2006年04月30日

OCHA-ジュネーブ自然災害ハイライト No.4

■パキスタン地震 半年後
10月8日−4月8日

地震から半年後、多くの村や小村で復興が始まり、国内避難民は徐々に自分達のもと居た
場所へと戻り始めた。

救援活動は比較的うまくいっている。第二の死の波は回避された。大規模な人口動態は起
こらず、伝染病も発生しなかった。50万以上のテントが運び込まれ、500万もの鉄板が配給
され、毛布や布団は600万以上配給された。栄養調査を見る限りでは、地震が起こる以前の
状態と比較して、主な食糧不足は見られない。記録によると、被災地での死亡率は、前年の
冬ほど高くはなかった。数千もの公衆トイレ用の厚板が取り付けられ、70万以上の住民が安
全な水を取り戻した。1万人以上の子供にはしかのワクチンが投与された。パキスタン軍隊、
国連、NATO、合衆国、その他多くの国々がヘリコプターで食糧や物資を空輸した。
一部の地域では、激しい雨が救援活動を妨げ続けており、また多くの地滑りにより道路が塞
がれている。さらに、ここ数週間の間に、泥流が主要な連絡道路遮断する恐れがある。

人道活動コミュニティは、現在、国内避難民の帰還支援に重点的に取り組んでいる。国連難
民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、6万4000人以上が救援キャンプを離れ、自宅へ
と戻ったという。50を超えるテントから成る120以上のキャンプにいる8万6750人を残し、30の
キャンプが閉鎖された。国内避難民の帰還過程は、出発地点から途中経過まで継続的にモ
ニターされ、また現在は、彼らのもといた場所に焦点を当てている。帰還が自主的であるとい
うことを調査は示している。

国連機は現行の救援復興のヘリコプターの運行で資金を使い果たしてしまい、2006年6月末
を期限にDFIDから資金援助を受けているヘリコプター4機を除いては、動作停止になる恐れ
がある。この4機のヘリコプターは、人道コミュニティが要求する現在の仕事量の10パーセン
ト程度しか要求を満たせていない。

2006年4月末まで作業を続ける手段として、また、国連が行動計画とその過程を通して財源
を確保する時間を得るため、国連機は2006年4月末までに必要な18万5000ドルに備え、お
よそ4万ドルが早急に必要であろう。

救援・復興プログラムは、空輸容量の制限の中で、地滑りや洪水、また最低安全基準への
順守のために深刻な影響を受け、数週間、数ヶ月も遅れることが予想される。

ベルギー、カナダ、EC人道援助局、フィンランド、フランス、ドイツ、日本、オランダ、ノルウェー、
スウェーデン、スイス、イギリス、アメリカの代表から成るODSG派遣団は、6日間パキスタンを
訪問した。目的は、地震への人道的な対応とOCHAの役割を全体的に見直すこと、継続的な
復興において予測される課題の認識、復興と復興活動において、パキスタン政府をいかに援
助するのが最善かということへの理解を深めることであった。


■アフリカ
<アフリカの角での干ばつ>
4月7日、国連人権問題担当の幹事長と緊急救援コーディネーターのJan Egeland氏がアフリカ
の角での干ばつにより深刻な影響を受けた8万人以上の緊急ニーズ支援のために必要な426
万ドルの資金要請に乗り出した。

ジブチ、エリトリア、エチオピア、ケニア、ソマリアの一部地域に住む、貧困や紛争に苦しむ人々
は、ここ何年もの継続的な雨量不足がもたらした水不足や、資金や生計の急速な低下のため
の食糧難に悩まされている。

CERFからの当初の資金は、予測される地域の訴えへの供給対応に先駆けた活動を後押しす
るため、5カ国全ての国連機関に提供された。

頻発する干ばつや深刻な慢性食糧不足への対応の一環として、国連は、前ノルウェー首相
Kjell Magne Bondevik氏をアフリカの角の特別人道特使に任命した。Bondevik氏は2006年2月
21日から23日までケニアに赴いた。さらに、4月末には、エリトリア、エチオピア、ジブチ、ソマリ
アへの訪問が予定されている。

