピン赤十字の救援トラックがゆっくりとTanuanのメインストリートの角を曲がってきた時、大きな歓声が上がった。これから数日間生き延びていくための食料の包みを待ちながら、1時間以上の間千人を超す人々が忍耐強く列を作っていた。

5万人の町に支援が届いたのはこれが初めてだった。台風Haiyanの生存者にとっての状況が良くなり始めているという前向きな兆候である。台風に伴って高潮と猛烈な風が組み合わさってやってきた結果、すべての家が被害を受けた。波は進路の途中のすべてを粉砕し、壊れた家や車や人々の財産などのがれきは全ての通りをふさいでいる。店はまだ閉まったままで、地元の人々は飲み水を求めて、町中に点在しているわずかな手動ポンプに頼っている。

その日には物資配布をしている道の向こうでフィリピン赤十字が応急処置所を開設した。傷の手当てを求めて歩いてくるけが人の途絶えることのない流れができていた。すぐ近くの家から引きちぎられた金属製の屋根が飛んできてけがをした十代の若者の腕の傷を二人の赤十字のボランティアが注意深くきれいにしていた。「ほとんどの傷が裂傷によるものだ。」とLagunaのフィリピン赤十字支部からきたRudelly Cabutinは説明する。「適切な治療がされないで多くの人達が感染症になることが心配だ。この町の地元の医療サービスは崩壊してしまっている。」

市役所では23才の Golda Mayが5人の助産婦のチームと合流して小さな事務所を分娩室に整えていた。そこではタオルで覆った机をベッドにしていた。屋根の半分はなくなっていて、雨風をしのぐものは防水シートだった。床は泥水に浸かっている。「災害によるショックで多くの母親が早期分娩に入っている。私達には麻酔も痛み止めも抗生物質もない。」とGoldaは言っている。粗末な設備にもかかわらず、チームはこの一週間で13の分娩を行った。Goldaは自らの悲惨な話をしてくれた。嵐が起こった日、彼女は働いていた。しかし4才になる娘は高潮の進路内にある家にいた。「私の娘はまだ行方不明です。子供はみんな集団墓地に葬られたと人は言っています。何が起こったのか考えないようにするために今は忙しくしていなければならないのです。」と彼女は語る。彼女には他に子供はいない。

Tanuanの裏通りでJuan Coleasは自宅のがれきの中を丹念に探っていた。残っているのは彼や家族の持ち物で散らかった中で切れ切れになった材木の山だけだった。彼の息子のJoeyはすでに家の土台を作り始めていた。防水シートで覆った仮設の住宅を作るのだ。「ここの3軒の家に私達12人が住んでいた。私達は全てを失った。」とColeasは言った。外では妻ががれきや泥に囲まれた汚い水の中で洗濯をしていた。空気は腐敗した遺体の臭いで淀んでいる。がれきの中に何人の人が埋まったままなのかわからない。Juan Coleasは隣人の Felicisisimo Picaと共にいる。Picaはリタイアした土木技術者で、この通りで唯一建っている家の持ち主である。

「うちで約50人に家を提供している。私達は持っている食べ物を分け合い、一緒に料理をしている。フィリピン人にとってこれが地域社会として災害を乗りきる方法なんだ。希望もなく私に残っているものは何だろうか?」とPicaは語る。

台風が襲ってきてからフィリピン赤十字はとても困難な状況で驚くべき仕事をしてきた。タクロバン支部のスタッフも皆高潮の直接的な被害を受けた。この支部の17人のメンバーはどうにかこうにか波から逃げて屋根の上で4時間救助を待った。今赤十字は部分的に壊れているレイテパークホテルの敷地内に指令基盤を置いている。ルソンとミンナダオを含む国中の支部から136人をボランティアとして採用した。毎日赤十字の3台の給水車はそれぞれ本格稼働し、タクロバンで唯一機能している病院の隣に水の貯蔵袋を設置してそこへ水を届けている。町では水の供給がまだ断続的なため町の他の地域の地元住民へ水を届けるためさらに二つの水袋を設置した。ボランティアのチームは通りからがれきを取り除くのを手伝った時、遺体を回収するという陰惨な仕事も行った。

今日のTanuanでの支援提供は我々の任務の拡大を示すものである。「12の車列がタクロバンに到着するのに5日かかった。ここで大量の支援物資を届けるのがどんなに大変か見当がつくだろう。タクロバンに多くの注目が集まってきたが、今優先すべきことはまだ支援の届いていない他の町や村へ出ていくことだ。」とフィリピン赤十字業務責任者のRyan Jopiaは言っている。

原文URL:
http://reliefweb.int/report/philippines/relief-rolls-devastated-towns-leyte-after-typhoon-haiyan

翻訳:Y.Kさん

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2013年11月16日

【フィリピンの現地ニュース】ボランティアさんからの情報

ボランティアのH.Tさんが、フィリピンの英語メディアからニュースをピックアップして訳して下さいましたのでご紹介します。
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・パナイ島にあるIloilo-Capiz 道路は、倒木と電柱によりまだ通行止めとなっている。
11月13日10時25分(インクワイアラー)

・北方セブ島Daanbantayan町に避難所、水そして食料なしで、置き去りにされた住民が病気になり始めている。YOLANDA台風が襲来した何日か後に住居を奪われた人々の中で下痢や熱がよく起こっている。Daanbantayanの町長は「人々は基本的に必要不可欠である食べ物、水、テントを除いて、大変薬を必要としている」と述べた。また、「彼らは、ある場所からある場所へと避難所を求めている。避難が可能であった私たちの体育館は破壊された。私たちは大変困難な状況に置かれている」と話した。地元の政府と民間部門によって救済グッズが北方セブ島に送られているが、言うまでもなく十分ではない。
11月14日(インクワイアラー)

・バンタヤン島の住民は食べもの、水、援助を必要としている。ある男性一家は台風から五日後、破壊されたヤシの木の森林地帯の中で、政府の救済補助でかろうじて生き延びた。
(ABS CBN) 

・PCGによって伝えられるところによると、アジアの船積み会社が所有している小型内航用輸送船の乗組員の一人が、船がボホールのPOBLACION GUINDULMANの海の上に座礁した後、行方不明になっている。陳述のなかで、PCGは、「台風がVISAYAS地方に衝突したとき、船「ROGER」は、ボホールとセブ島に座礁した4船の小型内航用輸送船に含まれていた。一人も死傷者、けが人は報道されていないが、その行方不明の乗務員はまだ身元が確認されていない。」と話した。
11月9日(GMA)

