2013年12月09日

フィリピン台風Haiyan:再建か移住か?

再建か移住か?

情報源:OCHA
日付:2013/12/9

子供達は学校へ行き始め、市場にはまた新鮮な果物がたくさん並ぶようになり、建築工事のにおいが町に漂うようになってきた。台風で切り裂かれた木からは新しい葉が芽生えだし、人々はフィリピン中央部の自分達のふるさとへゆっくりと戻ってきている。そこは1カ月前、台風Haiyan(地元ではYolandaと呼ばれている)が直撃し、400万人以上の人々が住む場所を奪われたままの場所である。
あれから、支援の取り組みは初期対応の段階から長期的な復興の段階へ移行してきている。1500万人の人々が被災して、この時期の主要な問題の一つは、この様な規模の破壊現象によって引き起こされる今後の災害をどのように防ぐかということである。

危険地帯からの移住
Augusto D. Corroはセブ島北部の Dan Bantayanの地区長である。彼のバランガイ(注:地区を表すフィリピン語)を今後の災害から守る唯一の永続的な解決策は移住であると彼は言っている。彼が危険だと考えている沿岸部から離れた高台の3地区へ200家族の家を建てる計画をしている。「私のバランガイでは、43%の住民が最低ラインの貧困生活をしている。彼らにとって島の中央部に近いところに本当の家を持つことは選択肢のひとつではなく必然のことだ。」とCarro地区長は言う。今のところDan Bantayanだけで15の海岸近くの危険地帯に5000人の非公式な住人がいる。

「私達の家畜はここにいる。私達の田畑はここにある。」
この様な不安があるにもかかわらず、この地域の家族の多くは別の考えを持っている。「私達は動きたくない。」とRebecca Piñarは言っている。彼女は31の家族と一緒に、倒木やトウモロコシ畑をひかえたBogolの郊外の遠隔地に身をひそめている。台風が彼らの家のほとんどを壊してしまったと彼女が説明していると、壊れた小屋の間の狭い隙間を通って家族がどんどん姿を現した。Haiyanによって、高潮や腰の高さまでくる洪水に抗えるくらい丈夫だったわずかに残った小屋に皆で住まざるを得なくなっていた。移住するより、以前の生活の残骸に囲まれて生活する方が良いとやはり彼女は思っている。「私達はこの土地を持っています。私達の家畜はここにいるし、私達の田畑はここにあります。私達はここに住んで、これからも何も変えない。」
と彼女は言った。

移住の課題
Medellin地区の地区長であるRicardo R. Ramirezは移住の計画には住民の生活様式を考慮することが必要だと説明している。
「もしも、ここを離れて安全になっても漁に使っていた舟を見られなくなり、作物を作っていた田畑を見られなくなるのだと言ったら、彼らは動かないだろう。」
多くの住民が以前の地域を離れることに抵抗しかねない一方で、一時避難所に移ることに及び腰になっている人達もいる。
「フィリピン人はテントに住むのを好まない。彼らは一時避難所に移ることをいやがって、何週間でも親戚と一緒に住む方が良いと言うだろう。彼らが必要としているのは、普通の生活をすぐに再開するための家を再建するのに使う建築資材である。」と地区長は言っている。

避難所での生活
多くの家族が再建か移住かについて議論している一方、他方では家が完全に崩壊してしまった50万の家族はわずかな選択肢しか持っていない。Haiyanが 中央Visayas地区を襲った後、セブ市はタクロバンやレイテの被災した家族の大部分を受け入れた。Tinago避難所はセブに6か所ある避難所の中で最も大きいのだが、災害直後には600人を受け入れた。避難所にいた人の多くは親戚と一緒に住む場所をみつけたり、以前の場所に戻って行ったりして、今は200人に住む場所を提供している。
「最初、Yolanda の直後に到着した4組の一団は恐ろしい様相だった。ここに到着した時には、彼らはまだ死臭を纏っていた。」とBarangayのリーダーで避難所の責任者であるJoel C. Garganeraは語った。
この避難所は最後の人が家に戻るまで残るだろう。多くの避難者は、もとに戻れることを期待してあまりにも早くタクロバンに戻ったもののまだ住める状態ではないとわかって、またセブの避難所に戻ってくることを強いられている。
11歳のJosephは家族の中の唯一の生存者で、まったくひとりぼっちでここへやってきた。彼はバスケットボールのネットにしがみついて、兄弟達が流されていくのを見ていた。

しかしこのような悲劇的な話の中に希望の瞬間もある
ふたりの子供を亡くしてしまったという思いに打ちひしがれて避難所にきた夫婦が、セブで子供達と再会した話とか、台風の直後の避難所で4人の赤ちゃんが生まれ、皆Yolandaと名付けられたという話をBarangayのリーダーのJoelは語った。誕生日を祝ったり、カラオケの夕べがあったり、寄贈された遊び場で子供達が笑っていたりするところで、ほんのわずかな時間、彼らもくつろいだ気持ちになれるとも言っている。

原文URL:http://reliefweb.int/report/philippines/rebuild-or-move
翻訳:Y.Kさん
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