<ティンドーフ洪水−アルジェリア>
2006年2月10日 
激しい雨が降り、モロッコとモーリタニアの国境からおよそ50-60キロに位置するアルジェリア、
ティンドーフ付近で洪水が起こった。報道によると、1万2000世帯の難民キャンプのある地域
も影響を受けているという。

緊急組織が、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界食糧計画(WFP)、アルジェリア赤
新月社(CRA)により結成され、犠牲者、ダメージの範囲、最優先のニーズを判断するため、
迅速な調査が3つの機関により同日に合同で行われた。UNHCRはヨルダンの備蓄から、テン
ト、毛布、ビニールシート、マットレス、ジェリー缶などを被災地に配給した。OCHAは、ブリンデ
ィジ備蓄の救援物資を提供した。


情報源:国連人道問題調整事務所 (UNOCHA)
原文URL: reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します。
タグ:地震 旱魃
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2006年04月27日

フィリピン: 地滑りと洪水 (Appeal MDRPH001) オペレーション最新情報 no. 4

国際赤十字社・赤新月社連盟の使命は、博愛の力を結集することにより、
災害弱者の生活を改善することにある。
連盟は世界一大きな人道的組織で、数百万人のボランティアが183カ国で活動している。

【概要】
■取材期間: 2006年3月9日から4月21日
■援助目標: 2, 592,678スイスフラン(200万USドルまたは167万ユーロ); 援助範囲: 118.4%
■未解決ニーズ: なし
援助履歴:
準備的緊急援助が2006年2月17日に、6ヶ月間で212.6万スイスフラン
(160万USドルまたは130万ユーロ)の予算で開始された。
3月8日、8千人の受益者を18ヶ月間援助する目的で、援助は259.3万スイスフラン
(200万USドルまたは167万ユーロ)に見直された。
緊急災害救済資金(DREF)からの配分: 20万スイスフラン

■活動概要
レイテ南部の地滑りと洪水災害に応えたフィリピン赤十字(PNRC)への提携支援は素晴らしい。
フィリピン赤十字の災害対応の優秀な経歴は急場に間に合わせるというキーロールを
行ったことにより1時間以内に明白になった。DREF事務局からの20万スイスフランの配分を含む
迅速な支援は重要な援助であった。現在作業開始から10週間が過ぎ、フィリピン赤十字は
影響を受けた地域のより長期の復興支援へ転換していく課題に直面している。
連盟はこの転換を支援しており、現場の進行は引き続き良好である。
国際連盟は国際課題 ――連盟の使命である「博愛の力を結集することにより災害弱者の
生活を改善する」を達成する4つの広義の目標を設定 ―― と協調する活動を行っている。

国際課題目標
・災害による死者、負傷者、影響の削減
・疾病や公衆衛生非常事態による死者、病気、影響の削減
・被害を受けやすい最緊急の状況に対応するために地域社会、市民社会、連盟の処理能力を高める。
・不耐性、差別、社会的疎外を削減し、多様性と人間としての尊厳に対する尊重を促進する。

【背景】
2006年2月17日、何週間ものモンスーンがレイテ州南部セントバーナード地方Guinsaugon村を
埋める大規模な地滑り引き起こした。 確認された死亡者の公式集計数は154人にのぼり、
972人が行方不明、死亡と推測される。およそ291軒の家屋と村の小学校が泥深く埋まった。
死亡者の総数は計り知れない。410人の生存者が記録されている。
生存者の当面のニーズに対する動員と救援作業が災害の余波で続いている。
避難者はその地方に早急に設置された10のセンターに収容された。不安定な山のふもとに泥流が
もたらした差し迫った危険のため、セントバーナード、Liloan、サンフランシスコの3地方から8000人が緊急避難し保護された。
鉱山地学研究所提供の予測をもとに、地方自治体はCatmon、 Karnada、 Ayahag、 Nueva Esperanza、
Magatas、Sug-Angon 村の全住民の避難を決定した。現在のところ、Magatas、 Kauswagan、 Hinabian、
Sug-Angon、 Ayahag Nueva Esperanza、Atuyan(一部移住)村の恒久的な移住が実施されている。
住民の一部は何とか経済活動を継続することができているが、多くの住民はまだしばらくの間、
移住先での新しいスタートに生活の支援を必要としている。