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台風の後も強い友情の絆で結ばれた支えあい

台風の後も強い友情の絆で結ばれた支えあい

情報源:IFRC(国際赤十字・赤新月社連盟)
日付:2013/11/16

Julie-Ann Benedict, Julius Steven, Valerie Jeanの三人はものごころついた時からお互いを知っていた。−一緒に遊び、一緒に学校へ行き、お互いに誕生日を祝った。この前の金曜日には多台風Haiyanに一緒に立ち向かった。

今、三人の十代の友達は、タクロバンで家族のために食料や水を探す試みをしながら日々を過ごしており、何が起こったのかを受け入れるためにお互いに支えあっている。「私達の三軒の家は隣同士だったのでいつも一緒にいました。私達も家族もみんな大丈夫だったことに感謝しています。みんなの家は被害を受けましたが、少なくとも眠るところはあります。」と15才のJulie-Annは言った。

カテゴリー5の嵐がレイテ島北部の町に激しく雨風を打ちつけていた時、三人の若者達は両親や兄弟達と避難していて、最悪の事態に対してお互いを元気づけていた。

「嵐が通り過ぎて、なにがあったのか見た時、ショックを受けました。」と14歳のJuliusは語った。「これからどうしたらいいのか誰もわからなかった。今もわからないけど何とか生きていきます。」

次の火曜日、彼女達は水が見つかる期待を持って、町の自分達の家から空港に向かって数キロ歩いて行った。がれきや洪水が作った窪み、Haiyanの残していった残骸からできる限りのものを持ち出そうと押し寄せている大勢の人々などの大混乱の中を数時間苦労しながらすすんだ後で、彼女達は細いパイプから地面の泥だらけの窪みにちょろちょろと水が流れ落ちているのを見つけた。三人がパイプの水を瓶にいっぱい満たし終えたところで、18才のValerieは言った。「この水がどこからきているのかはわからない。これで病気にならないことを祈るけど、私達にはほかに選択肢はありません。」

フィリピン赤十字の健康プログラム責任者であるRyan Jopiaはこの地域において清潔な水が皆にとっての最優先課題だと語った。「飲料水の不足はとても重要なことだから、水の貯蔵袋と給水車と浄水システムをタクロバンとレイテ島北部の他の被災した地域に配置する。」

国際赤十字・赤新月社連盟は台風によって被災した何百万もの人々への支援を求めている。その呼びかけは、台風によって家や生活を破壊されるという経験をした人々へ食料、水、避難所などを含めた緊急支援をフィリピン赤十字と協力して届けることにつながる。

原文URL:
http://reliefweb.int/report/philippines/finding-support-through-strong-friendships-after-typhoon

翻訳:Y.Kさん
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2013年11月15日

フィリピンの暮らし〜ボランティアさんの体験から〜

フィリピン・セブ島の孤児院で半年間ボランティアをされた経験のあるM. Iさんが、滞在先だった地域の暮らしや文化について教えて下さいましたので、許可をいただきここに掲載させていただきます。支援をする際には、その地域の暮らしや文化について知ることがとても大切です。コミュニティごとに暮らしぶりは異なると思いますが、セブ島の生活の一風景を想像してみて下さい。
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まず衣食住についてです。
フィリピンは亜熱帯気候のため、年間を通して暑く、現地の人々の服装は半袖にジーパンというような感じです。しかし朝晩は少し気温が下がります。私たちにとっては涼しい程度の気温でも、寒さに慣れていない現地の人々にとって、雨が降った時などは特に、身震いするほど寒く感じられるようです。

食事は米とおかずが基本です。おかずは肉・魚、野菜などの炒め物、煮物が多いです。ほとんどのフィリピン人たちが毎日三食必ずといってよいほどお米を食べます。食事はスプーンとフォークを使いますが手で食べることも頻繁にあります。おやつを食べることも食事と同様に当たり前のような風習があります。

住居は高級な家から雨風をしのげるだけのレベルのものまでさまざまですが、国民の80%が貧しいといわれているため、多くの人がセメントと石のブロック・木材などで建てたような家に居住しています。電気が通っていない家もあります。

トイレやお風呂に関して。基本的にお湯はありません。フィリピン人は朝にバケツに張った水をすくって浴びるという形で入浴します。トイレは、用を足した後、トイレットペーパーを使わず、手を使い水で洗います。洗濯は基本的に手洗いです。入浴、洗濯、トイレなどによる生活排水は海や川、家の周辺に垂れ流されている場合もあるので衛生的ではありません。

宗教は約95%がキリスト教(ほぼカトリック)です。教会の前を通る時や食事の前など十字架をつくるなど、非常に信仰心が強く、つらいことなどがあるとき、教会に行ってお祈りをすることで心が平和になるようです。いいことがおこった時なども神に感謝します。

病気については、狂犬病や赤痢などいろいろありますが、蚊を媒体にし感染するデング熱は雨が多く蚊が大量発生する時期に患者が増加します。栄養状態が良いと発症しないこともありますが、貧しく栄養のあるものを食べられない子供など、症状がひどかったのを見たことがあります。

防災教育などについては、日本のように盛んではないのではないかと思います。というのも、私は孤児院で半年間働いていたのですが、そのような指導・教育がされているのを見聞きしたことがないからです。またフィリピンは地震や災害が確かに多いですが、セブあたりの地域はどんな災害でも比較的被害が少ない場所なんだと現地の方々から聞いたことがあります。10月に起こった隣のボホール島での地震と今回の台風について、現地の人はこんなのは初めてだと言っていました。

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また、M.Iさんは、こうおっしゃっています。「セブ在住レイテ出身の知り合いがいるのですが、先日、家族と連絡がとれないため、家族がレイテ島で生きていることを祈りながら、レイテ島に帰省すると言っていました。本当にいたたまれない気持ちです。」
日本にいるフィリピン人の方々でも、ご家族と連絡が取れない方が多いようです。本当に、無事を祈るばかりです。
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2013年11月14日

フィリピン台風:女性、子供、障害者等の要援護者への対応の必要性を呼びかけ

フィリピン台風:女性、子供、障害者等の要援護者への対応の必要性を呼びかけ

日付:2013年11月14日
情報源:Women's Refugee Commission

超大型台風ハイヤンは11/8にフィリピンを直撃し、約11.3百万人に被害を及ぼし、80万人が住居を失った。2百万人分の食糧が不足し、30万人近くは妊娠中か産直後の女性である。直近の国勢調査によれば、100万人近くの19歳以下の子供達が、最も被害の大きかったタクロバン市及びレイテ州に住み、内20万人近くは少女(10-19歳)達で、健康・安全・福祉に関する彼等特有のリスクに面している。人道支援組織が被災コミュニティを支援する為に活動しているが、効果的で責任のある対応、つまり最も弱い立場にいる人々へも公平に目を向ける事が求められる。自然災害時、女性・少女達は他者より更に酷い被害を受けている。

