2010年02月26日

ハイチの地方部に不気味に迫る食料危機―FAOとCAREがレオガンで協力して実施するキャッシュフォアワークプログラム

ハイチの地方部に不気味に迫る食料危機
―FAOとCAREがレオガンで協力して実施するキャッシュフォアワークプログラム(現金収入のある仕事の支援計画)

情報源:CARE、FAO
日付:2010/02/19

1月12日にハイチを襲った壊滅的な地震がら1ヵ月たち、FAO(世界食糧農業機関)と国際人道機関であるCAREはこの国の食糧危機についての共同警告を発表した。
「これは,すでに国中に影響を与え始めていて表面化していないが拡大傾向にある危機である。」とFAOハイチ調査調整官であるDick Trenchardは言った。「地方部はポルトープランスからの大量の移住を経験しており、周辺地域はもっとも影響を受けている。特に西部のArtiboniteと南部のGrand’Anseはひどい状態にある。」
FAOと農業集団のパートナーによる早急な調査が行われ、避難民の面倒を見ている“受け入れ家族”は自分たちの乏しい貯えを新しい住民に食べさせるために使い、食料の蓄えを消費している、と発表している。
このような貧しい人々の多くは次の作付け期のために貯えていた種をやむを得ず食べることまでしていて、家畜、特にヤギを食べるか売るかしている。
「地震後に地方部やほかのより小さな都心へ移動した約50万人の人々を助けようとして、厄介で持続不可能な対処策を最後の手段として人々がすでに用いているという兆候を我々は見ている。」とTrenchardは言った。

植えつけまで2週間

「毎年の収穫の60%以上を占める主たる植え付けの時期が2週間以内に始まる。」とCAREの緊急食料保障専門家のJean-Dominique Bodardは言った。「もし受け入れ家族が種を買うかもしくは良質の種を手に入れる他の手段が何もないとすれば、これは彼らにとって災難となるだろう。この危険な循環には別の側面がある。現金がないために多くの受け入れ家族は植えつけのための日雇い労働者を雇うことができない。結果として労働者たちは自分の家族を食べさせることができず、労働力が得られれば可能であったであろう作付けを行うことはできない。」と付け加えた。
地方では農民たちはもうすぐやってくる植え付け時期のための種を買う金がなく、食料の価格はすでに地震前より10%上がっている。これはもっと悪いことが起きる指標である。緊急の解決策の1つは農村部において現金が支給される仕事の支援をする計画で(キャッシュフォアワークプログラム)あろう。

「植え付け次期が始まる前に、早急に農家に金を投入する必要がある。」とBodardは説明する。「食糧の配給は被災後の緊急の困窮状況を緩和することはできるが、長い目でみると最も必要とされていることは、農家にとって自治を取り戻すことに投資できる現金なのだ。」

現金収入のある仕事(キャッシュフォアワーク)

FAOはレオガンの灌漑用水路の清掃という小額の現金収入が得られる仕事の計画(キャッシュフォアワークプログラム)を始めており、CAREは近々その対象を600人から4,000人へ拡大していく予定である。
「これは人々が自分の生活を取り戻そうと必死になっている極めて重要なこの時に待ち望んでいた資金面での後押しであり、地震以降落ち込んでいた地方の経済にとって待ち望んでいた活力注入になるだろう。」とTrenchardは言った。
復興段階の一部分において、CAREはコミュニティに基盤をおいた組織が水の管理や生産物の売買、能力開発などの活動をするための支援の計画をしている。これらの活動は農業、天然資源、地方開発の省庁の“2010年1月12日ハイチ地震における食料生産計画、避難住民の統合ならびにハリケーン期に向けての防災に対する特別緊急支援”に直接貢献するものとなるだろう。この計画はFAOと米州農業協力機関 (IICA)の支援を受けている。

集団の指導者

ハイチでの国連の農業集団の指導者として、FAOはこの分野の国際または国内の組織の調整をしている。政府のガイドラインのもとで、現地の資金提供者と機関を守るのが仕事のひとつである。
ポルトープランスの西方にあって地震で村の80%が壊れた農村のレオガンで、CAREはすでに活動していて、避難所、緊急物資、水、衛生用品を提供し、母親と妊婦の健康支援をしている。FAOは小規模農家に対し、良質の種や農具というような農業に必要なものが行き渡るよう支援をしている。
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商売の準備をする震源地近くの町

商売の準備をする震源地近くの町

情報源:The New York Timesより抜粋
日付:2010/02/01

かつて町の中央広場であった場所は、今は仮設テントがたくさん建ってごちゃごちゃした地域となって息を吹き返し、商業が活況を呈していた。新しい家は拾ってきた木材や板金で建てられているのだが、靴磨き、美容院、炭や石鹸、CasinoブランドのチョコレートやComme Il Fautというタバコなどは高値で手にいれることができた。