【活動成果】
作業の初期段階後、避難者は当初の10の避難センターからセントバーナード小学校、Cristo Rey地区高校、
Catmon小学校、Inglesia ni Kristoに設置された4つのセンターに移動した。
フィリピン赤十字はいくつかの地方NGOと国際組織と一緒に、食料、保健、水、公衆衛生、器具を含む基本日常品を
これらのセンターの避難者に提供、支援している。2,3の機関は精神・社会支援の提供を特にGuinsaugonからの生存者に継続している。
フィリピン赤十字による早急な精神・社会支援は
休止され、より長期な避難者に対する介入が展開されている。規定の手順に従い、地元市長執務室が
全活動の取りまとめ役となっている。一般に、影響を受けた住民の早急な基本ニーズはその区域で
活動する組織を通して適切に提供される。同時に、利用可能な資源のより良い配分を確実にするために、
活動の取りまとめや計画を改善できると、政府機関は考えている。
生存者と避難者への日常必需品の支援継続の必要がある一方で、復興と建設に現在焦点がおかれている。
2,3の国際組織だけが地区に残り、主に避難センターで日常支援を提供している。フィリピン赤十字と
地方組織は救済段階を超えて支援を継続する予定で、自治体に拠点を持つ災害準備、継続的な精神・社会支援、
家屋と地域施設の建築、暮らしのプログラムを含めた長期支援を計画、準備している。
今のところ、地方政府はフィリピン赤十字や他のNGOと連携して、影響を受けた人々の移転、再定住の長期計画を約束した。
2箇所――1箇所は約300世帯、もう1箇所は191世帯 ―― の主要移転地域が特定され、
適切な建築現場として一掃された。


情報源: 国際赤十字社・赤新月社連盟(IFRC)
原文URL: reliefweb.int


※著作権は情報源に帰属します。
タグ:洪水
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2006年04月09日

モルジブ:明日をみつめて

2004年12月の津波後のモルジブの人々の希望  Orawan Yafa 記

2004年12月26日、アジア太平洋地域を大津波が襲いましたが、その時、スリランカの南西に位置し、低地の島国であるモルジブもまた、大きな被害を受けました。平均海抜わずか1.8メートルのこの群島が、4メートルにも達する大波に襲われたのです。住宅や社会基盤、そして生活の糧となるものがすべて押し流されてしまいました。人口わずか29万人ほどの、緊密な島国で、すべての人が前例のない災害で打撃を受けました。

何気なく見ると、約100名という死亡者数は比較的少なく感じられ、モルジブは深刻な打撃をまぬがれたかの様な印象を受けます。しかし、その経済に与えた津波の衝撃ははかり知れないものがあります。同じく被害を受けた他の国々では、直接的損失は国民総生産(GDP)の3〜5%の損失であるのに比べて、モルジブは60%以上となっています。

観光業、漁業、農業は、それらを合わせるとこの国のGDPの半分以上を占めていましたが、最も深刻な打撃を受けた部門の一つです。観光客の数も急激に落ち込みました。多くの漁師は船を失い、女性たちは魚加工の家内労働を失いました。また15,000人ほどの農夫が、田畑を海水で汚染されたため、一年間収穫がありませんでした。結果、政府の税収入もまた大きく落ち込みました。

現在、多くの国際機関や国家がモルジブの人々と協力して、津波からの復興に取り組んでいます。例えばユニセフだけでも、学校や医療施設などの再建に1,100万ドルを拠出しました。現在は、津波で被災した25の島のための、国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)によって運営されています。