2004年津波犠牲者の内、実に80%が女性・少女であった。自然災害による生活の損失の男女差は、災害前から存在する、女性の貧困・社会的地位により制限されている生き残る為の技術や警告を受け取る力、危害を避ける力、に直結している。

「自然災害から生還した女性と少女が直面する危機は、ショック、住居損失、性的暴力、搾取、医療サービスの崩壊、家族単位を含む経済的安定の損失であり、それらは短期/長期にわたる壊滅を引き起こす。」と、Women's Refugee Commission性と生殖プログラムの代表であるSandra Krauseは語る。

女性・少女は心的外傷を受け性的暴力のリスクが大きくなり、望まない妊娠とHIVを含む性感染症を引き起こす。妊婦は安全に出産できる場所を失い、彼らの15%は難産となる。緊急産科や新生児治療が機能しない事は、母体と乳児に重大な影響を与える。

政府が試算した性と生殖に関する健康によると、凡そ95,270人の妊婦と190,540人の授乳中の女性が被災地にいる。内、4,660人の妊婦と8,990人の授乳中の女性は現在避難所にいる。
緊急対応の基準の下、女性と少女は優先的に性と生殖の為の医療サービスを受けるべきである。それは、緊急専門医と新生児治療医の推薦を受けた熟練の助産師と清潔な器具が用意された医療施設での安全な出産をすべきであり、性的暴力被害者への対応がされるべきである。

HIV感染を防ぐために必要なのは、輸血の為の全ての血液製剤が確実に検査され、コンドームがどこでも無料で配られ、医療提供者が感染症媒介防止に関する注意をしっかり実行する事である。

加えて、極めて重大なのは、功レトロウイルス薬使用者が薬を確保できる事、経口避妊薬が需要に足る事、症候性に対する処置が性感染症症状を現す人々に施される事、女性と少女が生理衛生用品を入手できる事、である。

緊急時において予防は必要である。女性と少女は、男女間暴力(身体への暴力・搾取、レイプ、児童婚を含む)において特に弱者である。台風ハイヤンの影響で、15〜49歳までの出産年齢にある49,000人の女性が性的暴力を受けるリスクがある。

健常者への暴力に対して障害者への暴力は4〜10倍多い事が明らかとされ、特に強制立ち退きに対する防御時における場合に関連する。

当局は速やかに、女性・少女・障害者・独身女性・孤児等社会的弱者が、避難所や生活必需品を得る際に被る性的暴力・虐待・搾取から保護されるよう、対策をとるべきである。

性的暴力には速やかな対応が非常に重要である。被害後3日以外の処置がHIVには有効であり、5日以外の処置は妊娠の可能性を下げる。

災害直後の生活で必要なのは、避難出来る場所、食料、水そして医療サービスである。また、可能な限り経済的機会を提供し経済的資産を守る事が重要である。

それは、収入を継続して得る為に最良の方法だからである。女性と少女に安全と実行可能な経済的機会を提供する事によって、彼らを性的搾取から守る事が出来る。救援時の全ての面に於いて、女性・男性・少女・少年それぞれ異なるニーズ・能力がある事を理解しそれぞれに合わせるべきであり、支援プログラムを策定する際に彼等は参加出来るべきであり、彼らの能力は支援提供時に活かされるべきである。

台風ハイヤン対策として、The Women's Refugee Commissionは緊急支援事項上位10項目を改訂した。

原文URL
http://reliefweb.int/report/philippines/womens-refugee-commission-calls-philippines-typhoon-response-take-account#sthash.0Ct3sv4e.dpuf

訳:Y.Mさん
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2013年11月13日

フィリピン北部Samarの村人が語る、生命と経済を守ったマングローブの再生

フィリピン北部Samarの村人が語る、生命と経済を守ったマングローブの再生

情報源:国連開発計画
日付:2013/11/13

歴史的な記録として残る最大級の台風の結果、フィリピンの広大な地域が壊滅したが、マングローブの再生に取り組んでいる草の根的な構想は、災害の危険を減少させるための健全な生態系と環境保全の重要性を示している。

Trowel開発財団は北部Samarにおける地域密着型の組織である。台風Haiyanによってもっともひどい被害を受けた地域ではないとはいえ、ここでも深刻な影響を受けた。過去10年以上この構想は海洋生物の再生と地元の食料の安全を強化する手段として、悪化したマングローブの生態系の植林を行ってきた。
沿岸に木を植えることは、自然災害に対する天然の緩衝装置を構築することも意味している。それは地元経済の中心を占めている魚やカニの内陸部の養殖場を嵐の大波から守る手段となるということである。台風Haiyanの結果として、環境保全に対する地域社会投資への回帰は予言的に高まると明確に示している。

その組織とのEメールでの今日のやり取りによると、地域計画の場所への被害は最小限であったということだ。Trowel開発財団事務局長のLeonardo Rosarioは地元の村の復元力は生態系機能の回復によると言っている。「非合法な伐採からマングローブを守っていなかったとしたら、そして魚の養殖場を取り囲む地帯に木を植えていなかったら、貧しい漁民が作ってきたもの全てを巨大台風は破壊してしまっただろう。」

マングローブの植林活動と、カニ養殖において気候による打撃や環境による災害を減らす地元の方法を採用する取組みによって、この草の根的構想はUNDP(国連開発計画)の2010年度赤道賞を受賞した。
Trowel財団が地元の村と共に推進したtie-crab(結びカニ)養殖は、それぞれのカニをブイの付いた竹の棒に結び付けることを導入した、カニを太らせる技術である。もし養殖場の水があふれることがあれば―これは緩衝装置としてのマングローブを再び植えることの動機づけになる頻繁に起こる事態だが―カニはしっかりと棒に結び付けられていて、海に流出してしまわない。もし棒が洪水にのまれて折れるような時には、ブイが洪水の水の上に容易に見えているのでカニを取り戻すことができる。この取り組みによってこの組織は地元の漁業世帯の平均収入を2倍にした。
「たとえ強い波が来てもマングローブの森によって弱められて、結んだカニは影響を受けなかった。太ったカニは養殖場の中で無傷の状態で残っていた。カニ達は泥の中に穴を掘って潜っていたのだ。」とRosarioは書いている。木を植えることは命を救い、地元の経済の崩壊を救ったとRosarioははっきりと断言している。