Merlise Charles(36)はほとんど利益がないのになぜ一日中大なべでつぶしたサツマイモを一生懸命売っているかを説明した。「わたしは何かをしている必要がある。」と。
この広場での仕事は、利益を上げるためというより、復興に対する渇望からのようにみえる。キャンプに秩序をもたらす手助けをするために選ばれた10人からなる委員会によって作られたリストによると、ここには500家族以上の約2,500人の人々が地震の後に移ってきていた。

この広場はかつては露天や倉庫が立ち並ぶ市場だった。しかし2002年、前大統領のJean-Bertrand-Aristideが公園へ行く道路を作るためここを取り壊すように命じたと、ここにいる人は語った。それは国民の決定によるものではなかった。市場はすぐに撤去されたが公園の計画は何年も放置されたままである。
今やこの広場は村と広場と市場が一体となっている。寄付されたテントが見られるだけでない。4人家族のために約8フィート四方の小さい掘っ立て小屋を2人の男が建てているのをCarmalite Henry(51)は見ていた。彼女は友人から借りた50ドルを彼らに払った。
Gerome Julieは4人の子供の母親だが、柱を立てる穴を掘り、釘や木材や板金に60ドルを払って自分の小さな家を建てた。防水はしてあるのかと尋ねたら、「わからない。まだ雨が降っていないから。」と彼女は答えた。彼女はトイレットペーパーや洗濯洗剤、石鹸など地震の前に持っていた全商品を売っていた。各々に付き25セントの儲けがあると彼女は言った。
くじ等も復活しつつある。広場には2,3ペニーから始められるチケットを買える場所が少なくとも3ヵ所あった。ある1人のくじ売りは、Ronald Center Bankという目立つ名をスクラップの金属板に書いて縁石に立てかけていたが、商売は振るわなかった。「ここにはお金がない。でも人々はくじを信じている。」と経営者のRonald St.Hubetは言った。

この広場は人道的な援助には少し邪魔になっているようだとキャンプの委員会の事務局員であるFednel Sainsulmeは言った。二人の警官を含む委員会が夜にはパトロールをし、市長に状況報告をして、寄付された物資を整然と配給するよう交渉しようとしていた。
Hays Pure Water For Allという非営利団体のメンバーが、水を消毒するための塩素溶液に塩水を変換する簡単なフィルターを持ってきた時、委員会のメンバーはキャップ一杯ずつの塩素を配るボランティアをした。他のキャンプでも委員会を選ぶようになった。

地震の前、Sainsulme氏は牧師であり、写真家、先生でもあった。彼の仕事は簡単には再開できない。彼がかつて教えていた9教室あった学校はレオガンのほかの学校と同様に壊れてしまった。「私は今ちょうど神を待っているところだ。」と彼は言った。
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2010年02月11日

ハイチの地震被災者への救援情報提供支援

ハイチの地震被災者への救援情報提供支援

情報源:Internews Network Inc.より抜粋
日付:2010/02/03

インターニュースは地元のレポーターのチームと共にNouvells-Utiles(News we can use)という毎日放送する人道ニュース番組を作り、今現在25のローカルラジオ局で放送している。番組は1月21日から11の放送局で始まり、水の供給場所や避難キャンプの状況、公衆衛生の助言など重要な情報を伝えている。
インターニュースのチームから個人的に寄せられたCDによる情報があればそれが着くや否やほとんどの局で番組として放送している。通常は計画された時間帯に沿って、定期的に一日4回から6回Nouvells-Utilesとして放送している。
インターニュースは地元のレポーターとプロデューサーを雇い、ニュースを集め、番組を作っている。そしてレポーターに人道的な報道をするように訓練もしている。

手回しラジオの配布

とても多くの家と持ち物が破壊されてしまって、多くのハイチの人々はニュースを聴くためのラジオを利用することがもはやできなくなっていた。あるいは持っている小さなラジオの電池を切らしていた。1月にインターニュースは9,000台の手回しラジオの配給をアメリカ軍から受け、パートナーの19のローカルラジオ局を通して配った。最も必要な人々、特に女性が世帯主になっている家庭や弱い立場にある人々がラジオを手にする事ができるように重点をおいてラジオを配る協定を各ラジオ局は結んでいた。このラジオは電池や電気の必要がなく内蔵されている手回しクランクによって動く。