モルジブの復興にあたっての最大の障害は、移動の時間や費用、そして島同士のコミュニケーションです。水上飛行機による移動時間は、35分から1時間20分までと、様々です。
モルジブにいるUNOPSのプロジェクトコーディネーター、Fekare Gabrekal 氏によると、島間の飛行料金は、150ドルから270ドルかかるという事です。彼はまた、CBO(地域に根ざした団体)の設立が、プロジェクト成功の鍵を握っているとも言っています。プロジェクトは2006年5月に、その第一段階を終える予定で、24の学校再建と、4つの健康促進計画がうまく進むよう取り計らいます。

未だ島民は困窮している

しかし島の住民にとって、解決すべき難問がまだまだあります。例えば、学校を出ても仕事がありません。就業率は未だに極めて低く、標準値に達していません。多くの女性が家庭での柱となり、夫がリゾート島へ出稼ぎに行っている間、子育てや家事労働そしてコミュニティーの会合への参加といった責任を負わされています。農夫達は、生産を維持、促進するための充分な支援や資金提供が得られずにいます。高値のため、人々は充分な野菜を得る事も出来ません。

“村人は、野菜を手に入れるため観光地での仕事を見つけようと懸命です。”と、Ganの主婦で43歳のFaraaは語ってくれました。

17歳のJannaは幸運にも卒業後、観光地での仕事に就く事が出来ました。受付をしていて、月給は120ドルです。ちなみにモルジブの政府の役人の給料は、およそ
190ドルです。

32歳のAbdullahは、Ganの野菜農園主ですが、農園を維持するための資金から技術的な援助に至るまで、たくさんの問題を抱えていると言います。Ganはモルジブ群島の最南端に位置するSeenu 環礁にある市ですが、野菜農園が3つしかありません。

モルジブには26の環礁があり、それぞれ50以上の島で構成されています。いくつかの著名な環礁には40以上のリゾート地があります。環礁同士はそれぞれ遠く離れていて、島内においても島間を移動するにも、公共の輸送機関がありません。モルジブは旅行者にとっては夢の行楽地ですが、住民は観光事業からの恩恵をあまり受けてはいません。

医療においては、免許を持つ医師の数が少なく、ほんのわずかな人口さえカバーできていません。僻地の島で、重い病気にかかった場合、助かる確率は低いです。何人かの医師が、インドやバングラデシュ、スリランカといった近隣諸国から雇われています。

子ども達についてですが、高い教育を受けられる見込みはあまりありません。小さな島出身の生徒の多くが、首都マーレの大学まで行く経済的余裕がないのです。

政府と非政府組織(NGOs)は、こういった貧富の差を埋めるべく、一体となって取り組んでいて、ほとんど毎日のように、現状および進展状況について話し合っています。

モルジブはこれまで、ポルトガルやインド、オランダそしてイギリスといった大国に何度となく侵略されてきました。1965年にイギリスからの独立を果たし、1968年に
共和国になりました。

2〜30年前に、最初の旅行者グループ、22人のイタリア人観光客が、この国にやって来ました。マーレ国際空港は1972年に運航を開始しました。荘厳な島の景観や、エメラルドグリーンにきらきら輝く澄みきった海、そして壮観なさんご礁や海洋生物など……モルジブは時代の変化を拒み続けてきました。けれども1987年には津波を経験しています。

国連開発計画(UNDP)によると、再建復興の為の資金が150万ドルも不足しており、膨らむ赤字会計や、この国の歴史上、初めてのマイナス成長にも直面しています。環境、経済、そして社会の完全な復興のため、モルジブは外国のドナーコミュニティーに対し、継続的な援助を求めています。

* Orawan Yafaは元々、バンコクポスト社の報道記者です。彼女はAsian Disaster Preparedness Center(ADPC)で情報管理、及び知識管理のコーディネーターをしています。そして現在は、モルジブに拠点を置く国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)でコンサルタントをしています。

原文URL: www.reliefweb.int
情報源:Asian Disaster Preparedness Center(ADPC)

※著作権は情報源に帰属します。
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