「Taclobanの状況は一層悪かった。というのもこの地域は開けた海の近くに位置していて、海と陸とを隔てるマングローブの木という緩衝装置がない。そこには嵐の力を弱めるマングローブの森がなかったので、巨大台風が最大の力とスピードで陸地を襲った。」と彼は書いている。
健全で適切に機能している生態系は、人間の健康、安全、そして満足できる生活状態にとって絶対必要であるさまざまなサービスを提供する。Trowel財団の経験は自然資本への投資とそれを行う公共サービスの責務の有用性をたくさん物語っている。それは良好な環境への認識をもたらすだけでなく、良好な経済への認識もつくることになる。今回の場合でいえばマングローブの植林は命を救うだけでなく、地元のインフラへの打撃に対する緩衝装置となり、地元経済に対するかなり大きな損失の可能性を防ぐことにもなる。公共投資を検討している政府は注目すべきである。−開発と安全の点において環境の回復は最重要課題である。
「マングローブの森が沿岸地域の人々と生活を守っていることの重要性を政府が今すぐ認識することを私は望んでいる。」とRosarioはメッセージを締めくくっている。

原文URL:http://reliefweb.int/report/philippines/mangrove-restoration-saved-our-lives-and-our-economy-says-villager-northern-samar


参考:
・Trowel Development Foundation http://www.equatorinitiative.org/
・カニの種類−Mud Crab(和名ノコギリガザミ)、別名マングローブクラブ
・赤道賞−環境を保護しながら地域コミュニティを力づける行動をとっている草の根組織に対し国連主導のパートナーシップである赤道イニシアティブから授与される賞

訳:Y.Kさん
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フィリピン台風 他団体の救援情報:CARE

台風Haiyan 被災地からの報告
情報源:CARE  http://we.care.org/blogs/22/483
日付:2013/11/11(現地時間19:00)

レイテ島に入っている支援団体CAREのブログ(英語)の概要を、ボランティアさんが訳して紹介して下さいました。被害の状況がありありと伝えられています。支援スタッフの言葉が次のように紹介されています。

「私達がOrmoc市の港にボートで到着すると、すべてのものが破壊されていた。ブリキの屋根の薄板は濡れた毛布のように木にぶら下がっていた。

沿岸のすべての家は完全に押し潰されていた。すべてが破壊されている。さらに内陸に入ると、約80%の家には屋根がない。約5%の家は完全に倒壊している。これらの家の大部分が木造住宅である。私達が見た人々は皆ハンマーや工具を手にして、家や屋根を直そうとしているように見えた。人々は通りから柱や木切れを拾い上げていた。金物屋や薬局には長い行列ができていた。私達も燃料を手に入れるのに2時間並んで待った。今までのところ、道路は大丈夫だが、どこへ行くのにも時間がかかる。

ある男性はこれから5人の子供達をどうやって食べさせていくか途方に暮れていた。また、ある少女は一生懸命本を乾かしていた。彼女の家は完全に壊れてしまっていたが、学校に行きたいからである。

人々はかなり必死になってきている。今しがた何人かの役人がやってきて、この地域で略奪が起きていると言っていた。人々は家族のために米を手に入れようとしている。住民は3日間食料が無く、家族に何か食べさせようとしている。できるだけ早くこの地域に食料と救援物資を届けることがとても重要である。Ormocには食料があった。私達は鶏や米を買うことができた。しかし食べ物の屋台や店には大行列ができていた。」

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2011年10月26日

不十分なコレラ対策で未だ脅かされるハイチの人々の命

不十分なコレラ対策で未だ脅かされるハイチの人々の命

情報源:MSF(国境なき医師団)
日付:2011年10月19日

ポルトー・フランス

ハイチで伝染病コレラが発生してから一年がたちますが、ハイチの多くの地域の人々は今なおコレラの脅威に晒されています。ヘルスケアサービスやコレラ蔓延を防ぐ手立てはいまだ確立していないと、国境なき医師団は警告しています。

ハイチ救援における国境なき医師団のリーダーであるRomain Gitenet氏は「ハイチ当局や国際援助関係者はコレラを治療し蔓延を防ぐためにさらなる行動を起こす必要がある」と述べています。「早急にヘルスケアを改善し、清潔な水を手に入れる術を提供し、適切な衛生環境を保証する必要があります。清潔な水や適切な衛生環境はコレラの蔓延を止めるために必要不可欠です。」

「国際社会がハイチを支援するために多額の金銭を寄付しているにもかかわらず、未だに毎週何千人ものハイチの人がコレラにかかり、また多くの人が亡くなっています。」

ハイチの厚生省によると、2010年10月に最初のコレラの患者が確認されて以来、46万5千人ものハイチの人々がコレラにかかり、6500人以上の人々が亡くなっているそうです。雨期が続いており、病気の蔓延を助長しています。

また、国境なき医師団は、ヘルスケアや水、公衆衛生に携わる国際組織がコレラと戦っているハイチから撤退する姿を目撃しています。しかし、依然として支援が重要な状況であり、緊急事態のままです。引き続き危険な状況であり、コレラの発生数も予測不能なほどに不安定な状態です。例をあげると、国境なき医師団は8月の第4週に281人の患者をポルトー・プランスで治療しているが、これが9月になると週当たり840人に劇的に増加しています。

ハイチでは今後何年にもわたってコレラは存在し続けるでしょう。最終的に、ハイチ当局がコレラ蔓延への対策の責任をとる必要があります。しかし、ハイチ当局はまだ全国的に有効な対策を打つことができていません。

国際援助関係者はコレラに対するケアへの緊急ニーズを十分に満たしつつ、ハイチ政府が迅速に医療施設に適切なコレラ治療を結びつけることや、予防計画を実施することへの支援をもっとするべきです。国境なき医師団は、国際援助関係者がサポートしているヘルスケア施設の管理業務を厚生省に移すために働きかけています。

同時に、あくまで焦点はハイチの人々の命を救うことに他なりません。Gitenet氏は「僻地では近くに経口再水和ポイントや治療施設がなかったり、ヘルスケア職員や福祉従事団体の職員を訓練することがされていなかったりするために、コレラ患者は脱水症状により死に続ける。これは容認しがたいことである。」と述べています。

