2008年07月31日

Sdn Bhdが中国での四川地震での犠牲者を支援するためにマレーシアの赤新月社へRM350,000,00を寄付した。

Sdn Bhdが中国での四川地震での犠牲者を支援するためにマレーシアの赤新月社へRM350,000,00を寄付した。
 
情報源:Malaysian Red Crescent
2008.7.31

Sdn Bhdの協力事務マネージャーであるWahidが赤新月社の長であるHishamへ小切手を送った。その寄付金は、地震における被災者の復興支援を目的に様々な企業や雇用者から集められたものであった。
 
 つまり、国際的連盟事業の支援チームである赤十字とそれに関連する公的な機関との間の関係はすばらしく、被災地に対するすばやい反応を容易にしている。そして、今は再建へと向かっている。赤十字は、定期的に政治機関とともに調整会議へ関与しており、建設省の再建計画での議論に参加している。

 7月17,18日にXi'anで会議を開催し、マレーシア、アメリカ、オーストラリア、イギリス、カナダ、ドイツ、日本、シンガポール、タイ、大韓民国、国際連盟、赤十字国際本部や四川や香港の支部を含む10の赤十字赤新月社国際協会が参加した。会議では、再建計画や調整・協力における枠組みについて議論された。
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2008年07月30日

子どもたちにもっとおもちゃを!

子どもたちにもっとおもちゃを!

情報源:Amity
2008.07.30

ジウロング学校では地震で壊されていない出入り口を見つけるのは不可能であろう。5月12日に殺人的な地震が四川を襲ったときには、ほとんどがなぎ倒され、瓦礫の中に立つわずかな教室だけがその学校で残った。学長であるLiさんは、校長がいまだ病院に入院しているなかで、学校近くのテントでアミティーと会った。

Liさんは、地震で、先生や子どもたちに起こったことを思い出しながら泣き始めた。‘何百人もの子どもやスタッフがあの地震で亡くなり、学校もいまや瓦礫の山である。子どもたちやスタッフに関する今までの情報も失ってしまい、あの地震から数日経った今も誰が地震で亡くなってしまったのかさえわからない。私たちは、生き残ったスタッフと先生たちを10このグループに分け、近くの村まで行き、私たちの学校に登校していた子どもで行方不明となっている子どもたちはいないか調べている。子どもを失った親の中には、大声で泣き出してしまう方もいる。この深い悲しみのなか、子どもたちの親の中には、なぜお前が私の子どもの代わりに死ななかったのか。と言う方もいる。私は、その言葉を聞いたとき、誰かが私の心を捻じ曲げているように感じた。私はなぜ私が子どもたちに代わりに死ななかったのだろうか’と、Liさんは話した。

ジウロング学校には、初等教育、村学校と幼稚園があり、900人以上の生徒とスタッフがいた。学校があるジウロングは、ロングメン山に沿う形である。地震が、山脈を引き裂いたとき、ジウロングのインフラ設備は破壊され、街や学校は大きなダメージを受けた。

Liさんによると、学校のスタッフは、死者の身元確認に奔走しており、救援に行く時間がないという。‘2,3日前、私たちは他の病院に運び込まれた先生を探していた。私たちにできることは、2人の先生を近くの病院や救援所へ送り、その先生を見つけることができるか運にかけてみることだけだった。2人の先生たちが目的地に着くと、彼らは、運びこまれた先生の親族がいないかと彼の名前を叫び続けた。数箇所回った後、私たちはついに彼を探し当てた。これが、地震の混乱のなかで私たちが、行方知れずとなった同僚を探しす方法です’と語った。

加えて、学校のスタッフが心配しなければならない問題は他にもある。仮設教室はもうすぐ完成間近で、子どもたちも授業を受ける準備は整っているが、学校設備がいまだ十分ではないとLiさんが指摘した。‘私が今できる唯一のことは、ボランティアたちにより多くの学校設備提供を呼びかけることで、もしそれが実現しなければ、いくら仮設教室が完成しても授業を行うことができない’

Liさんの努力は実り、野外活動用の設備や何台かのコンピュータを受け取ることが出来た。しかし、まだ幼稚園教育用の設備は十分でない。‘私たちは240人ほどの生徒を抱えており、彼らが学校に復帰したときは仮設教室に通うようになる。しかし、多くの子どもたちは、今回の地震で心に傷をおい、学校に来ることを拒否している。私たちのスタッフの中には、このような子どもたちが地震でおった傷から立ち直れるように活動しているものもいます’

Liさんは、こどもたちが学校に帰ってくるという自信を持っているが、いまだ幼稚園生に十分なおもちゃが揃っていないことを懸念している。‘もし、こどもたちの親がかれらの学校復帰に同意してくれるなら、私は、こどもたちによい教育環境と悲しい地震の記憶を拭い去るような助けやかれらに喜びを与えるような環境を提供したい’と言った。
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2008年07月29日