ハイチの人々に必要な情報を与えること

我々のチームはハイチで地元の報道各社と共にニーズを見極めながら活動している。各社の多くはレポーターや機材を地震によって失っていた。インターニュースは生存者へのインタビューもして人々がいかにして情報を得ているかを見つけ出し、地元の人々にとって情報が最も的を得たものになるようにしている。

援助提供者と地元メディア間のコミュニケーションのつながりとして機能することによって、インターニュースはハイチのレポーター達が救援情報を受け取ったり、配信したりできるようにしている。例えば、Ushahidiによって始められた携帯電話の短縮コード4636で、地元のニーズについてのレポートを集める手助けができる。

人道的なメディア援助を調整すること

インターニュースはCommunicating with Disaster Affected Communities(CDAC被災コミュニティとの連絡機関)の関連機関グループの創設メンバーで、中心機関であるUNOCHAと赤十字やセーブザチルドレンなどの団体や、BBC World Service TrustやReuters Thomson Foundationのようなほかのメディア支援提供者を含んでいる。UNOCHAはインターニュースに対して、CDACのメンバーによる人道的な情報の調整と、ひどく破壊されたハイチのメディアの状況において最大限の効果をもたらすためにメディアを支える活動をするという現場での指導的な立場の機関であるという役割を委ねていた。
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2010年02月04日

ハイチの孤児達にとって回復の助けはしゃべること

ハイチの孤児達にとって回復の助けはしゃべること

情報源:Reuters
2010/1/28

ハイチの壊滅的な地震によって孤児となった4歳のJoは、携帯電話でおしゃべりして、おもちゃやお菓子をねだっていた。
ハイチ赤十字のボランティアにこの男の子はお母さんと話しているのだと言った。しかし
彼のお母さんは、このカリブ海の貧しい国で1月12日に起きた大災害で亡くなった何万もの人々の中の1人だった。
この男の子を地震後に救い出した赤十字従事者のMagalie Saint Simonは木曜日のインタビューにこう答えた。「私は彼に誰と話していたの?と聞きました。」彼は「お母さんとだよ。でもお母さんは僕を迎えに来てくれないと言ってた。死んでしまったから。」と言った。

国際赤十字委員会(ICRC)によって、こうした災害の時に初めて設置される移動型心理相談ユニットでJoと孤児達は世話をされている。このユニットを率いるEa Suzanne Ashakは、早期の心理学的介入の重要性を2004年のインド洋大津波の後ICRCは学んだと語った。あの津波では主にインドネシア、インド、タイ、スリランカ、モルディヴで20万以上の人々が亡くなった。
「心理的な支援を何も受けなかった人々は弱っていき、再び社会に参加しなかった。再建された社会にも参加しなかった。彼らの生活は失われた。彼らはどうしたらいいのかわからなかった。彼らは拠りどころを見失って、なんだかただ漫然と家でごろごろと過ごしているだけのようだった。」「ハイチでは極度の苦悩を切り抜けるよう早急に手助けすることが目標であり、そうすることによって身体的な生き残りに集中することができるようになる。」と彼女は語った。
訓練されたボランティア達は亡くなった子供や親戚や悲しみについての情報をやさしく探り出そうとしている。Joの想像上の電話の会話は幼い子供達が悲しみを表現することを助けるための確かなやり方の1つとなりうる。

心の内側に何か問題がある
子供達は色々と異なった形で苦悩を表現するとSaint Simonは言った。ある子供は食べたりしゃべったりしなくなり、他の子は過活動になったり、また怒ってばかりいたりする。世界保健機構の専門家は地震による心理的影響を手当てすることは、身体的な傷を治療することと同じように重要なことであるだろうと言っている。特に一生にわたる心の傷を負ったかもしれない幼い被災者の間では。
国連児童基金(UNICEF)によると、ハイチの900万の住民のほぼ半分が18才以下の子供であるという。

Joは初めは打ち解けず引っ込み思案だったが、Magalieが遊べるようにと電話を与えてからようやく遠慮なく話すようになった。
「彼が心の中で感じていたことを表に出してくれたことに私は心を動かされた。私にはわからないけど彼の心の内側に何かの問題があるようだ。」と彼女はロイターのテレビに語った。「彼がものを食べ始めたことがとても嬉しい。たった今あそこで、おなかがすいたと私に言ったのよ。」

20万以上の死者と100万の負傷者を出した地震から二週間は子供達が立ち直る手助けをするには重要な時であったとMagalieは言った。
「テントの周りに行ってみたら変化に気付くでしょう。もし前に来ていたら、彼らはモンスターだとあなたは言ったかも知れない。遊ばない。話そうとも自分を表現しようともしない。話しかけても無口なままだった。信じられなかった。でも、いまは大丈夫。」
posted by CODE at 15:30| 中・南アメリカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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