コレラ及び感染症に対しての国境なき医師団の反応によると、コレラは主に汚染された水と食物、または人と人の接触を通して拡散する伝染病です。それは短期間で人を死に至らしめるものですが、もし適切な治療ができれば、対処するのは簡単です。さらに、清潔な水や定期的に手を洗う習慣、衛生的な食物の取扱いをすることで予防することも簡単です。しかし、農村地域や都市部のスラム街に住むハイチの人々の大多数は飲料用として適した水や適切な衛生環境、下水処理施設を利用することができません。

2010年の10月にコレラの流行が始まって以来、国境なき医師団は16万人ものコレラの患者を治療してきました。それは全国規模で報告されているものの35%になります。現在、国境なき医師団はポルトー・プランスのMartissant、カルフール、デルマ、Choscal、Drouilardの近隣、及び、Ouest、ノール、Artiboniteの一部でコレラの対策に努めています。


原文URL http://reliefweb.int/node/453867
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2010年11月04日

インドネシア状況レポート 

情報源:Presbyterian Disaster Assistance(PDA)
※米国ケンタッキー州に本部を置くキリスト教系支援団体
日付:2010/11/4

2010年11月3日ムラピ山が再び噴火し、巨大な灰の雲が空に噴出した。インドネシアのジャワ中部地域で10月25日に始まったムラピ山の噴火では約7万人の人々が避難していた。

複数の国連機関の調査によると、国内避難者(IPDS)は75のキャンプに広がり、そのうちの9つが山から25q以内にあるジョグジャカルタ市内にある。5万人以上の人々が暮らしている残りのキャンプはジャワ中部から遠く離れたところにある。

全般的に見れば、政府の火山早期警戒システムはうまく機能しているように思われると、国連人道問題調整事務所(OCHA)の指揮官代理のKnarik Kamalyanは言った。

建物への被害は少なく、病院や食料マーケットは機能していると調査では示されたが、つい最近の噴火によって新たに38名の死者が記録され、28名のけが人が確認された。

PDAが支援しているACT AllianceのパートナーであるYakkum Emergency Unit(YEU)は、噴火被害にあった人々への医療支援を提供している。YEUと他のACT Allianceのパートナーはムラピ山の更なる変化をモニターして、人々が噴火の熱、ほこり、溶岩などから逃れられる避難所を建設している。

地震と津波
嵐と高波はいまだに津波に対する救援の妨げとなっている。PDAのパートナーでACT Allianceの共同メンバーであるChurch World Service(CWS)はパダンから津波に襲われたパガイ島まで13時間かけてボートに乗っていったが、それは普段の2倍以上の時間がかかるものだった。CWSは南パガイと北パガイの最も被害の大きい地域に最初に到着した組織だった。

先週インドネシアのムンタワイ諸島を危機が襲ってきた時には、十代の若者達が救援にやってきた。
最初の波はひざの高さだった。次に来た波と比べればそれは水の滴り程度のものだった。2番目の波は1.5mに急上昇した。3番目の波は3〜4mの間の高さの巨大な壁となり、少なくとも450人の死者を出した。

父親が「津波だ」と叫んだ時、高校教師であるYeniはどうしたらいいかわかっていた。2008年、彼女はインドネシアのムンタワイ諸島のシカカップという町でどのように災害に備えるかを生徒達に教えていた。6ヶ月間にわたり、もし最悪の事態が起こった時必要となるであろう応急処置と捜索・救援技術の訓練を彼女は行った。地震と津波が起きたとき、ムンタワイのプロテスタントキリスト教教会中学校の生徒達は、周囲の混沌と恐怖を気に留めることなく、彼女の教えたことをそのまま実行に移した。

津波の翌日、生徒のHerlina, Deformalis, Parluhutanは管理事務所の指揮所に行き、Yeniと仲間のBerniとの間で調整を行った。三人の生徒達は住民を助けて家から瓦礫を取り除き、一時避難所へ移る手助けをした。

次の日、三人の生徒達はパダン市から来ていた捜索・救援隊を手伝って人々を町から高い所へ避難させた。翌日早くにはBeubukku村から住民を移動させた。それからも人々をより高い場所や避難所へ連れて行く活動をずっとしている。

PDAの地元のパートナーであるACT AllianceのメンバーのYayasan Tanggul Bencana di Indonesia(YTBI)によって行われたプログラムへの称賛の声が、はるばるパキスタンからも届いた。イスラマバードのLaksmita Novieraは、ムンタワイ学校トレーニングプログラムの元プログラムリーダーである。彼女は生徒達が活動しているところを写した写真を見たとき、「彼らに何が起きたのかを想像したら身震いがします。私達の活動が本当に役に立ったことを神に感謝します。」と言った。

PDAの地元のパートナーやACT Allianceのメンバーによる他の救援活動としては、ムンタワイ諸島への移動医療サービスの提供や、救急医や看護士の配置、地域の保健所や教会の避難、食料のパック、ベビーフードのパック、プラスチックシート、毛布、プラスチック合羽、生理用品や下着などの配給などがある。赤ちゃんへの愛情キットというCWSからの物資も配った。

これらの情報はYTBI, IRIN, ACT Alliance, CWSから得たものである。

原文URL:reliefweb.int

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2010年07月30日

ハイチの女性について

情報源:United Nations Development Fund For Woman(UNIFEM)
日付:2010/7/30

2010年1月の巨大な地震でハイチでは20万人以上が亡くなり、150万人が家を失ったとみられている。も
っとも被害を受けたのは、ポルトープランス、レオガン、プチゴアーヴとジャクメルで、インフラの広範囲にわたる崩壊と、避難所、電気、水道、交通、保健、治安などの基本的なサービスまでもが破壊されたという特徴を示していた。

女性は特にこのような災害で影響を受ける。貧しい家の状態のため死者のおよそ三分の二が女性であると、いくつかの指標が推定している。仕事、資本、そして経済力の大いなる損失は破壊的な地震に起因していた。自然災害の時、避難所や治安の不足から女性や少女には暴力、特に性的暴力の危険が増大する。現在、災害後6カ月たっても多くの人々がむさくるしくシートでできた一時的な避難所にいて、常に暴力の恐怖にさらされている。女性達は照明のない便所を共同で使わなくてはならず、公衆の面前で入浴し、家族との連絡が取れないのにもかかわらず見知らぬ人の隣で眠ることを強いられている。

正確な情報
女性はハイチの人口の52%を占め、家族の生存を確実にする大事な役割を果たしている。地震の前、政治的に不安定だった十年間においても、蔓延する貧困と男女不平等は女性の権利と安全に対して重い打撃を与えていた。家庭内暴力と性的暴力は高い率で国中に蔓延している。