数千人の親切な隣人たち

数千人の親切な隣人たち

情報源:Mercy Crops
2008.7.29

Qinjianrenjiaにある仮設キャンプの中に足を踏み入れると衝撃が胸に走った。キャンプ場で生活をしている人たちと共に過ごすことで心が温まった。

この仮設キャンプ場は、5月に起こった四川地震の被災者たちのために中国政府が建設したもので、Dujiangyanの災害を受けた街から離れたところにある。そのキャンプには街や周辺の村から13,000人もの人たちが来て生活している。地震が起こったとき、その場所は牧草地であった。2週間もしないうちに小さな町の仮設キャンプ場となり、道路やインフラが整備された。

標準中国語では、Qinjianrenjiaは‘繁栄している、勤勉な’という意味であり、また簡単には‘親切な’という意味もある。

キャンプ場内にある各住宅は、わずか20平方メートルで、4人が生活している。建物ごとに6つのこのようなアパートがある。そこには何百もの、このような小さくて粗末な家があり、私がその家の列を見下ろしたとき、そのキャンプの終わりが見えないくらいであった。

仮設住宅に住む家族は、彼らの村やアパートが再建されるまで、3〜5年はここにすむことになるだろう。この事実と地震へのトラウマとの間で、我慢できなくなったり、この状況に発狂してしまうかもしれない。しかし、そのかわりに住民たちはここでの最高の生活を創り出しているのである。

家族たちは、小さな彼らの住居を快適なものにしようと大忙しで、家の外に花壇を作っている家族をみつけたりもしたし、他にも、周辺の道掃除を分担して行っている家族もいた。ここの住民たちはお互いに古い友人であるかのような振る舞いで、中にはそのキャンプ場に来る前から知り合いだったという人たちもいた。

Dujiangyanの街から来たルさんは、地震になにもかも破壊されて全てを失い、少なくとも40人ほどの彼女の隣人は命が助からなかった。その日、彼女は多くの生き残った隣人たちと同じ区画に住んでいた。

‘今の方が皆でいることが多い’と彼女は、10人以上集まってきた友人たちのなかで冗談まじりで言った。

近くで8歳のシンリュイちゃんが算数の問題を解いていた。これは休み中の宿題で、地震の結果、授業が中断してしまってからとても重要な宿題であった。Dujiangyanにあった彼女の家も、学校と同じく、地震で崩壊してしまった。たとえ私たちと話しているときでさえ、彼女はほとんど宿題から目を離そうとしなかった。

地元の女性組合と共に活動してきたマーシークロップスは、シンリュイちゃんのような子どもたちが地震のトラウマを乗り越え、この新しい状況を受け入れることができるように手助けをしている。子どもたちへの快適さ提供、前に進んでゆく力の後押しなど2つの若者に対するプログラムを供給して、ゲームなどよりも、地震での傷を癒す機会を与えることができるような活動を行っている。

ここQinjianrenjiaの子どもたちは私たちの周りに集まり、英語で挨拶しようと頑張っていた。8歳の男の子は、私たちにあめをくれたりもした。私たちが1粒取ろうとすると、何個か手のひらの中に飴を入れてくれた。彼の母親である33歳のデンチュアンさんは、四川の特別料理である豚肉料理の準備をし、‘この料理は皆を幸せにするのよ’と言った。おいしそうなにおいが近所の皆へと広がった。彼女は私たちを晩御飯に招待してくれたが、私たちは次の会議にいかなくてはならなかった。

このキャンプ場は必要性から離れて、この土地から始まった。しかし、それは、親切さ、気前の良さ、このキャンプ場をひとつのコミュニティーにした住民たちの共同制作である。
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2008年07月22日

日本企業が中国地震被災地に飲料水を提供

Source: Deutsche Presse Agentur (DPA)
2008年7月22日

―東京DPA

日本の水システム企業「ウェルシィ」は、今週初めにも中国の地震被災者に飲料水を提供する予定だ。ウェルシィは中国で救援サービスを行う数少ない私企業の一つになりそうだ。

 ウェルシィは成都から北東約150q離れたMiyanyangの仮設住宅に住む1500人の人々のために井戸水浄化システムの設置を完了した。マグニチュード8の地震で強制退去させられた6万人の人々に飲料水を提供するためである。

ウェルシィによると、日本企業が最初に水のサービスを申し出た時、四川省政府は日本の技術的なものが地域に入ってくることを拒否したという。
 しかし徐々にシステムを設置することを受け入れてもらえるようになった。
 
 ウェルシイは6月初め、水質をテストするために避難所地域にリサーチチームを送った。
 「地震はしばしば自然の水供給を絶ち切ってしまい、人々はフィルターにかけられてない飲料水が病気を蔓延させるのではないかと恐れるようになる。」と、ウェルシィの社長福田章一氏は言う。
 福田氏はその地域を訪れた際、避難所の近くに衛生状況について警告を発する特大のバナーや旗に気づいた。

 福田氏は2007年7月の新潟の地震の際にも、地震直後に井戸水浄化システムを新潟政府に提供している。

 ウェルシィによると、井戸水システムは日本の病院・学校やその他の施設で幅広く使われている。地震の時であっても水資源を確保する事ができるからだという。

 福田氏は「中国で荒廃してしまった地域の被害は相当なものだろう。美味しい水を飲むことで被災者の方が多々健康やエネルギーを取り戻してくれることを祈っています。」と言った。
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2008年07月17日

中国のNGO、成長に苦闘

情報源: The Christian Science Monitor


北京―

 四川地震から二ヶ月。中国の非公式な非政府組織ははどこに立ち位置を定めているのだろうか?