‐2006年の国勢調査によると、三人に一人の女性が暴力を経験していた。
‐HIVとAIDSの率はこれらの事柄についての文化的なタブーと同様に高い。

ハイチの女性達は子供や他の扶養家族の面倒を見るという過度の負担をも負っている。
‐約45%の家庭で女性が家長となっている。
‐ハイチの非識字率はラテンアメリカやカリブ海地域においては一番高い。
‐UNDPの2009年人間開発報告によると、成人女性の識字率は64%という。

多くの女性達は公的ではない職場で雇われ、男性の半分以下の収入しか得られない。
‐UNDPの2009年人間開発報告によると、ハイチ女性の年収は626US$、それに対し男性は1,695US$
‐ハイチ女性は主に農家か小規模の実業家か市場の商店かの仕事をしている。
‐地震によって経済的活動が機能しなくなっている女性の小規模な農家や実業家に対する資本やその他の援助がもっとも重要である。
‐地震後の初期復興段階においてキャッシュフォアワークやフードフォアワークなどのようなプログラムによって約20万人の雇用が供され、そのうちの35%が女性であった。
‐もっと多くのことをしなければならない。急を要する必要性としては、経済活動を再開するための仕事の創出に取り組むということがある。特に家長となっている独身女性に焦点を当てる必要がある。

カリブ海諸島での厳格な性別役割や不平等はしばしば女性が政治的な意思決定に参加するのを阻止したり、性による暴力の危険性を増大させることになる。
‐ハイチの国会議員のうち女性は5%以下である。
‐公共の場での暴力は、公の生活に十分参加し貢献するという女性の能力を損なわせることになる。
‐多くの女性は政治的な活動に参加することは危険な行為だと思っている。

原文サイト:reliefweb.int
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2010年07月12日

ハイチ人どうしの助け合い

日付:2010/7/12
情報源:Trocaire

1月の地震がハイチの国土を引き裂いた時、150万人の人々が家を失った。約90万人の多くの人々は首都のポルトープランスに留まって、利用可能な土地にあるキャンプでいまだに暮らしている。

しかし60万の人々は首都を離れた。地震直後に離れた人もいれば、路上やキャンプでの生活が耐えられなくなって数週間たってから動いた人もいる。6ヶ月たった今では、これらの人々の多くは国中に散らばったままになっている。

この緊急事態での顕著な特色は、ハイチの人々がお互いに労をいとわずに助け合うことである。60万人のほとんどはホストファミリーのところにいる。ホストファミリーの多くは被災者の親戚だが、驚くことに、そうではない場合も多い。困っている人を受け入れるというささやかな方法に対するホストファミリーの犠牲や善意は計り知れない。

Alexandre Victoirは地震から3週間たって生活がとても苦しくなったのでポルトープランスを去った。彼女の姉と姪は崩れた家の下になって亡くなり、お金も食べ物もなく、5人の子供達と一緒に瓦礫の間で眠り、隣人が分けてくれる食べ物なら何でも食べて暮らしていた。

「寝るところをどこか提供してくれる人が誰かいるからと、お隣さんのひとりが言ったのでFonds Parisienに来た。」と彼女は私達に言った。彼女の夫には町から二時間の郊外にあるその場所に遠い親戚がいた。そのいとこは自分自身が貧しさから抜け出せないでいるのに心から温かく彼らを歓迎してくれた。

Trocaireが訪ねた時、Alexandreは娘と一緒に庭の木陰に座っていた。「ここには私達が必要とするのに十分なだけの場所も食べ物もない。夜にはとてもくっついて寝なければならない。」と彼女は言った。Trocaireはこの地区で活動していて、住むところがなくなった人々や彼らを泊めている家族に食べ物を渡したり、子供達を学校にやったりしている。

Sr Nuria Merono Otoiは陽気な73歳のスペイン人である。彼女は水も電気もないコミュニティーに住んでいて、そこでTrocaireのパートナーの組織と一緒に働いている。地震の直後には、彼女は小さなチームを作り、ポルトープランスに車を出して基本的な初期援助を行った。「私達が持っていたすべては、多くの絆と助け合いの善意です。」と彼女は言った。

彼女はRicardo の話をした。彼は一人でポルトープランスの路上をさまよっているところを見つけられ、彼女達のところへ連れてこられた8歳の男の子だった。「地震が起きた時、Ricardoは外で遊んでいて家に帰ったら家族全員が亡くなっていたというのが、彼が話せたすべてだった。」と彼女は言った。

「私達は彼が住所や電話番号や親戚がどこに住んでいるか思い出すように繰り返し繰り返し手助けしようとした。でも彼はできなかった。」彼は私達と一緒に三ヶ月暮らした。そしてある日、彼は電話番号の一部を思い出した。その後数週間かけて少しずつ彼がもっと思い出すように私達は毎日彼をうながした。ほとんどの番号を思い出した時から私達は他の人たちにきいて回り始めた。

「ある朝、連携して仕事をしていた時、一人の女性がある電話番号に出たので私達は自分達のことを説明した。電話に出た女性はRicardoの兄の奥さんだった。私達が彼らを電話で互いに話させると、Ricardoはひどく興奮した。彼の兄は生きていたのだ。彼らはすぐFonds Parisienにやってきて、その日のうちに彼を連れて帰った。

Fonds Parisienはかなり貧しい地区でポルトープランスからあふれ出した人々を助けきれなかった。Trocaireはその地区のグループと一緒に活動して、ハイチと自分自身の生活の復興に貢献する職業を若者達が学ぶような訓練プログラムを立ち上げている。

この地震は大工やれんが職人、電気技師のようなたくさんの技術者の命を奪い、専門知識の断絶は多大なものとなる。若者を訓練することは、彼らが自力で身を立てることであり、町の外に避難している人々を助けることでもある。そこの超過密状態は大問題であり、生活の質は悪い。

Alexandre Victoirのような多くの人々にとって、町はけっして戻る気にさせるところではないだろう。「私は戻れない。姉と彼女の赤ちゃんはまだ瓦礫の下のままだ。今、私はずっとポルトープランスを憎らしく思っている。」と彼女は言った。


原文サイト:reliefweb.int


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2010年04月22日

80%の小学校が青海省の地震で破壊された

情報源:UNICEF
日付:2010/04/21

UNICEFは教室用テントと学用品を被災した子供たちに大急ぎで運んでいる

マグニチュード7.1の地震が中国北西部の結古という町の近くを襲い、学校に大きな被害を与えた。地元の教育当局は、郡の80%の小学校と、50%の中等学校が深刻な被害を受けたと見積もっている。教育当局の、通常授業を4月の終わりまでに再開するという目的を支援することを目指してUNICEFは昨日、150の学校用テントを被災地域に発送した。玉樹は、中国の最も貧しい郡の一つである。