 緊急支援を行ったボランティア団体が広範囲で賞賛を得た二ヶ月後、現場の期待とは裏腹に、政府は彼らに対する制限政策を調整していない。
 ともあれ、多くの団体は震災支援を続けており、四川省の州都、成都にオフィスを開設している。
 しかし、今のNGOの主な困難は、政府が彼らの成長を阻んでいることが原因ではないという者がいる。原因は、彼らがどう成長すればいいのかわからないことにあるというのだ。

 「NGOにとっての最も大きな問題は、現場内部から起こっています。能力や手法が不足しているのです。」と、北京に基盤を措くフイゼレンボランティア開発センター長のツァイ・ヤンはいう。「現場で働いている人々は、プロではありません。」
 
 震災の支援においては、ボランティアの仕事内容がしばしば重なったり、衝突したりしていた。悲劇の大きさに加え、多くの人々はどう支援すればいいのか分からなかったため、コーディネートは困難であった。

 ツァン・ウェイ氏は「これが意味するのは、あるところでは供給過剰である一方、多くの需要が満たされることがなかったということです。」という。
 彼は薬の供給がほとんどない中、水のケースをどんどん届ける人々を覚えている。「何処に行っても水のボトルを持って挨拶をする人がいました。」と氏は言う。
 
 さらに氏は、「訓練されていないボランティアは問題を悪化させることもあります。」とつけ加える。「例えば、ある人は怯える子どもに対して悲しみを隠して勇気を出すようにカウンセリングする一方、ある人は彼に泣くことを奨励するのです。」

 ノウハウの欠如は、資金集めのみならず、組織がオープンであることを妨げる。多くのNGOは理念を持たず、寄付金をどのように使用したのかを追跡しないという事態も起こっている。
 
 しかしながら次第により多くのNGOが国際基準を採用するようになってきた。国際コミュニティは中国のNGOがよりプロフェッショナルとなれるように支援することが必要である。中国のNGOにとってはサービスを向上し、次第にそれを世界の他の地域に広げていくことが責務であるのだ。
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2008年07月14日

ハビタット・フォー・ヒューマニティ、中国の震災被災地四川省で復興支援を計画

国際NGOハビタット・フォー・ヒューマニティ・インターナショナルが政府と共に取り組んでいる復興計画と、同NGOのCEOの四川訪問についての記事です。


−アトランタ、バンコク

ハビタット・フォー・ヒューマニティ・インターナショナルと中国政府役人は、長期的かつ持続的なハビタットの復興事業を打ち立てるパイロットプロジェクトに取り組んでいる。この事業では5月12日の地震によって荒廃した広範囲の中国南西部の家屋、生活再建を行う。

 四川省の省都である成都の北東部コミュニティに住む100家族は、このパイロットプロジェクトから利益を得る事になっている。
 ハビタットのCEOジョナサン・レックフォードは最近の四川訪問の間、最初のプロジェクトの対象地であるジンヤンで家族や役人と会い、その他の被災地のコミュニティを訪問した。

 「荒廃度合いは私が見た中でも最悪の部類のものです。」レックフォード氏は言う。「亡くした家族や近所の人、クラスメートの話には心が痛みます。しかし、私は人々の回復力に驚きました。」

 ハビタットは復興のために、500万ドルのアピールキャンペーンを打ち立てた。山間の省のさらに僻地のところにも焦点を当てていく予定だ。

 ジンヤンは一連のパイロットプロジェクトの最初の地となる。1000家族を支援し、さらに何千もの家族を助ける容量を作っていく予定だ。
 ジンヤンは元々、多くの村に囲まれた10の町から構成された農村地区であった。
地震は680人の命を奪い、7万の建物は崩壊もしくは損傷した。人口の3分の1である6万ほどの家族はホームレスとなり、今はテントや仮設住宅で暮らしている。6万ほどの子どもたちは学校に行けないままだ。

住宅の再建には少なくとも3年はかかる。5分の4の家族が既存のコミュニティで再建を行うことが望まれている。

しかし再建においては、レックフォード氏は「地震に耐えうる家を建てることが重要です。私たちが見てきたほとんどの家屋は、地震の力で崩壊した、凹んだセメントブロックと屋根を支える重い梁木で作られていました。」と言う。

レックフォード氏はその他、中国に加え、バングラデシュ、タイ、カンボジア、韓国、日本でのプロジェクトを視察した。


情報源:Habitat For Humanity Internationalホームページ
    http://www.habitat.org/newsroom/2008archive/07_14_2008_HFH_plans_rebuilding_China.aspx
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