結古町の50%の生徒が寮生で、郡の周辺部のエリアから郡の首都に、勉強のために送りこまれた生徒である。玉樹郡には22719人の生徒と、1086人の先生がいる。災害後の、子供達の早い学校への復帰は、彼らが心理社会的なストレスを克服するのを助ける重要なステップである。UNICEFの72平方メートルの教室テントは、7500人の生徒が勉強を再開する空間を供給する。UNICEFはまた、学用品キット、黒板や発電機、暖かい衣類やブーツ、羊毛の毛布などを、昼間の学校と寄宿制の学校のために送っている。

「この災害の後に、子供たちが授業を再開するのを援助するために、政府の強力な取り組みがなされているのがとても嬉しい。」UNICEFの中国代表で国連災害管理チームの議長であるYin Yin Newは言う。「私たちは教育当局と、子供たちが学び続けるのに必要とされる基本的なニーズすべてを供給できるように働いている。」

4月20日の時点で、地震の犠牲者の数は2064人の死者、175人の行方不明者、12315人の負傷者となっている。食糧と衣類と避難所の不足は、高い標高と凍りつくような気温と困難な道路事情と相まって、救援活動を複雑にし続けている。最近の降雪、強い風と、救援トラックの交通渋滞もまた、救援活動を妨げている。

捜索・救援活動が縮小するに従って、UNICEFはその援助活動を、地域・国家の当局と協調して行っている。子供たちのニーズを評価するのに最も良いからである。

食糧の供給もまた、被災地域では深刻な問題である。国連機関は、援助を協調するため共に働いている。栄養の摂取を増やすために、ビタミンやミネラルのサプリメントの包みが、WFPが若い子供たちに供給する主食と共にUNICEFから供給される。

現在、民事部の当局が、片親もしくは両親を地震で亡くした子供の数を特定しようとしている。地震によって失われた命のことを考え、また住宅、学校やコミュニティに受けた広範囲の被害を考えると、子供達や他の被害を受けやすい人々への心理的な苦悩は、憂慮すべき心配事だといえる。

UNICEFは子供と女性のための国家作業部会が、被災児童に一連の心理社会的援助を供給するための「Child Friendly Space子供に優しい空間」を設立するのを助ける。UNICEFは90~95%の子供と女性が、地震後にコミュニティにあるサービスのみで回復することができるが、5~10%の人がより専門的な処置を回復のために必要とすると発見した。即座に適切に、子供たちのコミュニティの心理社会的なニーズに応えることが、回復するための彼らの能力に長期的な結果を与える。

UNICEFについて

UNICEFは150以上の国と領域の現場で、子供たちがその幼児期から思春期まで、生き延び力強く成長するのを助ける。世界の最も大きな、途上国へのワクチンの供給者であるUNICEFは、子供たちの健康と栄養、良い水と衛生環境、全ての少年少女への質の良い教育をサポートし、子供たちを暴力・搾取・AIDSから守る。UNICEFは全て、個人・企業・基金・政府からの自発的な寄付によって資金を得ている。

原文URL:reliefweb.int
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地震被災で果たされるチベット仏教僧たちの役割

情報源:Reuters-Alertnetより抜粋
日付:2010.4.16

何千人もの兵士と政府による救助・復旧活動を行うオレンジ色のジャンプスーツを着た救助隊員たちは、何千とまではいかないにしても何百人もの深紅色の僧衣や上着を着たチベット仏教僧と協力していた。多くの僧は自らの取り組みを宗教的な誇りの表れだと述べた。

僧院から来た彼と何百人もの僧達は布で覆った台の上に遺体を集め、その何百もの遺体の中から地元の人々が親族を確認するのを手伝った。そうしている間、僧達はその前に座って死者のためにお経を唱えていた。

他のチベット人たちはオンライン上に集まり、死者を悼む詩を投稿し、結束を呼びかけ、伝統的なチベットのバターランプの画像を中国のチベット語のウェブサイトに載せた。あるチベット人向けの中国のポータルサイトは死者を悼み、白黒だけで編集された。

多くの僧達は何百キロもの道のりをバスやトラックの荷台にぎゅうぎゅう詰めになってやってきて、玉樹県の破壊された主要な町結古鎮で、生存者を探すのを手伝い、炊き出しをし、死者を弔った。

原文URL:reliefweb.int
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2010年04月17日

1,000人を超える死者を火葬するチベットの人達

1,000人を超える死者を火葬するチベットの人達

情報源:Reutersより抜粋
日付;2010/04/17

中国北西部の地震被災地で土曜日(17日)合同火葬によってチベットの人達は死者を弔った。

ここではほとんどの住民がチベット族で、独自の仏教の宗派を熱心に信仰している。

何千人もの人達が丘の上の火葬場に集まり、そこにはトラックの車列が地元の主となる寺院に安置されていた数百もの遺体を運んできていた。

深紅色の僧衣を着た僧がヤクの油と木や古タイヤで覆われた遺体の山に火をつけた時、多くの人々は泣き、お経を唱えていた。穴の上に炎が上がり、まっすぐたち上る煙が空へと送られていく間、何百人もの僧達はブーンという音に聞こえるお経を唱えた。

「人々はこれから長い間たいへん悲しい思いをしていくだろう。」と群集の中にいたDashiという中年の地元男性は言った。「チベット族はこのような災害をこれまで2,500年の間に経験したことはなかった。」

地震後、何千人もの仏教僧達が救命や復旧のために急いで駆けつけ、葬儀に集まったチベットの人々は彼らの働きを誇らしげに語った。

『鳥葬』
火葬の前に何人もの僧達は丘のより高いところで小さな『鳥葬』を見守っていた。それは遺体の一部をハゲタカに食べさせるものだ。そのハゲタカはその後の火葬の火からうねるように立ち上った煙の中を、輪を描いて飛んでいるのがみられた。

翼の幅が2メートルもあるハゲタカに体の一部を与えた遺体は地震で崩壊した家のなかで亡くなったおじのSuonaで、この儀式にたいして家族はお金を払ったと、Zhaxiというチベット族の男性は言った。

「もしできるとするなら、鳥葬は最善で最も純粋な方法だ。われわれの伝統が望んでいるのはこれなのだ。」とZhaxiは言った。

火葬を司った僧は1300の遺体をこの火葬で荼毘にふしたと語った。

ぐしゃぐしゃにつぶれた建物の下にまだ埋まったままの人達もいる。土曜の朝に何人かの人は瓦礫の下から生存した状態で引っ張り出されたと報道された。

玉樹の人々にとって葬儀は生活を再建しようと奮闘する中でのつかの間の出来事であった。

住民達と兵士と警察の救助隊も僧達と同様に崩れた家を丹念に調べ、死者や生存の可能性のある人を探し、それと同時に、テントや寒い屋外での生活を少しでも楽にするようなこまごまとした身の回りの品も探した。

よき輪廻
土曜の夜が明けてすぐ僧達は何百もの遺体を12体くらいずつトラックに積み、町の丘陵地帯にある合同火葬場に運んだ。

この儀式は優しさと感情を考慮しない現実的なものとが混ざったものだった。

僧達は布で包まれた遺体をトラックの荷台に横たえた。そこではそれらの遺体はまるで使い古された寝具の束のようだった。そして僧と住民たちはその上に座って、遺体が火葬場へ入れられる時祈りを捧げた。

「この祈りは彼らがよき輪廻を得て、苦しみから解放されるよう願うものだ。」と、この葬儀のためのトラックの一台を運転するボランティアをしているGansong Getaiという地元の役人は言った。

葬儀の群集はチベット族社会のあらゆる人達の行列だった。それは屈強な僧達であったり、日に焼けひび割れた顔をした遊牧民であったり、バイクに乗った長髪の若い男性であったり、役人であったりして、警官でさえも祈りをつぶやいていた。

警官はその場にいたが、群衆への対処はしないまま、深紅色の僧衣を纏った僧に遺体を渡していた。

「我々は皆チベット族、我々は皆同じ人間。」と地震の救援のために玉樹へやってきたチベット族の僧Laojiangは言った。彼の手は生存者を探すために瓦礫を掘って血にまみれた包帯に覆われていた。

「私はとても悲しいけれど、我々の最高の精神を示せたと感じている。」


原文URL:reliefweb.int

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2010年03月07日

チリ地震状況レポート#7

チリ地震状況レポート#7

情報源: United States Agency for International Development (USAID)
2010/03/07

−3月7日にマグニチュード5.8の余震がビオビオ地域を襲った。アメリカの地理調査団によると、3月6日にはマグニチュード5.1を含む7回の余震を確認している。
−USAID/DARTは、シェルターの構造などに関して地元の行政機関などど協議した。
−食糧に関しては、300,000食の簡易非難食を提供する計画である。

USAID/DARTから報告
−Chanco、Curanpine、Pelluhue、Maule地域では、地震や津波の影響によって47人が犠牲となった。地元行政は、Curanpineではおよそ350人、Pelluhueではおよそ825人、Chancoの都市ではおよそ2,185人、Chanco郊外では1,010人がひどく影響を受けていると報告している。
−USAID/DARTは、Chancoの地元行政と病院関係者とで3月6日に会議を開いた。病院には、ブランケットなどが提供され、薬や救急車なども提供されている。医師や看護士は、郊外に住む被災者に薬を提供するため、家々を回っている。

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2010年03月05日

ハイチ被災者へのシェルターが不足

ハイチ被災者へのシェルターが不足

情報源: Reuters - AlertNet
2010/03/05

* 何万人もの人がいまだ仮設シェルターに入れていない
* 迫ってくる雨季がこれらの人たちを不安に追いやっている

ハイチの地震が起きてから約2ヶ月が経っているが、救援活動が思うように進んでおらず、いまだに多くの人が非難テントや雨風を防ぐ防水シートを受け取れないでいる。

結果、人間の尊厳が失われつつあり、4月には雨季が到来することも重なって、貧困や病気が広がる可能性がある。

現地で活動しているGadenne氏によると、「非難キャンプを訪れても被災者は何も持っておらず、テントや防水シートさえなかった。しかも、彼らには後に救援物資が提供される保証もない状況だった。」と語っている。

1月12日の地震から、配水や配給システムは改善されつつあり、商業やビジネス、政府機関も再開し始めた。
また、キャンプも改善し始め、多くの家族がテントで生活したり、電柱のような柱と柱の間に防水シートを張って屋根を作ったりしている。
連合国は、4月までに地震で家を失った全ての人々に仮設テントなどを提供することを目標としている。

現在は、何万人もの家族が仮設テントを提供されていないため、天気によって大きな影響を受けている。水曜日に一晩中雨が続いたが、そのときも彼らは夜のなか雨宿り出来る場所を探し回り、何時間も立っていなければならないような状況だった。

仮設キャンプ地でも、雨季が来れば様々な問題が起こると予想されている。そのため、人々は政府からの指示や救援グループからの手助けもなしに自分達が安心して住むことの出来る家を探し回っている。

政府や連合国は、脆弱な非難キャンプ地から人々を移動させようとしており、5つの可能な解決策を主張している。

・ もし、自分の家があまり被害を受けていなければ、自分の家に帰らなければならない
・ 家が崩壊している場合は、その場所に新しくシェルターを作る
・ 被害を受けていない土地に親戚がいれば、そこの移動する
もうすでに60万人の被災者はこのいずれかを行っている。
他の2つの選択肢は、あまり望ましいと思われいないが
・ キャンプ自体を改善し、質を向上させる
・ キャンプに住んでいる人たちを別の地区に移動させる
この5つである。

都市の郊外に新しく5つのキャンプ地ができる計画があるが、どこに作るのか、どれぐらいで被災者の人たちが住むことができるのかなどの詳細については全く知らされていない状況である。
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2010年01月22日

マイアミの学校とハイチの子どもたち マイアミの学校とハイチの子どもたち

マイアミの学校とハイチの子どもたち

情報源:Agence France-Presse (AFP)
2010/1/22

フロリダ南部の学校が、地震の被害にあって避難してきた子どもたちの受け入れを始め、その子どもたちに対しては特別なプログラムが用意されることになった。
マイアミは、被害を受けたハイチからの人の流入を視野に入れ、新しく生徒を受け入れることができる学校として15校用意をした。

水曜までに、60人のハイチ人生徒が受け入れを認められたと発表されている。
被害にあったハイチの子どもたちの多くがフロリダ南部に来ることは確実であるが、問題は、いつ、どれくらいの子どもたちがくるのかということであるとしている。

マイアミの行政側は、このような子どもたちが出来るだけ早く学校に行けるように努力するとしており、今回の地震で身分証明紙をなくしてしまった場合でも受け入れると言っている。
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